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論語と算盤 / 理想と迷信・この熱誠を要す

趣味の定義はどうであるか知らぬが、是非人は其の掌ることに就て、総て此の趣味を持たれたいと思ふ、更に一歩進んで、人として生れたならば、人たる趣味を持つて尽したいと思ふ、果して此世に一人前の趣味を持つて、其の趣味が真正に向上して往つたら、其れこそ相応の功徳が世の中に現はれ得るであらう、それまでに無くとも、趣味ある行動であつたならば、必ず其の仕事に就て精神あることであらうと思ふ、若し其のお極まり通りの仕事に従ふのであつたら、生命の存在したものでなくて、た〻゙形の存したものとなる、或る書物の養生法に、若し老衰して生命が存在して居つても、唯だ食うて、寝て、其の日を送るだけの人であつたならば、それは生命の存在では無くして、肉塊の存在である、故に人は老衰して、身体は十分に利かぬでも、心を以て世に立つ者であつたら、即ちそれは生命の存在であるといふ言葉があつた、人間は生命の存在たり得たい、肉塊の存在たり得たくないと思ふ、

書き下し

趣味の定義はどうであるか知らぬが、ぜひ人はその掌ることについて、すべてこの趣味を持たれたいと思う。さらに一歩進んで、人として生まれたならば、人たる趣味を持って尽したいと思う。果たしてこの世に一人前の趣味を持って、その趣味が真正に向上して行ったら、それこそ相応の功徳が世の中に現れ得るであろう。それまでに無くとも、趣味ある行動であったならば、必ずその仕事について精神あることであろうと思う。もしそのお極まり通りの仕事に従うのであったら、生命の存在したものでなくて、ただ形の存したものとなる。ある書物の養生法に、もし老衰して生命が存在していても、ただ食うて、寝て、その日を送るだけの人であったならば、それは生命の存在ではなくして、肉塊の存在である。ゆえに人は老衰して、身体は十分に利かぬでも、心をもって世に立つ者であったら、すなわちそれは生命の存在であるという言葉があった。人間は生命の存在たり得たい、肉塊の存在たり得たくないと思う。

現代語訳

趣味の定義がどうであるかは知らないが、人はぜひ自分の受け持つことについて、すべてこの趣味を持ってほしいと思う。さらに一歩進んで、人として生まれたからには、人としての趣味を持って尽くしたいと思う。もしこの世で一人前の趣味を持ち、その趣味が本当に向上していったなら、それこそ相応の功徳が世の中に現れるであろう。そこまでいかなくとも、趣味のある行動であれば、必ずその仕事には精神がこもっているだろうと思う。もしお決まりどおりの仕事に従うだけなら、それは生命が存在するものではなく、ただ形が存在するだけのものになる。ある書物の養生法に、「たとえ老い衰えて命があっても、ただ食べて、寝て、その日を送るだけの人であれば、それは生命の存在ではなく、肉の塊の存在である。だから人は老い衰えて身体が十分に利かなくても、心をもって世に立つ者であれば、それは生命の存在である」という言葉があった。人間は生命の存在でありたい、肉の塊の存在ではありたくないと思う。

解説

渋沢は仕事の趣味から一歩進んで、人として生まれたからには「人たる趣味」を持って生きたいと言う。そして、ある養生法の書物から、生命の存在と肉塊の存在という対比を引く。ただ食べて寝て日を送るだけなら、命があっても肉の塊にすぎない。体が利かなくなっても、心をもって世に立つ者は生命の存在である、と。書名は挙げられておらず出典はわからないが、七十代半ばの渋沢がこの言葉を自分に向けて語っている点が重い。形だけ仕事をこなすことを、彼は「形の存したもの」と呼び、肉塊の存在と同じ線上に置いている。仕事への熱意を欠くことは、生き方そのものの問題だというのである。渋沢は八十歳を過ぎても日米関係の改善や社会事業のために動き続け、九十一歳で亡くなるまで「生命の存在」であろうとした。役職や年齢で仕事の意味が薄れたと感じるとき、この一段は、心をもって世に立っているかを問い直させる。

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