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論語と算盤 / 理想と迷信・修験者の失敗

と詰問の矢を放つた、宗助の母親は横合から『其様なことを言ふと神罰が当る』といふ一言を以て自分の言葉を遮つたが、これは明白の道理で、誰にも能く解つた話だから、自然と満座の人々も興を冷まして修験者の顔を見詰めた、修験者も間が悪くなつたと見えて、『是は何でも野狐が来たのであらう』と言ひ抜けた、野狐といふことなら、猶更祠を建てるの、祀をするのといふことは不用だといふので、詰り何事もせずに止めることになつた、それゆゑ修験者は自分の顔を見て、『さて〳〵、悪い少年だ』と曰はぬばかりの顔付で睨まへた、私は勝誇りたる会心の笑を禁ずることが出来なかつた。それぎり宗助の母親はぷツつり加持祈禱といふことを廃めて了つた、村内の人々は此事を伝へ聞いて、以来修験者の類を村には入れまい、迷信は打破すべきものぞといふ覚悟を有つやうになつた。

新字:と詰問の矢を放つた、宗助の母親は横合から『其様なことを言ふと神罰が当る』といふ一言を以て自分の言葉を遮つたが、これは明白の道理で、誰にも能く解つた話だから、自然と満座の人々も興を冷まして修験者の顔を見詰めた、修験者も間が悪くなつたと見えて、『是は何でも野狐が来たのであらう』と言ひ抜けた、野狐といふことなら、猶更祠を建てるの、祀をするのといふことは不用だといふので、詰り何事もせずに止めることになつた、それゆゑ修験者は自分の顔を見て、『さて〳〵、悪い少年だ』と曰はぬばかりの顔付で睨まへた、私は勝誇りたる会心の笑を禁ずることが出来なかつた。それぎり宗助の母親はぷツつり加持祈祷といふことを廃めて了つた、村内の人々は此事を伝へ聞いて、以来修験者の類を村には入れまい、迷信は打破すべきものぞといふ覚悟を有つやうになつた。

書き下し

と詰問の矢を放った。宗助の母親は横合いから「そのようなことを言うと神罰が当たる」という一言をもって自分の言葉を遮ったが、これは明白の道理で、誰にもよく解った話だから、自然と満座の人々も興を冷まして修験者の顔を見詰めた。修験者も間が悪くなったと見えて、「これは何でも野狐が来たのであろう」と言い抜けた。野狐ということなら、なおさら祠を建てるの、祀りをするのということは不用だというので、つまり何事もせずに止めることになった。それゆえ修験者は自分の顔を見て、「さてさて、悪い少年だ」と言わぬばかりの顔付きで睨まえた。私は勝ち誇りたる会心の笑みを禁ずることが出来なかった。それぎり宗助の母親はぷっつり加持祈禱ということを止めてしまった。村内の人々はこの事を伝え聞いて、以来修験者の類を村には入れまい、迷信は打破すべきものぞという覚悟を持つようになった。

現代語訳

と、詰問の矢を放った。宗助の母親は横から「そんなことを言うと神罰が当たる」と一言で私の言葉を遮ったが、これは明白な道理で、誰にもよくわかる話だったから、自然と満座の人々も興ざめして修験者の顔を見つめた。修験者も具合が悪くなったと見えて、「これはきっと野狐が来たのだろう」と言い逃れた。野狐だというのなら、なおさら祠を建てるだの祀りをするだのということは不要だということになり、結局何もせずにやめることになった。そのため修験者は私の顔を見て、「さてさて、悪い少年だ」と言わんばかりの顔つきでにらみつけた。私は勝ち誇った会心の笑みを抑えることができなかった。それきり宗助の母親は、加持祈禱ということをぷっつりやめてしまった。村の人々はこのことを伝え聞いて、以来、修験者の類は村に入れまい、迷信は打ち破るべきものだ、という覚悟を持つようになった。

解説

年号の矛盾を突かれると、宗助の母親は「神罰が当たる」と少年を黙らせようとする。反論できないとき、権威や恐れを持ち出して口を封じるのはよくある反応である。しかし道理は誰の目にも明らかで、座の人々は興ざめして修験者を見つめる。修験者は「野狐が来たのだろう」と言い逃れるが、それなら祠も祀りも要らないことになり、祈禱は沙汰やみになった。自分の言い訳が自分の要求を消してしまったのである。修験者ににらまれながら、渋沢少年は会心の笑みを抑えられなかった、と正直に書いている。この一件で宗助の母親は加持祈禱をやめ、村の人々も修験者を入れまい、迷信は打破すべきだと覚悟するようになった。一人の少年の一つの問いが、村の空気を変えたのである。渋沢は後年、慣習や思い込みに流されず、道理に照らして物事を判断することを説き続けた。その原点がこの体験にあったと見ることもできる。

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