論語と算盤 / 常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道
余は此の如き手段方法が即ち意志の鍛錬であると思ふのである。一口に意志の鍛錬といふもの〻、それには善悪の二者がある、例へば、石川五右衛門の如きは悪い意志の鍛錬を経たもので、悪事にかけては頗る意志の鞏固な男であつたと云つて差支ない、けれども意志の鍛錬が人生に必要だからとて、何も悪い意志を鍛錬するの必要はないので、自分も亦それに就て説を立てる訳ではないが、常識的判断を誤つた鍛錬の仕方をやれば、悪くすると石川五右衛門を出さぬとも限らない、それゆゑ意志鍛錬の目標は、先づ常識に問うて然る後事を行ふが肝要である、斯うして鍛錬した心を以て事に臨み人に接するならば、処世上過誤なきものと謂つて宜しからうと思ふ。
書き下し
余はかくのごとき手段方法がすなわち意志の鍛錬であると思うのである。一口に意志の鍛錬というものの、それには善悪の二者がある。例えば、石川五右衛門のごときは悪い意志の鍛錬を経たもので、悪事にかけてはすこぶる意志の鞏固な男であったと言って差支えない。けれども意志の鍛錬が人生に必要だからとて、何も悪い意志を鍛錬するの必要はないので、自分もまたそれについて説を立てる訳ではないが、常識的判断を誤った鍛錬の仕方をやれば、悪くすると石川五右衛門を出さぬとも限らない。それゆえ意志鍛錬の目標は、まず常識に問うてしかる後事を行うが肝要である。こうして鍛錬した心をもって事に臨み人に接するならば、処世上過誤なきものと言ってよろしかろうと思う。
現代語訳
私は、このような手段方法こそが意志の鍛錬であると思う。一口に意志の鍛錬と言っても、それには善いものと悪いものの二つがある。たとえば、石川五右衛門などは悪い意志の鍛錬を経た者で、悪事にかけてはたいへん意志の強固な男だったと言って差し支えない。けれども、意志の鍛錬が人生に必要だからといって、何も悪い意志を鍛錬する必要はないのであって、私もそれについて説を立てるわけではない。だが、常識的な判断を誤った鍛錬の仕方をすれば、悪くすると石川五右衛門のような者を出さないとも限らない。だから意志を鍛錬する目標は、まず常識に問うて、それから事を行うことが肝要である。こうして鍛錬した心で事に臨み、人に接するなら、世を渡るうえで過ちはないと言ってよかろうと思う。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道例えば、道理を楯にして言葉巧みに勧められでもすると、思わず知らず、平生自己の主義主張とする所よりも反対の方向に踏み入らざるを得ないようになって行くものである。かくのごときは無意識のうちに自己の本心を滅却されてしまうこととなるのであるが、そのような場合に際会しても、頭脳を冷静にしてどこまでも自己を忘れぬように注意することが、意志の鍛錬の要務である。もしそういう場合に遭遇したなら、先方の言葉に対し、常識に訴えて自問自答して見るがよい。その結果、先方の言葉に従えば一時は利益に向かい得られるが、後日に不利益が起こって来るとか、あるいはこの事柄に対してこう処断すれば、目前は不利でも将来のためになるとか、明瞭に意識されるものである。もし目前の出来事に対し、かくのごとき自省が出来たならば、自己の本心に立ち帰るはすこぶる容易なことで、従って正に就き邪に遠ざかることが出来る。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道かく論じ来れば、意志の鍛錬には常識が必要であるという事になって来るが、常識の養成については別に詳説してあるからここには省くとしても、やはりその根本は孝悌忠信の思想によらなければならぬ。忠と孝とこの二者より組み立てたる意志をもって、何事も順序よく進ませるようにし、また何事によらず、沈思黙考して決断するならば、意志の鍛錬において間然する所はないと信ずる。しかしながら事件は沈思黙考の余地ある場合にのみ起こるものでない。唐突に湧き起こったり、さなくとも人と接した場合なぞに、その場で何とか応答の辞を吐かねばならぬことがいくらもある。そういう機会にはあまり熟慮している時間がないから、即座に機宜を得た答えをしなければならぬが、平素鍛錬を怠った者には、その場に適当な決定をすることがちょっと出来がたい。従って勢い本心に反したような結末を見なければならぬ。ゆえに何事も平素においてよく鍛錬を重ねるならば、ついにはそれがその人の習慣性となりて、何事に対しても動ずる色なきを得るに至るであろう。
