論語と算盤 / 立志と学問・大立志と小立志との調和
是を要するに、立志は人生てふ建築の骨子で、小立志は其の修飾であるから、最初に夫等の組合せを確と考へてか〻らなければ、後日に至つて折角の建築が半途で毀れるやうなことにならぬとも限らぬ、斯の如く立志は人生に取つて大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである、立志の要は能く己を知り、身の程を考へそれに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである、誰も能く其の程を計つて進むやうに心掛くるならば、人生の行路に於て間違の起る筈は万々ないこと〻信ずる。
書き下し
これを要するに、立志は人生という建築の骨子で、小立志はその修飾であるから、最初にそれらの組合せをしっかと考えてかからなければ、後日に至って折角の建築が半途で毀れるようなことにならぬとも限らぬ。かくのごとく立志は人生にとって大切の出発点であるから、何人も軽々に看過することは出来ぬのである。立志の要はよく己を知り、身の程を考え、それに応じて適当なる方針を決定する以外にないのである。誰もよくその程を計って進むように心掛けるならば、人生の行路において間違いの起こる筈は万々ないことと信ずる。
現代語訳
要するに、立志は人生という建築の骨組みであり、小さな志はその装飾である。だから最初にその組み合わせをしっかり考えてかからないと、後になって、せっかくの建築が途中で壊れることにもなりかねない。このように立志は人生の大切な出発点なのだから、誰も軽々しく見過ごすことはできない。立志の要は、よく自分を知り、身の程を考え、それに応じた方針を決めること以外にはない。誰もが自分の程をよく測って進むよう心がけるなら、人生の道で間違いが起こることは万に一つもないと信じている。
解説
渋沢は志を二階建てで考える。一生を貫く大立志が骨組み、日々わいてくる希望が小立志で装飾にあたる。装飾は移り変わってよい。ただし装飾の変更で骨組みを動かすな、という条件が付く。だから章の題は「調和」である。立て方の手順も具体的だ。頭を冷やし、自分の長所短所を細かく比べ、最も長じたところに志を定める。そのうえで、境遇がそれを許すかを考える——体も頭も学問に向いていても、資力が伴わなければ遂げられない、と例まで挙げる。孔子の「十五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑はず」を、立志が固まるまで二十五年かかった記録として読むのも渋沢らしい。
この章句が説くこと
大立志と小立志人生の骨子と修飾己を知る四十にして惑わず志
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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