論語と算盤 / 常識と習慣・悪んで其の美を知れ
余が此の行為を他人から見たならば、何もさういふ手紙を一々見たり、さういふ人に悉く会ふ必要はないと云ふであらう、けれども若し夫等に対して面会を謝絶したり、手紙を見なかつたりすることは、余が平素の主義に反する行為となる、それゆゑ自ら雑務が多くなつて、寸暇もなくなる故困るとは知りながらも、主義の為に余計な手数をもかける訳である。
書き下し
余がこの行為を他人から見たならば、何もそういう手紙を一々見たり、そういう人にことごとく会う必要はないと言うであろう。けれどももしそれらに対して面会を謝絶したり、手紙を見なかったりすることは、余が平素の主義に反する行為となる。それゆえ自ら雑務が多くなって、寸暇もなくなるゆえ困るとは知りながらも、主義のために余計な手数をもかける訳である。
現代語訳
私のこうした振る舞いを他人から見たならば、何もそんな手紙をいちいち見たり、そんな人にすべて会ったりする必要はない、と言うだろう。けれども、もしそうした人々との面会を断ったり、手紙を見なかったりすれば、それは私の日ごろの主義に反する行為になる。だから、おのずと雑務が多くなって少しの暇もなくなり、困るとはわかっていながらも、主義のために余計な手間をかけているのである。
解説
合理的に考えれば、道理のない手紙や面会はすべて断ったほうがよい。渋沢もそれは分かっている。他人から見れば無駄に見えるだろう、と自分で言っている。それでも続けるのは、面会を謝絶し手紙を読まないことが、平素の主義に反するからである。ここで渋沢は、主義とは都合のよいときだけ守るものではない、という当たり前だが難しいことを示している。人の能を助け、世に埋もれた善事を拾い上げるという主義は、無駄に終わる手紙の山を読む手間と切り離せない。大半が無駄でも、その中に助けるべき一人がいるかもしれない。その一人のために全部を読む。効率だけで判断すれば切り捨てられる手間を、主義の代価として引き受ける姿勢である。何を大事にしているかは、それにどれだけの手間を払っているかに表れるのである。
関連する章句
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ自己の懐抱する主義がこうであるから、面会を求めて来る人には必ず会うて談話する。知人としからざるとの別なく、自分に差し支えなければ、必ず面会して先方の注意と希望を聞くことにしている。それであるから来訪者の希望が道理にかなっていることと思う場合ならば、相手の何人たるを問わず、その人の希望をかなえてやる。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れしかるに余がこの門戸開放主義につけ込んで、非理を要求して来る人があって困る。例えば、見ず知らずの人から生活上の経費を貸してくれと申し込まれたり、あるいは親が身代不如意のため、自分は中途から学資を絶たれて困るから、今後何年間学資の補助を仰ぎたいとか、またはかくかくの新発明をしたから、この事業を成立させるまで助勢を乞うとか、甚だしきに至っては、これこれの商売を始めたいから資本を入れてくれとか、ほとんどこの種の手紙が月々何十通となく舞い込んで来る。余はその表面に自己の宛名がある以上、必ずそれを読むの義務があると思うので、そういう手紙の来るごとに、きっと目を通すことにしている。また自ら余が家に来りてこの種の希望を述べる者もあるので、余はそれらの人々にも面会するが、しかしこれらの希望や要求というものには道理のないのが多いから、手紙の方はことごとく自身では断り切れぬけれども、特に出向いて来た人に対しては、その非理なる所以を説いて断るようにしている。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れなるほどそう言われて見ると、この評もあるいはしからんと、自ら思い当たることがないでもない。しかしながら余は別に自己の主義とする所があって、およそ世事に処するに当たっては、一身を立つると同時に社会の事に勤め、能う限り善事を殖やし、世の進歩を図りたいとの意念を抱持している。したがって単に自己の富とか、地位とか、子孫の繁栄とかいうものは第二に置き、もっぱら国家社会のために尽くさんことを主意とするものである。されば人のために謀って善をなすことに心掛け、すなわち人の能を助けて、それを適所に用いたいとの念慮が多いのである。この心掛けがそもそも世人から誤解を招くに至った所以ではあるまいか。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余が実業界の人となって以来、接触する人も年々その数を増し、そしてそれらの人々が余の行う所に見倣いて、各々長ずる所によりて事業を精励すれば、たといその人自身は自己の利益のみを図るの目的に出るとしても、従事する業務が正しくありさえすれば、その結果は国家社会のためになるから、余は常にこれに同情し、その目的を達しさせてやりたいと思うている。これは単に直接利益を計る商工業者に対しての場合のみならず、文筆に携わる人に対しても、やはり同一主義の下に接して来た。例えば新聞雑誌等に従事している者が来て余に説を請う時にも、余が説を掲載して幾分なりともその価値を高め得るものとすれば、自説はたとい価あるものでないと思うても、請う人の真実心より出たものならばこれを斥けない。それらの人々の希望を容れてやるのは、ひとり希望する人のためのみならず、社会の利益の一部分ともなろうかと考えるので、非常に多忙の時間を割いてその要求に応ずる次第である。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れ余はややもすれば世人より誤解されて、渋沢は清濁併せ呑むの主義であるとか、正邪善悪の差別を構わぬ男であるとか評される。先頃もある者が来て真っ向から余に詰問し、「足下は日頃論語をもって処世上の根本主義とせられ、また論語主義をもって自ら行われつつあるにもかかわらず、足下が世話される人の中には、全く足下の主義と反し、むしろ非論語主義の者もあり、社会より指弾さるる人物をも、足下は平然としてこれを近づけ、虚然として世評に関せざるがごとき態度を取らるるが、かくのごときは足下が高潔なる人格を傷つくるものではあるまいか、その真意が聞きたい」とのことであった。
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『論語と算盤』常識と習慣・悪んで其の美を知れそしてそれらの人の言って来た事柄でも、または知己から頼まれたことでも、道理にかなっていることであれば、余はその人のため、二つには国家社会のために自力の及ぶ程度において力を貸してやる。
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