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論語と算盤 / 常識と習慣・習慣の感染性と伝播力

殊に習慣は少年時代が大切であらうと思ふ、記憶の方から云うても、少年時代の若い頭脳に記憶したことは、老後に至つても多く頭脳の中に明確に存して居る、余の如きも如何なる時の事をよく記憶して居るかと云へば、矢張少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年の時に読んだことを最もよく覚えて居る、昨今いくら読んでも、其の方は読む先から皆忘れて仕舞ふ、さういふ訳であるから習慣も少年時代が最も大切で、一度習慣となつたなら、其れは固有性となつて終生変ることはない、のみならず、幼少の頃から青年期を通じては、非常に習慣の着き易い時である、それ故に此の時期を外さず良習慣をつけ、それをして固性とするやうにしたいものである、余は青年時代に家出して天下を流浪し、比較的放縦な生活をしたことが習慣となつて、後年まで悪習慣が直らなくて困つたが、日々悪い習慣を直したいとの一念から、大部分はこれを矯正することが出来た積りである、悪いと知りつ〻改められぬのは、つまり克己心の足らぬのである、

書き下し

ことに習慣は少年時代が大切であろうと思う。記憶の方から言っても、少年時代の若い頭脳に記憶したことは、老後に至っても多く頭脳の中に明確に存している。余のごときもいかなる時の事をよく記憶しているかと言えば、やはり少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年の時に読んだことを最もよく覚えている。昨今いくら読んでも、その方は読む先から皆忘れてしまう。そういう訳であるから習慣も少年時代が最も大切で、一度習慣となったなら、それは固有性となって終生変わることはない。のみならず、幼少の頃から青年期を通じては、非常に習慣の着きやすい時である。それゆえにこの時期を外さず良習慣をつけ、それをして固性とするようにしたいものである。余は青年時代に家出して天下を流浪し、比較的放縦な生活をしたことが習慣となって、後年まで悪習慣が直らなくて困ったが、日々悪い習慣を直したいとの一念から、大部分はこれを矯正することが出来たつもりである。悪いと知りつつ改められぬのは、つまり克己心の足らぬのである。

現代語訳

とりわけ習慣は少年時代が大切だと思う。記憶の面から言っても、少年時代の若い頭に覚えたことは、年をとってからもはっきりと頭の中に残っているものが多い。私自身、どの時期のことをよく覚えているかと言えば、やはり少年時代のことで、経書でも歴史でも、少年のときに読んだものをいちばんよく覚えている。近ごろはいくら読んでも、読んだそばから皆忘れてしまう。そういうわけだから、習慣も少年時代がいちばん大切で、ひとたび習慣になれば、それは固有の性質となって一生変わらない。そればかりか、幼いころから青年期にかけては、とても習慣がつきやすい時期である。だからこの時期を逃さずに良い習慣をつけ、それを固い性質にしてしまいたいものだ。私は青年時代に家を出て天下を流浪し、わりあい放縦な生活をしたことが習慣になって、後年まで悪い習慣が直らずに困ったが、毎日悪い習慣を直したいという一念から、大部分は矯正できたつもりである。悪いと知りながら改められないのは、つまるところ克己心が足りないのである。

解説

習慣がいつ固まるかを論じた段である。渋沢は自分の記憶を証拠にする。少年期に読んだ経書や歴史はよく覚えているのに、近ごろ読むものは片端から忘れる、と。だから良い習慣は若いうちにつけよ、という助言になる。しかし段の後半で、彼は自分の失敗を隠さない。青年期に家を出て天下を流浪した、というのは、尊王攘夷の志を抱いて故郷の血洗島を離れ、やがて一橋家に仕えるまでの時期を指すと見てよい。その間の放縦な暮らしが癖になり、後年まで直らなかった。それでも毎日の一念で大部分は直した、と言う。結論は厳しい。悪いと知りながら改めないのは、若さや性分のせいではなく克己心が足りないからだ、と。習慣は若いうちに固まるが、固まった後も意志で動かせる。この二つを同時に述べているのがこの段の要点である。

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