礼記 / 祭統
君卷冕立於阼,夫人副褘立於東房。夫人薦豆執校,執醴授之執鐙。尸酢夫人執柄,夫人授尸執足。夫婦相授受,不相襲處,酢必易爵。明夫婦之別也。 凡為俎者,以骨為主。骨有貴賤,殷人貴髀,周人貴肩,凡前貴於後。俎者,所以明祭之必有惠也。是故,貴者取貴骨,賤者取賤骨;貴者不重,賤者不虛,示均也。惠均則政行,政行則事成,事成則功立。功之所以立者,不可不知也。俎者,所以明惠之必均也。善為政者如此。故曰見政事之均焉。
新字:君巻冕立於阼,夫人副褘立於東房。夫人薦豆執校,執醴授之執鐙。尸酢夫人執柄,夫人授尸執足。夫婦相授受,不相襲処,酢必易爵。明夫婦之別也。 凡為俎者,以骨為主。骨有貴賤,殷人貴髀,周人貴肩,凡前貴於後。俎者,所以明祭之必有恵也。是故,貴者取貴骨,賤者取賤骨;貴者不重,賤者不虚,示均也。恵均則政行,政行則事成,事成則功立。功之所以立者,不可不知也。俎者,所以明恵之必均也。善為政者如此。故曰見政事之均焉。
書き下し
君は巻冕(けんべん)して阼に立ち、夫人は副褘(ふくき)して東房に立つ。夫人、豆を薦むるには校(こう)を執り、醴(れい)を執る者これを授くるには鐙(とう)を執る。尸、夫人に酢(さく)するには柄を執り、夫人、尸に授くるには足を執る。夫婦相授受するに、襲処(しゅうしょ)せず、酢には必ず爵を易う。夫婦の別を明らかにするなり。 凡そ俎(そ)を為る者は、骨を以て主と為す。骨に貴賤有り。殷人は髀(ひ)を貴び、周人は肩を貴ぶ。凡そ前は後よりも貴し。俎は、祭の必ず恵有るを明らかにする所以なり。是の故に、貴き者は貴き骨を取り、賤しき者は賤しき骨を取る。貴き者も重ねず、賤しき者も虚しからず。均しきを示すなり。恵均しければ則ち政行われ、政行わるれば則ち事成り、事成れば則ち功立つ。功の立つ所以の者は、知らざるべからざるなり。俎は、恵の必ず均しきを明らかにする所以なり。政を為すを善くする者は此くの如し。故に曰く、政事の均しきを見すと。
現代語訳
君主は巻冕(礼装の冠と衣)を着けて東の階段の上に立ち、夫人は副褘を着けて東の房に立つ。夫人が豆を供えるときは豆の中ほどの柄(校)を持ち、醴(甘酒)を執る者が豆を夫人に手渡すときは豆の台(鐙)を持つ。尸が夫人に返杯するときは爵の柄を持ち、夫人が尸に爵を渡すときは爵の足を持つ。夫婦が物をやりとりするとき、同じ箇所に手を触れず、返杯には必ず爵を取り替える。これは夫婦の別を明らかにするためである。 およそ俎(そ、肉を載せる台)を用意するには、骨を主とする。骨には貴いものと賤しいものがある。殷の人は髀(もも)の骨を貴び、周の人は肩の骨を貴んだ。およそ前の部位は後ろの部位より貴い。俎は、祭りには必ず恵みが伴うことを明らかにするためのものである。それゆえ身分の高い者は貴い骨を取り、身分の低い者は賤しい骨を取る。高い者も重ねて多く取らず、低い者も何も得ないということはない。公平であることを示すのである。恵みが公平であれば政治が行われ、政治が行われれば事が成り、事が成れば功が立つ。功が立つ理由を知らなければならない。俎は、恵みが必ず公平でなければならないことを明らかにするためのものである。政治を巧みに行う者はこのようにする。だから「政治の公平さが示される」というのである。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』仁義と富貴・効力の有無は其人に在り俚諺に「銭ほど阿弥陀は光る」と言って、十銭投げれば十銭だけ光る、二十銭投げれば二十銭だけ光ると計算している。また「地獄の沙汰も金次第」というに至りては、すこぶる評し得て皮肉の感がないでもないが、またもって金の効能のいかに大きいものであるかを表したものと見ることが出来る。一例を挙げると、東京停車場へ行って汽車の切符を買うとするに、いかなる富豪でも、赤切符を買えば三等にしか乗れない。またいかに貧人でも、一等切符を買えば一等に乗れる。これは全く金の効能である。とにかく金にはある偉大なる力あることを拒む訳にはならぬ。いかに多く財を費やしても、唐辛を甘くすることは出来ないけれども、無限の砂糖をもってその辛味を消すことは出来る。また平生苦り切ってやかましく言っている人でも、金のためにはすぐ甘くなるのは世間普通のことで、政治界などによく見る例である。
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『慎思録』巻之五天地の間、人を殺すこと最も多き者、四件有り。刑・兵・歳・病なり。刑罰を省き曲直を明らかにすれば、則ち寃死無し。乱源を禁遏すれば、則ち兵死無し。歳の凶なるに方りて、窮民を周恤すれば、則ち餓死無し。医を択びて病を済へば、則ち枉死無し。政に従ふ者、知らざるべからず。
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論語・為政篇或るひと孔子に謂いて曰く、「子奚ぞ政を為さざる。」子曰く、「書に云う、『孝なるかな惟れ孝、兄弟に友なり。』有政に施すと。是れも亦た政を為すなり。奚ぞ其れ政を為すことのみを為さんや。」
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論語・顔淵篇季康子、政を孔子に問う。孔子対えて曰く、「政とは、正なり。子帥いるに正を以てせば、孰か敢えて正しからざらん。」
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『慎思録』巻之二政を為すの道は、教養の二者、闕くべからず。二者は養を先と為し、教之に次ぐ。是れ先づ養ひて而る後に教ふるなり。舜は先づ后稷をして民に稼穡を教へしめ、五穀熟して民人育す。而る後に契をして司徒と為し、教ふるに人倫を以てせしむ。此れ養ひて而る後に教ふるなり。既に之を養ひ又之を教へて、民従はず。所以に刑有りて其の罪を正し、民をして教へに従はしむるなり。是を以て舜又皐陶に命じ、士と為りて五刑を司らしむ。其の序の紊るべからざること此くの如し。夫れ後世の政にも、亦た刑法有り。既に刑法有れば、則ち復た先づ教へ無かるべからず。孔子曰く、教へずして殺す、之を虐と謂ふ、と。此れ以て聖人の政は、養を先にし中ごろ教へ刑を後にす。蓋し既に養ひ且つ教へて、苟も従はざる者有らば、已むを得ずして刑を用ゐるのみ。
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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