導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 仁義と富貴・効力の有無は其人に在り

俚諺に『銭ほど阿弥陀は光る』と言うて、十銭投げれば十銭だけ光る、二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算して居る、又『地獄の沙汰も金次第』といふに至りては、頗る評し得て皮肉の感がないでもないが、亦以て金の効能の如何に大きいものであるかを表したものと見ることが出来る、一例を挙げると、東京停車場へ往つて汽車の切符を買ふとするに、如何なる富豪でも、赤切符を買へば三等にしか乗れない、又如何に貧人でも、一等切符を買へば一等に乗れる、これは全く金の効能である、兎に角金には或る偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ、如何に多く財を費しても、唐辛を甘くすることは出来ないけれども、無限の砂糖を以て其の辛味を消すことは出来る、又平生苦り切つて八ケ間敷言つて居る人でも、金の為には直ぐ甘くなるのは世間普通のことで、政治界などに能く見る例である。

書き下し

俚諺に「銭ほど阿弥陀は光る」と言って、十銭投げれば十銭だけ光る、二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算している。また「地獄の沙汰も金次第」というに至りては、すこぶる評し得て皮肉の感がないでもないが、またもって金の効能のいかに大きいものであるかを表したものと見ることが出来る。一例を挙げると、東京停車場へ行って汽車の切符を買うとするに、いかなる富豪でも、赤切符を買えば三等にしか乗れない。またいかに貧人でも、一等切符を買えば一等に乗れる。これは全く金の効能である。とにかく金にはある偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ。いかに多く財を費やしても、唐辛を甘くすることは出来ないけれども、無限の砂糖をもってその辛味を消すことは出来る。また平生苦り切ってやかましく言っている人でも、金のためにはすぐ甘くなるのは世間普通のことで、政治界などによく見る例である。

現代語訳

ことわざに「銭ほど阿弥陀は光る」と言って、十銭投げれば十銭分だけ光り、二十銭投げれば二十銭分だけ光ると勘定している。また「地獄の沙汰も金次第」というに至っては、うまく言い当ててはいるものの、皮肉な感じがしないでもないが、それでも金の効能がいかに大きいかを表したものと見ることができる。一例を挙げると、東京の停車場へ行って汽車の切符を買うとすれば、どんな富豪でも、赤切符(三等切符)を買えば三等にしか乗れない。また、どんな貧しい人でも一等切符を買えば一等に乗れる。これはまったく金の効能である。とにかく金にある偉大な力があることは否定できない。どれほど多くの財を費やしても唐辛子を甘くすることはできないが、限りなく砂糖を加えれば、その辛味を消すことはできる。また、ふだん苦りきってうるさいことを言っている人でも、金のためにはすぐ甘くなるのは世間によくあることで、政界などによく見る例である。

解説

ここで渋沢は、金の力をことわざと日常の例でたたみかける。賽銭の額だけ阿弥陀が光る、地獄の裁きも金次第。そして汽車の切符である。当時の鉄道は一等から三等まで等級が分かれ、三等切符は赤い色をしていた。どんな富豪でも赤切符なら三等に乗り、どんな貧しい人でも一等切符を買えば一等に乗れる。金は身分や家柄とは無関係に、払った分だけの結果をもたらす。そこには一種の公平さがある、という見方も読み取れる。唐辛子の辛味は砂糖で消せるというたとえは、金が物事の性質までは変えないが、効き目を打ち消す力はあることを示す。そして最後の一言が鋭い。ふだん苦い顔でうるさく言う人も、金の前ではすぐ甘くなり、それは政界によく見られる、と。渋沢は金の力をきれいごとで覆わない。これほど強い力だからこそ、使う人の人格が問われる、という章の結論へ向けて、まず力の大きさを見せているのである。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る