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論語と算盤 / 仁義と富貴・能く集め能く散ぜよ

然るに世には貴ぶといふことを曲解して、只無暗にこれを吝む人がある、真に注意せねばならぬことである、金に対して戒むべきは濫費であると同時に、注意すべきは吝嗇である、能く集むるを知りてよく散ずることを知らねば、その極守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると同時に、守銭奴とならぬやうに注意せねばならぬのである。

書き下し

しかるに世には貴ぶということを曲解して、ただ無闇にこれを吝しむ人がある。真に注意せねばならぬことである。金に対して戒むべきは濫費であると同時に、注意すべきは吝嗇である。よく集むるを知りてよく散ずることを知らねば、その極み守銭奴となるから、今日の青年は濫費者とならざらんことを勉むると同時に、守銭奴とならぬように注意せねばならぬのである。

現代語訳

ところが世間には、金を貴ぶということを取り違えて、ただやみくもに惜しむ人がある。よくよく注意しなければならない。金について戒めるべきは浪費であるが、それと同時に気をつけるべきは吝嗇である。よく集めることを知って、よく散らすことを知らなければ、行き着く先は守銭奴になる。だから今日の青年は、浪費家にならないよう努めると同時に、守銭奴にならないよう注意しなければならないのである。

解説

「能く集め能く散ぜよ」——章の題が処方そのものである。渋沢は金を貴べと繰り返し説くが、貴ぶことと惜しむことを厳しく区別する。散らすとは浪費ではなく正当な支出、つまり善用のことだ。同じ章に印象的な比喩がある。名医が使えば人命を救うメスも、狂人が持てば人を傷つける道具になる。母への孝養に使う飴も、盗賊に渡せば戸の音を消す道具になる。道具は使い手しだいだという話だが、それは散らし方の話でもある。集める能力だけを磨いた人間は守銭奴で終わる。集めることと散らすことは別々の技術であって、両方を鍛えよ、というのがこの章の要点である。

この章句が説くこと

能く集め能く散ぜよ濫費と吝嗇守銭奴金の善用

この一句を、あなたの毎日に。

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