論語と算盤 / 常識と習慣・偉き人と完き人
併しながら政治の理想的に行はる〻も国民の常識に竢ち、産業の発達進歩も実業家の常識に負ふ所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬでは無いか、況んや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識といふよりは、寧ろ健全なる常識ある人に依つて支配されて居るを見れば、常識の偉大なることは言ふまでもないのである。
書き下し
しかしながら政治の理想的に行わるるも国民の常識にまち、産業の発達進歩も実業家の常識に負う所が多いとすれば、否でも常識の修養に熱中しなければならぬではないか。いわんや社会の実際に徴するに、政治界でも、実業界でも、深奥なる学識というよりは、むしろ健全なる常識ある人によって支配されているを見れば、常識の偉大なることは言うまでもないのである。
現代語訳
しかしながら、政治が理想的に行われるのも国民の常識にかかっており、産業の発達と進歩も実業家の常識に負うところが大きいとすれば、いやでも常識の修養に熱心にならなければならないではないか。まして社会の実際に照らしてみれば、政界でも実業界でも、深遠な学識のある人というより、むしろ健全な常識のある人によって動かされているのを見れば、常識の偉大さは言うまでもないのである。
解説
章の結論部である。青年が常識の修養を退屈がるのは分かる、しかし、と渋沢は切り返す。政治がうまく行くかどうかは国民の常識にかかり、産業が伸びるかどうかは実業家の常識にかかっている。ならば嫌でも常識を磨かねばならない。そして実際の政界・実業界を動かしているのは、深い学識の持ち主よりも健全な常識の持ち主だ、と観察を添える。渋沢は大蔵省で制度づくりに携わり、民間に移ってからは数多くの会社の設立や経営を助けた。学者でも政治家でもなく、両方の世界を実務家として見てきた人の評価である。ここで言う常識は、世間並みという意味ではない。智・情・意の釣り合いがとれ、物事を偏りなく判断できる力を指す。学歴や専門知識が重んじられる今日でも、現場で信頼されるのは結局この意味での常識の人だ、という指摘は古びていない。
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人社会の諸設備が今日のごとく整頓し発達している際には、常識に富んだ人がたくさんにいて働けば、それで何らの欠乏も不足もない訳で、偉い人の必要は、ある特殊の場合を除いては、これを認むることが出来ない。およそ人の青年期ほど思想が一定せず、奇を好んで突飛な行動に出でんとする時代は少なかろう。それも年を経るに従い、次第に着実になって行くものだが、青年時代には多くの人の心は浮動している。しかるに常識というものはその性質が極めて平凡なものであるから、奇矯を好み突飛を好む青年時代に、この平凡な常識を修養せよというは、彼らの好奇心と相反する所があろう。偉い人になれと言わるれば進んでこれに賛成するが、完き人となれと言わるれば、その多くはこれを苦痛に感ずるのが彼らの通有性である。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人偉き人と完き人とは大いに違う。偉い人は人間の具有すべき一切の性格にたとい欠陥があるとしても、その欠陥を補って余りあるだけ他に超絶した点のある人で、完全なる人に比すれば、言わば変態である。それに反して完き人は、智情意の三者が円満に具足した者、すなわち常識の人である。余はもちろん偉い人の輩出を希望するのであるけれども、社会の多数人に対する希望としては、むしろ完き人の世に隈なく満たんことを欲する。つまり常識の人の多からんことを要望する次第である。偉い人の用途は無限とは言えぬが、完き人ならいくらでも必要な世の中である。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかおよそ人として世に処するに際し、常識はいずれの地位にも必要で、またいずれの場合にも欠けてはならぬことである。しからば常識とはいかなるものであろうか。余は次のごとく解釈する。
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『論語と算盤』常識と習慣・何をか真才真智と謂ふおよそ人の世に立つについて最も肝要なるものは、智慧を増して行かねばならぬ。すべて一身の発達、国家の公益を図るにも、智識というものがなければ進んで行くことは出来ぬけれども、しかしそれ以上に人は人格というものを養って行かなくてはならぬ。いわゆる人格の修養、これは極めて大切なことだろうと思う。ただし人格という定義はいかに論断せらるるか知らないが、稀には少しは非常識ともいうべき英雄豪傑に人格崇高な人があるから、果たして人格と常識が必ず一致するものであろうかどうか。人が完全に役に立ち、公にも私にも、必要にしていわゆる真才真智というのは、多くは常識の発達にあると言っても誤りないと思うのである。
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『論語と算盤』常識と習慣・常識とは如何なるものかすなわち事に当たりて奇矯に馳せず、頑固に陥らず、是非善悪を見分け、利害得失を識別し、言語挙動すべて中庸に適うものがそれである。これを学理的に解釈すれば「智、情、意」の三者がおのおの権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だろうと考える。さらに換言すれば、普通一般の人情に通じ、よく通俗の事理を解し、適宜の処置を取り得る能力がすなわちそれである。
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『論語と算盤』常識と習慣・偉き人と完き人史乗などに見ゆる所の英雄豪傑には、とかく智情意の三者の権衡を失した者が多いようである。すなわち意志が非常に強かったけれども智識が足りなかったとか、意志と智慧とは揃っていたが、情愛に乏しかったとかいうがごとき性格は、彼らの間にいくらもあった。かくのごときものはいかに英雄でも豪傑でも常識的の人とは言われない。なるほど、一面から見れば非常に偉い点がある、超凡的な所がある、普通一般人の企及すべからざる点があるには相違ないが。
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