論語と算盤 / 仁義と富貴・効力の有無は其人に在り
金は尊いものであるとか、又は貴ばねばならぬものであるとか云ふことに関しては、古来随分多くの格言もあり、俚諺もある、或人の詩に『世人交りを結ぶに黄金を以てす、黄金多からざれば交り深からず』とある一句などは、黄金は友情といふ形而上の精神までも支配するの力あるものとも取れる、精神を尊んで物質を卑める東洋古来の風習では、黄金によつて友情をまで左右されるのは、人情の堕落思ひやられて甚だ寒心の至りであるが、併し斯ういふことが我々の日常よく出会ふ問題である、例へば親睦会などいふと必ず相集まつて飲食する、これは飲食も友愛の情を幇助するからである、又久し振りに来訪して呉れる友人に、酒食を供することも出来ないやうでは、締交の端緒も開き難い、而して是等のことには皆黄金が関係する。
書き下し
金は尊いものであるとか、または貴ばねばならぬものであるとか言うことに関しては、古来ずいぶん多くの格言もあり、俚諺もある。ある人の詩に「世人交わりを結ぶに黄金をもってす、黄金多からざれば交わり深からず」とある一句などは、黄金は友情という形而上の精神までも支配するの力あるものとも取れる。精神を尊んで物質を卑しむ東洋古来の風習では、黄金によって友情をまで左右されるのは、人情の堕落思いやられて甚だ寒心の至りであるが、しかしこういうことが我々の日常よく出会う問題である。例えば親睦会などというと必ず相集まって飲食する。これは飲食も友愛の情を幇助するからである。また久しぶりに来訪してくれる友人に、酒食を供することも出来ないようでは、締交の端緒も開きがたい。そしてこれらのことには皆黄金が関係する。
現代語訳
金は尊いものだとか、尊ばなければならないものだとかいうことについては、昔からずいぶん多くの格言もあり、ことわざもある。ある人の詩に「世の人は黄金で交わりを結ぶ。黄金が多くなければ交わりも深くならない」という一句があるが、これなどは、黄金は友情という形のない精神までも支配する力があるとも受け取れる。精神を尊び物質を卑しむ東洋古来の風習からすれば、黄金によって友情まで左右されるのは、人情の堕落が思いやられて、まことに寒心に堪えないことだが、しかしこうしたことは、われわれが日常よく出会う問題である。たとえば親睦会などといえば、必ず集まって飲食する。これは飲食も友愛の情を助けるからである。また、久しぶりに訪ねてくれた友人に酒食を出すこともできないようでは、交わりを結ぶきっかけも開きにくい。そして、これらのことにはみな金が関係する。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』仁義と富貴・効力の有無は其人に在りかく論じ来れば、金は実に威力あるものなれども、しかしながら金はもとより無心である。善用されると悪用されるとは、その使用者の心にあるから、金は持つべきものであるか、持つべからざるものであるかは、卒爾に断定することは出来ない。金はそれ自身に善悪を判別するの力はない。善人がこれを持てば善くなる、悪人がこれを持てば悪くなる。つまり所有者の人格いかんによって善ともなり悪ともなる。この事に関しては、余は常々人に語っているが、昭憲皇太后の、もつ人の心によりて宝とも仇ともなるは黄金なりけり。
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『論語と算盤』仁義と富貴・効力の有無は其人に在りとの御歌は、実に感佩敬服に堪えぬのである。しかるに世間の人々は、とかくこの金を悪用したがるものである。されば古人もこれを戒めて「小人罪なし、宝を抱くこれ罪」とか、「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過を増す」などと言ってある。論語を読んで見ても、「富みかつ貴きは、我において浮雲のごとし」と言い、または「富にして求むべくんば執鞭の士といえども、我またこれを為さん」と言い、大学には「徳は本なり、財は末なり」と言ってある。今かかる訓言を一々ここに引用したならば、ほとんど枚挙に遑なしであろうが、これは決して金を軽視してもよいという意味ではない。いやしくも世の中に立って完全の人たらんとするには、まず金に対する覚悟がなくてはならぬ。そしてかかる訓言に徴しても、社会における金の効力はいかに思察すべきものであるか、すこぶる考慮を要するのである。