論語と算盤 / 常識と習慣・悪んで其の美を知れ
而して夫等の人の言つて来た事柄でも、又は知己から頼まれたことでも、道理に協つて居ることであれば、余は其人のため、二つには国家社会の為に自力の及ぶ程度に於て力を仮してやる、
書き下し
そしてそれらの人の言って来た事柄でも、または知己から頼まれたことでも、道理にかなっていることであれば、余はその人のため、二つには国家社会のために自力の及ぶ程度において力を貸してやる。
現代語訳
そして、そうした人々が言ってきた事柄でも、あるいは知人から頼まれたことでも、道理にかなっていることであれば、私は一つにはその人のため、二つには国家社会のために、自分の力の及ぶ範囲で力を貸してやるのである。
解説
門戸開放の結論である。見知らぬ人の依頼でも、知己の頼みでも、道理にかなっていれば、その人のため、そして国家社会のために、力の及ぶ範囲で助ける。助ける理由が二つ重ねられている点に注意したい。個人への情けだけなら、えこひいきにもなりうる。国家社会のためという公の理由だけなら、目の前の人が見えなくなる。渋沢はその両方を並べる。そしてこの一文のすぐ後に、章の核心となる段が続く。道理を見て助けても、後になって人を見誤ったと分かることがある。それでも悪人を悪人として憎まず、善に導きたいと考える、と。清濁併せ呑むと言われる渋沢の行動が、実は道理という一本の物差しで貫かれていることを示す準備の段である。力を貸す基準を持つ人だけが、誤解を恐れずに人を助けられる。
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れつまり道理ある所には自ら進んで世話をしてやる気になるのであるが、そういうことも後日になって見ると、あの人は善くなかった、あの事柄は見違えたということが無いではない。しかし悪人必ずしも悪に終わるものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものならその人を善に導いてやりたいと考え、最初より悪人たることを知りつつ世話してやることもある。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ自己の懐抱する主義がこうであるから、面会を求めて来る人には必ず会うて談話する。知人としからざるとの別なく、自分に差し支えなければ、必ず面会して先方の注意と希望を聞くことにしている。それであるから来訪者の希望が道理にかなっていることと思う場合ならば、相手の何人たるを問わず、その人の希望をかなえてやる。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余が実業界の人となって以来、接触する人も年々その数を増し、そしてそれらの人々が余の行う所に見倣いて、各々長ずる所によりて事業を精励すれば、たといその人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになるから、余は常にこれに同情し、その目的を達しさせてやりたいと思うている。これは単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携わる人に対しても、やはり同一主義の下に接して来た。例えば新聞雑誌等に従事している者が来て余に説を請う時にも、余が説を掲載して幾分なりともその価値を高め得るものとすれば、自説はたとい価あるものでないと思うても、請う人の真実心より出たものならばこれを斥けない。それらの人々の希望を容れてやるのは、ひとり希望する人のためのみならず、社会の利益の一部分ともなろうかと考えるので、非常に多忙の時間を割いてその要求に応ずる次第である。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れしかるに余がこの門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があって困る。例えば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸してくれと申し込まれたり、あるいは親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、またはかくかくの新発明をしたから、この事業を成立させるまで助勢を乞うとか、甚だしきに至っては、これこれの商売を始めたいから資本を入れてくれとか、ほとんどこの種の手紙が月々何十通となく舞い込んで来る。余はその表面に自己の宛名がある以上、必ずそれを読むの義務があると思うので、そういう手紙の来るごとに、きっと目を通すことにしている。また自ら余が家に来りてこの種の希望を述べる者もあるので、余はそれらの人々にも面会するが、しかしこれらの希望や要求というものには道理のないのが多いから、手紙の方はことごとく自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、その非理なる所以を説いて断るようにしている。
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『論語と算盤』仁義と富貴・富豪と徳義上の義務私は老人の冷や水と言いましょうか、はた老婆心と言いましょうか、この歳になっても国家社会のためには朝夕駆け回っております。自宅へも皆さんが種々な事を言って見えますが、それが必ずしも善いことばかりではありません。いな、寄附をしろの、資本を貸せの、学費を貸与してくれのと、随分理不尽なことを言って来る人もありますが、私はそれらの人々にことごとく会っています。世の中は広いから随分賢者もおれば偉い人もいる。それをうるさい善くない人が来るからと言って、玉石混淆して一様に断り、門戸を閉鎖してしまうようでは、ひとり賢者に対して礼を失するのみならず、社会に対する義務を完全に遂行することが出来ません。だから私はどなたに対しても城壁を設けず、充分誠意と礼譲とをもってお目にかかる。そしてもし無理な注文が出れば断るし、出来ることは尽してあげるようにする。昔支那の語に、「周公三たび哺を吐き、沛公三たび髪を梳る」ということがある。
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