論語と算盤 / 常識と習慣・人生は努力にあり
怠惰は何所までも怠惰に終るものであつて、決して怠惰から好結果が生れることは断じてない、乃ち坐つて居れば立ち働くより楽なやうであるが、久しきに亙ると膝が痛んで来る、それで寝転ぶと楽であらうと思ふが、これも久しきに亙ると腰が痛み出す、怠惰の結果は矢張り怠惰で、それが益々甚しくなる位が落である、故に人は良き習慣を造らねばならぬ、即ち勤務努力の習慣を得るやうにせねばならぬ。
書き下し
怠惰はどこまでも怠惰に終わるものであって、決して怠惰から好結果が生まれることは断じてない。すなわち坐っていれば立ち働くより楽なようであるが、久しきにわたると膝が痛んで来る。それで寝転ぶと楽であろうと思うが、これも久しきにわたると腰が痛み出す。怠惰の結果はやはり怠惰で、それがますます甚だしくなるくらいが落ちである。ゆえに人は良き習慣を造らねばならぬ。すなわち勤務努力の習慣を得るようにせねばならぬ。
現代語訳
怠惰はどこまでも怠惰に終わるもので、怠惰から良い結果が生まれることは決してない。坐っていれば立ち働くより楽なようだが、長く続ければ膝が痛んでくる。それなら寝転べば楽だろうと思うが、これも長く続ければ腰が痛み出す。怠惰の結果はやはり怠惰であって、それがますますひどくなるのが落ちである。だから人は良い習慣を作らねばならない。すなわち、務めに励むという習慣を身につけるようにせねばならないのだ。
解説
七十四歳の渋沢が、毎朝七時前に起きて来訪者に会っていると書いたうえでの一段である。楽を求めて坐り、坐り疲れて寝転び、寝転んで腰を痛める——怠惰は楽に到達せず、より深い怠惰に沈むだけだという観察が的確だ。章の後半では、学問だけで成功できると思うのは大きな誤解だと述べ、論語の子路の言「何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学ぶと為ん」を善しとしている。知識は働かせなければ何の役にも立たず、働かせることが勉強だ、という立場である。締めくくりは医者と病人のたとえだ。日ごろ養生を怠って、いざ病気のときだけ駆け込む。事は平生にある、と。
この章句が説くこと
人生は努力にあり怠惰の結果は怠惰勤務努力の習慣事は平生にあり習慣学び
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