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論語と算盤 / 仁義と富貴・富豪と徳義上の義務

私は老人の冷水といひませうか、将た老婆心といひませうか、此の歳になつても国家社会の為には朝夕駈け𢌞つて居ります、自宅へも皆さんが種々な事を云つて見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。否、寄附をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言つて来る人もありますが、私は夫等の人人に悉く会つてゐます、世の中は広いから随分賢者も居れば偉い人も居る、それを五月蠅い善くない人が来るからと云つて、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖して了ふやうでは、単り賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません、だから私は何誰に対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とを以てお目にか〻る、而して若し無理な註文が出れば断るし、出来ることは尽して上げるやうにする、昔支那の語に、『周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る』といふことがある、

書き下し

私は老人の冷や水と言いましょうか、はた老婆心と言いましょうか、この歳になっても国家社会のためには朝夕駆け回っております。自宅へも皆さんが種々な事を言って見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。いな、寄附をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言って来る人もありますが、私はそれらの人々にことごとく会っています。世の中は広いから随分賢者もおれば偉い人もいる。それをうるさい善くない人が来るからと言って、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖してしまうようでは、ひとり賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません。だから私はどなたに対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とをもってお目にかかる。そしてもし無理な注文が出れば断るし、出来ることは尽してあげるようにする。昔支那の語に、「周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る」ということがある。

現代語訳

年寄りの冷や水と言おうか、老婆心と言おうか、私はこの歳になっても国家社会のために朝晩駆け回っている。自宅へも皆さんがいろいろなことを言って訪ねて来るが、それが必ずしも善いことばかりではない。いや、寄付をしろだの、資本を貸せだの、学費を貸してくれだのと、ずいぶん理不尽なことを言って来る人もいるが、私はそういう人たちにことごとく会っている。世の中は広いから、ずいぶん賢者もいれば偉い人もいる。それを、うるさい、よくない人が来るからといって、玉も石も一緒くたにして一様に断り、門を閉ざしてしまうようでは、賢者に対して礼を失するばかりでなく、社会に対する義務を完全に果たすこともできない。だから私は誰に対しても城壁を設けず、十分な誠意と礼儀をもってお目にかかる。そして、もし無理な注文が出れば断り、できることは尽くしてあげるようにしている。昔の中国の言葉に「周公は三度口の中の食べ物を吐き出し、沛公は三度髪を梳くのをやめた」というものがある。

解説

「富豪と徳義上の義務」の章は、渋沢自身の日常から始まる。講演の口調で語られた章で、です・ます体が混じる。七十歳を過ぎてなお国家社会のために駆け回り、自宅に来る人には誰にでも会う。寄付をしろ、資本を貸せ、学費を貸せという理不尽な申し出も多いが、門を閉ざせば賢者まで追い返すことになる、と言う。渋沢の面会好きは実際に知られていて、飛鳥山の邸には多くの来訪者が通された。ここで大事なのは、会うことと応じることを分けている点である。城壁は設けないが、無理な注文は断る。門を開いておくことは、何でも引き受けることではない。成功した人ほど外との接点を絞りたくなるが、それは社会から受け取る情報と人材の入口を自分で狭めることでもある。この章は、そうした引きこもりを「徳義上の義務」の放棄として扱っていく。

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