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論語と算盤 / 立志と学問・一生涯に歩むべき道

自白すれば、余の志は青年期に於て屢次動いた、最後に実業界に身を立てやうと志したのが漸く明治四五年の頃のことで、今日より追想すれば此時が余に取つて真の立志であつたと思ふ、元来自己の性質才能から考へて見ても、政界に身を投じやう抔とは、寧ろ短所に向つて突進するやうなものだと、此時漸く気がついたのであつたが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時の如き隆昌を致したのは、全く商工業の発達して居る所以である、日本も現状のま〻を維持するだけでは、何時の世か彼等と比肩し得るの時代が来やう、国家の為に商工業の発達を図りたい、といふ考が起つて、爰に始めて実業界の人とならうとの決心が着いたのであつた、而して此時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余に取つての真の立志は此時であつたのだ。

書き下し

自白すれば、余の志は青年期においてしばしば動いた。最後に実業界に身を立てようと志したのがようやく明治四五年の頃のことで、今日より追想すればこの時が余にとって真の立志であったと思う。元来自己の性質才能から考えて見ても、政界に身を投じようなどとは、むしろ短所に向かって突進するようなものだと、この時ようやく気がついたのであったが、それと同時に感じたことは、欧米諸邦が当時のごとき隆昌をいたしたのは、まったく商工業の発達している所以である、日本も現状のままを維持するだけでは、いつの世か彼らと比肩し得るの時代が来よう、国家のために商工業の発達を図りたい、という考えが起こって、ここに始めて実業界の人となろうとの決心がついたのであった。そしてこの時の立志が後の四十余年を一貫して変ぜずに来たのであるから、余にとっての真の立志はこの時であったのだ。

現代語訳

正直に言えば、私の志は青年期に何度も動いた。最後に実業界に身を立てようと志したのは、ようやく明治四、五年の頃である。いま振り返れば、この時が私にとって本当の立志だったと思う。もともと自分の性質や才能から考えても、政界に身を投じようなどというのは、むしろ短所に向かって突進するようなものだと、この時ようやく気がついた。同時にこうも感じた——欧米諸国があれほど栄えているのは、ひとえに商工業が発達しているからだ。日本が今のままを維持するだけでは、いつになったら彼らと肩を並べられるのか。国家のために商工業の発達を図りたい。そう考えて、はじめて実業界の人となる決心がついた。そしてこの時の志が、後の四十余年を貫いて変わらなかった。だから私にとっての本当の立志は、この時だったのだ。

解説

渋沢の立志は一度ではない。十七歳で武士になりたいと志し、政治家として国政に参与する大望を抱いて郷里を出た。その十数年を彼は「殆んど無意味に空費したやうなもの」と書き、追憶するだけで痛恨に堪えないと言う。三十を過ぎてようやく、政界は自分の短所に向かって突進することだと気づく。そこから四十余年、志は動かなかった。渋沢の結論は残酷なほど実際的だ。志が何度も変わったのは、身の程を知らない志だったからだ、と。裏返せば、続いた志こそが自分の素質に合っていた証拠になる。過去の迷いを美談にせず、前車の覆轍として若い人に差し出しているところが、この章の値打ちである。

この章句が説くこと

真の立志身の程を知る前車の覆轍実業界に身を立てる

この一句を、あなたの毎日に。

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