論語と算盤 / 仁義と富貴・富豪と徳義上の義務
だから自分の斯く分限者になれたのも、一つは社会の恩だといふことを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいふものに対し、常に卒先して尽すやうにすれば、社会は倍々健全になる、それと同時に自分の資産運用も益々健実になると云ふ訳であるが、若し富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るが如く考へ、公共事業社会事業の如きを捨て〻顧みなかつたならば、玆に富豪と社会民人との衝突が起る、富豪怨嗟の声は軈て社会主義となり、「ストライキ」となり、結局大不利益を招くやうにならぬとも限らぬ、だから富を造るといふ一面には、常に社会的恩誼あるを思ひ、徳義上の義務として社会に尽すことを忘れてはならぬ。
書き下し
だから自分がかく分限者になれたのも、一つは社会の恩だということを自覚し、社会の救済だとか、公共事業だとかいうものに対し、常に卒先して尽すようにすれば、社会はますます健全になる。それと同時に自分の資産運用もますます堅実になるという訳であるが、もし富豪が社会を無視し、社会を離れて富を維持し得るごとく考え、公共事業社会事業のごときを捨てて顧みなかったならば、ここに富豪と社会民人との衝突が起こる。富豪怨嗟の声はやがて社会主義となり、ストライキとなり、結局大不利益を招くようにならぬとも限らぬ。だから富を造るという一面には、常に社会的恩誼あるを思い、徳義上の義務として社会に尽すことを忘れてはならぬ。
現代語訳
だから、自分がこれほどの財産家になれたのも一つには社会のおかげだと自覚し、社会の救済や公共事業に対して常に率先して尽くすようにすれば、社会はますます健全になる。それと同時に、自分の資産運用もますます堅実になる。ところがもし富豪が社会を無視し、社会から離れても富を維持できるかのように考えて、公共事業や社会事業を捨てて顧みなければ、そこに富豪と社会の人々との衝突が起こる。富豪を怨む声はやがて社会主義となり、ストライキとなって、結局は大きな不利益を招くことにもなりかねない。だから富をつくる一面には、常に社会からの恩義があることを思い、徳義上の義務として社会に尽くすことを忘れてはならない。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務私は過日某富豪の子息で大学を卒業したばかりのお人に面会した。これから社会に出るについて、色々ご注意にあずかりたいということであったので、私はその時こんな話をしてはあなたのお父さんに、渋沢は余計なことを言うと陰で恨まれるかも知らんがと冒頭して、次のような話をしました。今時の富豪はとかく引っ込み思案ばかりして、社会の事には誠に冷淡で困るが、富豪といえど自分独りで儲かった訳ではない。言わば社会から儲けさせてもらったようなものである。例えば地所をたくさん所有していると、空き地が多くて困るとか言っているが、その地所を借りて地代を納めるものは社会の人である。社会の人が働いて金儲けをし、事業が盛んになれば空き地も塞がり、地代もだんだん高くなるから、地主もしたがって儲かる訳だ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義いかに自ら苦心して築いた富にした所で、富はすなわち自己一人の専有だと思うのは大なる見当違いである。要するに、人はただ一人のみにては何事もなし得るものでない。国家社会の助けによって自らも利し、安全に生存するも出来るので、もし国家社会がなかったならば、何人たりとも満足にこの世に立つことは不可能であろう。これを思えば、富の度を増せば増すほど社会の助力を受けている訳だから、この恩恵に酬ゆるに救済事業をもってするがごときは、むしろ当然の義務で、出来る限り社会のために助力しなければならぬ筈と思う。「己れ立たんと欲して人を立て、己れ達せんと欲して人を達す」という言のごとく、自己を愛する観念が強ければ強いだけに、社会をもまた同一の度合をもって愛しなければならぬことである。世の富豪はまずかかる点に着眼しなくてはなるまい。
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『論語と算盤』仁義と富貴・防貧の第一要義そういう慈善救済事業は得て誠実を欠くもので、その結果はかえって悪人を造るような事になりがちである。とにかく陛下の大御心の存し給う所を思い、この際富豪諸氏は社会に対する自己の義務を完うせられたい。これ実に畏き聖旨に副い奉るのみか、二つには社会の秩序、国家の安寧を保持する上において、いかばかりか貢献することが多かろう。
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務私は老人の冷や水と言いましょうか、はた老婆心と言いましょうか、この歳になっても国家社会のためには朝夕駆け回っております。自宅へも皆さんが種々な事を言って見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。いな、寄附をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言って来る人もありますが、私はそれらの人々にことごとく会っています。世の中は広いから随分賢者もおれば偉い人もいる。それをうるさい善くない人が来るからと言って、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖してしまうようでは、ひとり賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません。だから私はどなたに対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とをもってお目にかかる。そしてもし無理な注文が出れば断るし、出来ることは尽してあげるようにする。昔支那の語に、「周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る」ということがある。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』算盤と権利・合理的の経営それから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心にしていた。福沢翁の言に「書物を著しても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念をもって筆を執らなければならぬ」という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理にほかならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とは言われない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数がために貧困に陥るような事業であったならばいかがなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。ゆえに国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである。
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