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論語と算盤 / 常識と習慣・悪んで其の美を知れ

つまり道理ある所には自ら進んで世話をしてやる気になるのであるが、爾ういふことも後日になつて見ると、あの人は善くなかつた、あの事柄は見違へたといふことが無いではない、併し悪人必ずしも悪に終るものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものなら其人を善に導いてやりたいと考へ、最初より悪人たることを知りつ〻世話してやることもある。

書き下し

つまり道理ある所には自ら進んで世話をしてやる気になるのであるが、そういうことも後日になって見ると、あの人は善くなかった、あの事柄は見違えたということが無いではない。しかし悪人必ずしも悪に終わるものでなく、善人必ずしも善を遂げるものとも限らぬから、悪人を悪人として憎まず、出来るものならその人を善に導いてやりたいと考え、最初より悪人たることを知りつつ世話してやることもある。

現代語訳

つまり道理のあるところには、自分から進んで世話をする気になるのだが、そうしたことも後になってみると、あの人はよくなかった、あの件は見違えた、ということがないではない。しかし悪人が必ず悪のまま終わるとは限らず、善人が必ず善を遂げるとも限らない。だから悪人を悪人として憎まず、できるならその人を善へ導いてやりたいと考えて、最初から悪人だと知りながら世話をしてやることもある。

解説

「渋沢は清濁併せ呑む男だ」という世評に、渋沢自身が答えた章である。ある人が面と向かって詰問した——論語を処世の根本としながら、世間に指弾される人物まで平然と近づけるのは、あなたの人格を傷つけるのではないか。渋沢の答えがこの一段だ。人を見誤ることはある。それでも悪人を悪人として憎まない。人は固定されていないという前提に立つからである。章の題「悪んで其の美を知れ」は礼記の言葉で、憎む相手にも良いところを見よ、という意味になる。ただし渋沢は無条件に助けたわけではない。同じ章で、道理のない依頼はその非を説いて断ると書いている。呑むのは人であって、要求ではない。

この章句が説くこと

悪んで其の美を知れ清濁併せ呑む悪人必ずしも悪に終わらず道理ある所

この一句を、あなたの毎日に。

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