けだしあまりこれを重んじ過ぎるのも誤りなら、またこれを軽んじ過ぎるのもよろしくない。すなわち「国、道ありて貧かつ賤しきは恥なり、国、道なくして富かつ貴きは恥なり」と言って、孔子も決して貧乏を奨励はなさらなかった。ただ「その道をもってせざれば、これを得るとも処らざるなり」である。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずもちろん金銭は貴いものではあるが、またすこぶる卑しい物である。貴い点より言えば、金銭は労力の代表となり、約束によってたいていの物の代価は、金銭ならでは清算の出来ぬものである。けだしここに金銭というは、ただ金銀貨幣紙幣の類の通貨のみを指すのではなく、総じて代償することの出来る貨財は金銭をもって評することが出来るので、金銭は財産の代称であるとも言い得ると思うのである。かつて昭憲皇太后宮の御歌を拝誦した中に、もつ人の心によりてたからとも仇ともなるは黄金なりけりとあったように記憶しているが、真に適切なる御評で、吾人の感佩服膺すべき名歌であると思う。しかるに昔の支那人の書いたものによると、一体に金銭を卑しむ風が盛んであるように思われる。左伝に「小人玉を抱いて罪あり」とある類から、孟子に陽虎の言として「仁を為せば富まず、富めば仁ならず」とあるがごとき、その一例である。陽虎のごときはもとより敬服すべき人物ではないが、当時にありては知言として一般から認められていたのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・罪は金銭にあらずさらにまた「君子財多ければその徳を損し、小人財多ければその過を増す」というような意味の言を漢籍の中で読んだこともある。とにかく東洋古来の風習は、一般に金銭を卑しむこと甚だしいもので、君子は近づくべからざるもの、小人には恐るべきものとしたのであるが、畢竟貪婪飽くなき世俗の悪弊を矯めんとして、ついには極端に金銭を卑しむ様になったものと思われる。これらの説は青年諸君は深く注意を払わねばならぬ。
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『論語と算盤』仁義と富貴・能く集め能く散ぜよ要するに、金は社会の力を表彰する要具であるから、これを貴ぶのは正当であるが、必要の場合によく費消するはもちろん善いことであるが、よく集めよく散じて社会を活発にし、したがって経済界の進歩を促すのは有為の人の心懸くべきことであって、真に理財に長ずる人は、よく集むると同時によく散ずるようでなくてはならぬ。よく散ずるという意味は、正当に支出するのであって、すなわちこれを善用することである。良医が大手術を用いて患者の一命を救った「メス」も、狂人に持たしめると人を傷つける道具となる。また老母の孝養に必要なる飴も、賊徒に与うれば枢の開閉に音なきの盗具となる。ゆえに、我々は金を貴んで善用することを忘れてはならない。実に金は貴ぶべくまた賤しむべし。これをして貴ぶべきものたらしむるのは、ひとえに所有者の人格によるのである。
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『論語と算盤』仁義と富貴・効力の有無は其人に在り俚諺に「銭ほど阿弥陀は光る」と言って、十銭投げれば十銭だけ光る、二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算している。また「地獄の沙汰も金次第」というに至りては、すこぶる評し得て皮肉の感がないでもないが、またもって金の効能のいかに大きいものであるかを表したものと見ることが出来る。一例を挙げると、東京停車場へ行って汽車の切符を買うとするに、いかなる富豪でも、赤切符を買えば三等にしか乗れない。またいかに貧人でも、一等切符を買えば一等に乗れる。これは全く金の効能である。とにかく金にはある偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ。いかに多く財を費やしても、唐辛を甘くすることは出来ないけれども、無限の砂糖をもってその辛味を消すことは出来る。また平生苦り切ってやかましく言っている人でも、金のためにはすぐ甘くなるのは世間普通のことで、政治界などによく見る例である。
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