論語と算盤 / 仁義と富貴・罪は金銭にあらず
更に又『君子財多ければ其の徳を損し、小人財多ければ其の過を増す』といふやうな意味の言を漢籍の中で読んだこともある、兎に角東洋古来の風習は、一般に金銭を卑しむこと甚しいもので、君子は近づくべからざるもの、小人には恐るべきものとしたのであるが、畢竟貪婪飽くなき世俗の悪弊を矯めんとして、終には極端に金銭を卑しむ様に為つたものと思はれる、是等の説は青年諸君は深く注意を払はねばならぬ。
書き下し
さらにまた「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過を増す」というような意味の言を漢籍の中で読んだこともある。とにかく東洋古来の風習は、一般に金銭を卑しむこと甚だしいもので、君子は近づくべからざるもの、小人には恐るべきものとしたのであるが、畢竟貪婪飽くなき世俗の悪弊を矯めんとして、ついには極端に金銭を卑しむ様になったものと思われる。これらの説は青年諸君は深く注意を払わねばならぬ。
現代語訳
さらにまた、「君子は財が多いとその徳を損ない、小人は財が多いとその過ちを増す」というような意味の言葉を、漢籍の中で読んだこともある。とにかく東洋古来の風習は、一般に金銭をひどく卑しむもので、君子は近づくべきでないもの、小人にとっては恐るべきものとしてきたのだが、結局のところ、貪欲で飽くことを知らない世俗の悪弊を正そうとして、ついには極端に金銭を卑しむようになったものと思われる。こうした説には、青年諸君は深く注意を払わなければならない。
解説
金銭を卑しむ言葉をもう一つ挙げたうえで、渋沢はその由来を推し量る。「君子財多ければ其の徳を損し、小人財多ければ其の過を増す」は、漢籍の中で読んだと本人も出典をぼかしており、ここでは言葉の趣旨を受け取っておけばよい。東洋の古い風習は、金を君子の近づくべからざるもの、小人には恐るべきものとした。だが渋沢はそれを金銭そのものの本性から出たものとは見ない。貪欲で飽くことを知らない世俗の悪弊を正そうとして、戒めが極端に振れた結果だ、と言うのである。病を治そうとして薬が強すぎた、という診断に近い。この見方には二つの含みがある。一つは、古人の戒めには理由があり、金銭に溺れる危険は本物だということ。もう一つは、その戒めを文字どおり受け取って金銭を嫌えば、実業の担い手が育たないということだ。だから渋沢は青年に、これらの説に深く注意せよと言う。鵜呑みにせず、なぜそう言われたのかを考えよ、という意味である。
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず昔は東洋ばかりでなく、西洋も一体に金銭を卑しむ風習が極端に行われたようであるが、これは経済に関することは、得失という点が先に立つものであるから、ある場合には謙譲とか清廉とかいう美徳を傷つけるように観えるので、常人は時としては過失に陥りやすいから、強くこれを警戒する心懸けより、かかる教えを説く人もありて、自然と一般に風習となったものであろうと思う。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずしかし前述のごとく人情の弱点として、利慾の念よりともすれば富を先にして道義を後にする弊を生じ、過重の結果、金銭万能のごとく考えて、大切なる精神上の問題を忘れて、物質の奴隷となりやすいものであるが、かくなりては責めその人にありとは言うものの、金銭の禍を恐れてその価値を卑しく観るようになって、再びアリストテレスの言を繰り返さしむるに至るであろう。
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『論語と算盤』仁義と富貴・効力の有無は其人に在りとの御歌は、実に感佩敬服に堪えぬのである。しかるに世間の人々は、とかくこの金を悪用したがるものである。されば古人もこれを戒めて「小人罪なし、宝を抱くこれ罪」とか、「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過を増す」などと言ってある。論語を読んで見ても、「富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし」と言い、または「富にして求むべくんば執鞭の士といえども、我またこれを為さん」と言い、大学には「徳は本なり、財は末なり」と言ってある。今かかる訓言を一々ここに引用したならば、ほとんど枚挙に遑なしであろうが、これは決して金を軽視してもよいという意味ではない。いやしくも世の中に立って完全の人たらんとするには、まず金に対する覚悟がなくてはならぬ。そしてかかる訓言に徴しても、社会における金の効力はいかに思察すべきものであるか、すこぶる考慮を要するのである。けだしあまりこれを重んじ過ぎるのも誤りなら、またこれを軽んじ過ぎるのもよろしくない。すなわち「国、道ありて貧かつ賤しきは恥なり、国、道なくして富かつ貴きは恥なり」と言って、孔子も決して貧乏を奨励はなさらなかった。ただ「その道をもってせざれば、これを得るとも処らざるなり」である。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらず幸いにして世間一般の進歩とともに金銭上の取り扱いも改まって、利殖と道徳と離れまいとする傾向が増して来た。ことに欧米にては「真正なる富は正当なる活動によって収得せらるべきものである」との観念が着々実行されて来ているが、我が国の青年諸君も深くこの点に注意して、金銭上の禍に陥らず、ますます道義とともに金銭の真価を利用するように勉められんことを望むのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・能く集め能く散ぜよしかるに世には貴ぶということを曲解して、ただ無闇にこれを吝しむ人がある。真に注意せねばならぬことである。金に対して戒むべきは濫費であると同時に、注意すべきは吝嗇である。よく集むるを知りてよく散ずることを知らねば、その極み守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると同時に、守銭奴とならぬように注意せねばならぬのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・孔夫子の貨殖富貴観この言葉はいかにも言裡に富貴を軽んじた所があるようにも思われるが、実は側面から説かれたもので、仔細に考えて見れば、富貴を賤しんだところは一つもない。その主旨は富貴に淫するものを誡められたまでで、これをもって直ちに孔子は富貴を厭悪したとするは、誤謬もまた甚だしと言わねばならぬ。孔子の言わんと欲する所は、道理を持った富貴でなければ、むしろ貧賤の方がよいが、もし正しい道理を踏んで得たる富貴ならばあえて差支えないとの意である。して見れば富貴を賤しみ貧賤を推称した所はさらにないではないか。この句に対して正当の解釈を下さんとならば、よろしく「道を以てせずして之を得れば」という所によく注意することが肝要である。
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