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『論語と算盤』常識と習慣・正に就き邪に遠ざかるの道およそ事物に対し「かくせよ」「かくするな」というがごとき正邪曲直の明瞭なる者は、直ちに常識的判断を下し得るが、場合によってはそれも出来かねることがある。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものか動きやすい情を控制するものは鞏固なる意志よりほかはない。しかり、意は精神作用中の本源である。鞏固なる意志があれば人生においては最も強みある者となる。けれどもいたずらに意志ばかり強くて、これに他の情も智も伴わなければ、ただ頑固者とか強情者とかいう人物となり、不理屈に自信ばかり強くて、自己の主張が間違っていても、それを矯正しようとはせず、どこまでも我を押し通すようになる。もちろんこういう風の人も、ある意味から見れば尊ぶべき点がないでもないが、それでは一般社会に処すべき資格において欠けている。いわば精神的の片輪で完全の人とは言われない。意志の鞏固なる上に聡明なる智恵を加味し、これを調節するに情愛をもってし、この三者を適度に調合したものを大きく発達せしめて行ったのが、始めて完全なる常識となるのである。現代の人はよく口癖のように意志を強く持てと言うが、意志ばかり強くてもやはり困り者で、俗にいう「猪武者」のような者になっては、いかに意志が強くても社会にあまり有用の人物とは言えないのである。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切しかるにとかく人心は変態を生じがちのもので、常時は『かくあるべし』『かくすべし』と堅く決心していた者も、急転して知らず知らずに自ら自己の本心を誘惑し、平素の心事と全く別所にこれを誘うような結果をもたらすがごときは、常時における精神修養に欠くる所があり、意志の鍛錬が足らぬより生ずることである。かくのごときは随分修養も積み鍛錬を経た者でも惑わされることのないとは言われぬものだから、いわんや社会的経験の少ない青年時代などには、いやが上に注意を怠ってはならぬ。もし平生自己の主義主張としていたことが、事に当たって変化せねばならぬようなことがあるならば、よろしく再三再四熟慮するがよい。事を急激に決せず、慎重の態度をもってよく思い深く考えるならば、自ずと心眼の開くものもありて、ついに自己本心の住家に立ち帰ることが出来る。この自省熟考を怠るのは、意志の鍛錬にとって最も大敵であることを忘れてはならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切総じて世の中のことは心のままにならぬが多い。独り形の上に表れている事物ばかりでなく、心に属することも間々そういうことがある。例えば、一度こうと心の中に堅く決心したことでも、何かふとしたことからにわかに変ずる。人から勧められてついにその気になると言ったような事もあるが、それが必ずしも悪意の誘惑でないまでも、心の遷転から起こることで、かくのごときは意志の弱いのであると言わねばなるまい。自ら決心して動かぬと覚悟していながら、人の言葉によりて変ずるがごときは、もとより意志の鍛錬の出来ているものではない。とかく平生の心掛けが大切である。平素その意中に『こうせよ』とか『こうせねばならぬ』とか、事物に対する心掛けが的確に決まっているならば、いかに他人が巧妙に言葉を操っても、うかとそれに乗せられるようなことはない訳だ。ゆえに何人も問題の起こらぬ時においてその心掛けを錬っておき、そして事に会し物に触れた時、それを順序よく進めるが肝要である。
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