論語と算盤 / 立志と学問・一生涯に歩むべき道
武士となると同時に、当時の政体を何うにか動かすことは出来ないものであらうか、今日の言葉を借りて云へば、政治家として国政に参与して見たいといふ大望を抱いたのであつたが、抑もこれが郷里を離れて四方を流浪するといふ間違を仕出来した原因であつた、斯くて後年大蔵省に出仕するまでの十数年間といふものは、余が今日の位置から見れば、殆んど無意味に空費したやうなものであつたから、今この事を追憶するだに尚ほ痛恨に堪へぬ次第である。
書き下し
武士となると同時に、当時の政体をどうにか動かすことは出来ないものであろうか、今日の言葉を借りて言えば、政治家として国政に参与して見たいという大望を抱いたのであったが、そもそもこれが郷里を離れて四方を流浪するという間違いをしでかした原因であった。かくて後年大蔵省に出仕するまでの十数年間というものは、余が今日の位置から見れば、ほとんど無意味に空費したようなものであったから、今この事を追憶するだになお痛恨に堪えぬ次第である。
現代語訳
武士になると同時に、当時の政治体制を何とか動かすことはできないものだろうか、今日の言葉を借りれば、政治家として国政に参与してみたい、という大望を抱いたのであったが、そもそもこれが、郷里を離れて各地を流浪するという間違いをしでかした原因であった。こうして後年大蔵省に出仕するまでの十数年間というものは、今日の私の立場から見れば、ほとんど無意味に費やしてしまったようなものであったから、今このことを思い返すだけでも、なお痛恨にたえないのである。
解説
武士になる志は、やがて政治家として国政に参与する大望へふくらんだ。尊王攘夷に燃えて高崎城乗っ取りを計画し、中止して京都へ逃れ、一橋家に仕官し、幕臣となってパリ万国博覧会に随行する。渋沢の二十代は、日本史の上では波乱に富んだ青春として語られることが多い。ところが本人は、大蔵省に出仕するまでの十数年を「殆んど無意味に空費した」と書き、思い出すだけで痛恨に堪えないとまで言う。パリで株式会社や銀行の仕組みを見聞したことが後の実業に生きたのは確かだが、渋沢はそれを言い訳にしない。自分の本領から外れた志で走った年月を、はっきり損失と数えるのである。成功者の回想は往々にして過去を美談に変えるが、渋沢は逆をやっている。若い読者に同じ回り道をさせないための、厳しい自己評価である。
関連する章句
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『論語と算盤』立志と学問・一生涯に歩むべき道余は十七歳の時武士になりたいとの志を立てた。というものはその頃の実業家は一途に百姓町人と卑下されて、世の中からはほとんど人間以下の取扱いを受け、いわゆる歯牙にも掛けられぬという有様であった。そして家柄というものがむやみに重んぜられ、武門に生まれさえすれば智能のない人間でも、社会の上位を占めてほしいままに権勢を張ることが出来たのであるが、余はそもそもこれが甚だ癪に障り、同じく人間と生まれ出た甲斐には、何が何でも武士にならなくては駄目であると考えた。その頃余は少しく漢学を修めていたのであったが、日本外史などを読むにつけ、政権が朝廷から武門に移った径路をつまびらかにするようになってからは、そこに慷慨の気というような分子も生じて、百姓町人として終わるのがいかにも情けなく感ぜられ、いよいよ武士になろうという念を一層強めた。そしてその目的も武士になって見たいというくらいの単純のものではなかった。
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『論語と算盤』立志と学問・一生涯に歩むべき道自白すれば、余の志は青年期においてしばしば動いた。最後に実業界に身を立てようと志したのがようやく明治四五年の頃のことで、今日より追想すればこの時が余にとって真の立志であったと思う。元来自己の性質才能から考えて見ても、政界に身を投じようなどとは、むしろ短所に向かって突進するようなものだと、この時ようやく気がついたのであったが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時のごとき隆昌をいたしたのは、まったく商工業の発達している所以である、日本も現状のままを維持するだけでは、いつの世か彼らと比肩し得るの時代が来よう、国家のために商工業の発達を図りたい、という考えが起こって、ここに始めて実業界の人となろうとの決心がついたのであった。そしてこの時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余にとっての真の立志はこの時であったのだ。
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『論語と算盤』処世と信条・大丈夫の試金石現に余は最初尊王討幕、攘夷鎖港を論じて東西に奔走していたものであったが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それより民部公子に随行して仏国に渡航したのであるが、帰朝して見れば幕府は既に亡びて世は王政に変わっていた。この間の変化のごときは、あるいは自分に智能の足らぬことはあったであろうが、勉強の点については自己の力一杯にやったつもりで、不足はなかったと思う。しかしながら社会の遷転、政体の革新に遇うては、これをいかんともするあたわず、余は実に逆境の人となってしまったのである。その頃逆境におって最も困難したことは今もなお記憶している。当時困難したものは余一人だけでなく、相当の人材中に余と境遇を同じうした者はたくさんにあったに相違ないが、かくのごときは畢竟大変化に際して免れ難い結果であろう。ただしこんな大波瀾は少ないとしても、時代の推移につれて、常に人生に小波瀾あることは止むを得ない。
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