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論語と算盤 / 理想と迷信・真正なる文明

文明の治具を張るために、富実の力を減損するは今日の大なる憂である、凡そ国を成すは唯富みさへすれば宜いといふ訳に行かぬ、文明の治具を張るために、富力の一部を犠牲に供するといふことは止むを得ぬであらう、換言すれば、一国の体面を保つ為め、一国の将来の繁盛を図る為め陸海軍の力を張らねばならぬ、内治にも外交にも、種々の国費を支出せねばならぬ、即ち一国の治具の為には、其の財源を多少減損するといふことは、勢ひ免れぬことであるけれども、其れが劇しく一方に偏すると、終に文明貧弱にならぬとは謂へぬ、若しも文明貧弱に陥つたら、百般の治具は皆虚形となり、遠からずして文明は野蛮と変化する、此く考へると、文明をして真の文明たらしむるには、其の内容をして富実、強力、此の二者の権衡を得せしめねばならぬ、我が帝国に於て今日最も患ふる所は、文明の治具を張るために、富実の根本を減損して顧みぬ弊である、これは上下一致、文武協力して其の権衡を失はぬやう勉励せねばならぬと思ふ。

書き下し

文明の治具を張るために、富実の力を減損するは今日の大なる憂いである。およそ国を成すはただ富みさえすればよいという訳に行かぬ。文明の治具を張るために、富力の一部を犠牲に供するということはやむを得ぬであろう。換言すれば、一国の体面を保つため、一国の将来の繁盛を図るため陸海軍の力を張らねばならぬ。内治にも外交にも、種々の国費を支出せねばならぬ。すなわち一国の治具のためには、その財源を多少減損するということは、勢い免れぬことであるけれども、それが激しく一方に偏すると、ついに文明貧弱にならぬとは言えぬ。もしも文明貧弱に陥ったら、百般の治具は皆虚形となり、遠からずして文明は野蛮と変化する。かく考えると、文明をして真の文明たらしむるには、その内容をして富実、強力、この二者の権衡を得せしめねばならぬ。我が帝国において今日最も患うる所は、文明の治具を張るために、富実の根本を減損して顧みぬ弊である。これは上下一致、文武協力してその権衡を失わぬよう勉励せねばならぬと思う。

現代語訳

文明の統治の道具立てを整えるために、富の力を削ってしまうことは、今日の大きな憂いである。そもそも国を成り立たせるには、ただ富みさえすればよいというわけにはいかない。文明の道具立てを整えるために富の一部を犠牲にすることは、やむをえないだろう。言い換えれば、一国の体面を保つため、また一国の将来の繁栄を図るために、陸海軍の力を張らなければならない。内政にも外交にも、さまざまな国費を支出しなければならない。つまり一国の統治の道具立てのためには、その財源を多少削ることはどうしても避けられないのだが、それが激しく一方に偏ると、ついには文明が貧弱にならないとは言えない。もし文明が貧弱に陥れば、あらゆる統治の道具立てはすべて中身のない形だけのものとなり、遠からず文明は野蛮へと変わってしまう。こう考えると、文明を真の文明とするには、その中身において、実のある富と強い力、この二つの釣り合いをとらせなければならない。わが帝国で今日もっとも憂えるべきは、文明の道具立てを整えるために、富の根本を削って顧みない弊害である。これは上下が一致し、文官と武官が協力して、その釣り合いを失わないよう努めなければならないと思う。

解説

章の結びとして、渋沢は日本の最大の憂いを「文明の治具を張るために、富実の根本を減損して顧みぬ弊」と言い切る。治具とは統治の道具立て、つまり軍備・行政・外交などの国の装置である。それらに国費を割くことは避けられないと認めたうえで、偏れば文明は貧弱になり、装置はみな虚形になって、やがて野蛮に戻ると警告する。日露戦争後、巨額の軍事費と外債の負担に苦しんだ当時の財政を知る者には、切実な指摘だった。大蔵省で財政改革に携わり、量入為出を重んじた渋沢らしく、体面のための支出が富の根を枯らすことを恐れている。求められているのは富実と強力の権衡である。見栄えのための投資が本業の収益力を削っていないか、という経営の点検にも読み替えられる。

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