論語と算盤 / 常識と習慣・悪んで其の美を知れ
然るに余が此の門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があつて困る、例へば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸して呉れと申込まれたり、或は親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、または斯く〳〵の新発明をしたから、此の事業を成立させるまで助勢を乞ふとか、甚しきに至つては、是れ〳〵の商売を始めたいから資本を入れて呉れとか、殆んど此種の手紙が月々何十通となく舞ひ込んで来る、余は其の表面に自己の宛名がある以上、必ず其れを読むの義務があると思ふので、左様いふ手紙の来る毎に、屹度目を通すことにして居る、又自ら余が家に来りて此種の希望を述べる者もあるので、余は夫等の人々にも面会するが、併し是等の希望や要求といふものには道理のないのが多いから、手紙の方は悉く自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、其の非理なる所以を説いて断るやうにして居る、
書き下し
しかるに余がこの門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があって困る。例えば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸してくれと申し込まれたり、あるいは親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、またはかくかくの新発明をしたから、この事業を成立させるまで助勢を乞うとか、甚だしきに至っては、これこれの商売を始めたいから資本を入れてくれとか、ほとんどこの種の手紙が月々何十通となく舞い込んで来る。余はその表面に自己の宛名がある以上、必ずそれを読むの義務があると思うので、そういう手紙の来るごとに、きっと目を通すことにしている。また自ら余が家に来りてこの種の希望を述べる者もあるので、余はそれらの人々にも面会するが、しかしこれらの希望や要求というものには道理のないのが多いから、手紙の方はことごとく自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、その非理なる所以を説いて断るようにしている。
現代語訳
ところが、私のこの門戸開放主義につけこんで、道理に合わないことを求めてくる人がいて困る。たとえば、見ず知らずの人から生活費を貸してくれと申し込まれたり、あるいは、親の暮らし向きが苦しくなったために自分は途中から学費を断たれて困っているので、今後何年間か学費の援助をお願いしたいとか、または、これこれの新発明をしたので、この事業を立ち上げるまで援助してほしいとか、ひどいものになると、これこれの商売を始めたいから資本を出してくれとか、こうした種類の手紙がほとんど毎月何十通となく舞い込んでくる。私は、その表に自分の宛名がある以上、必ずそれを読む義務があると思うので、そういう手紙が来るたびに、必ず目を通すことにしている。また、自分で私の家にやって来て、この種の希望を述べる者もあるので、私はそうした人々にも会う。しかし、こうした希望や要求には道理のないものが多いから、手紙のほうはすべてを自分で断りきることはできないけれども、わざわざ出向いてきた人に対しては、それが道理に合わない理由を説いて断るようにしている。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ自己の懐抱する主義がこうであるから、面会を求めて来る人には必ず会うて談話する。知人としからざるとの別なく、自分に差し支えなければ、必ず面会して先方の注意と希望を聞くことにしている。それであるから来訪者の希望が道理にかなっていることと思う場合ならば、相手の何人たるを問わず、その人の希望をかなえてやる。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余がこの行為を他人から見たならば、何もそういう手紙を一々見たり、そういう人にことごとく会う必要はないと言うであろう。けれどももしそれらに対して面会を謝絶したり、手紙を見なかったりすることは、余が平素の主義に反する行為となる。それゆえ自ら雑務が多くなって、寸暇もなくなるゆえ困るとは知りながらも、主義のために余計な手数をもかける訳である。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れそしてそれらの人の言って来た事柄でも、または知己から頼まれたことでも、道理にかなっていることであれば、余はその人のため、二つには国家社会のために自力の及ぶ程度において力を貸してやる。
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務私は老人の冷や水と言いましょうか、はた老婆心と言いましょうか、この歳になっても国家社会のためには朝夕駆け回っております。自宅へも皆さんが種々な事を言って見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。いな、寄附をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言って来る人もありますが、私はそれらの人々にことごとく会っています。世の中は広いから随分賢者もおれば偉い人もいる。それをうるさい善くない人が来るからと言って、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖してしまうようでは、ひとり賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません。だから私はどなたに対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とをもってお目にかかる。そしてもし無理な注文が出れば断るし、出来ることは尽してあげるようにする。昔支那の語に、「周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る」ということがある。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余が実業界の人となって以来、接触する人も年々その数を増し、そしてそれらの人々が余の行う所に見倣いて、各々長ずる所によりて事業を精励すれば、たといその人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになるから、余は常にこれに同情し、その目的を達しさせてやりたいと思うている。これは単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携わる人に対しても、やはり同一主義の下に接して来た。例えば新聞雑誌等に従事している者が来て余に説を請う時にも、余が説を掲載して幾分なりともその価値を高め得るものとすれば、自説はたとい価あるものでないと思うても、請う人の真実心より出たものならばこれを斥けない。それらの人々の希望を容れてやるのは、ひとり希望する人のためのみならず、社会の利益の一部分ともなろうかと考えるので、非常に多忙の時間を割いてその要求に応ずる次第である。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余はややもすれば世人より誤解されて、渋沢は清濁併せ呑むの主義であるとか、正邪善悪の差別を構わぬ男であるとか評される。先頃もある者が来て真っ向から余に詰問し、「足下は日頃論語をもって処世上の根本主義とせられ、また論語主義をもって自ら行われつつあるにもかかわらず、足下が世話される人の中には、全く足下の主義と反し、むしろ非論語主義の者もあり、社会より指弾さるる人物をも、足下は平然としてこれを近づけ、虚然として世評に関せざるがごとき態度を取らるるが、かくのごときは足下が高潔なる人格を傷つくるものではあるまいか、その真意が聞きたい」とのことであった。
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