導師導古典を学びたいすべての人に

論語と算盤 / 立志と学問・君子の争ひたれ

私は世間で覧らる〻程に、決して謂ゆる円満の人間ではない、一見謂ゆる円満のやうでも、実際は何所かに謂ゆる円満でない所があらうと思ふ、若い時分には固より爾うであつたが、七十の坂を越した今日と雖も、私の信ずる所を動かし之を覆へさうとする者が現はるれば、私は断々乎として其人と争ふことを辞せぬのである、私が信じて自ら正しいとする所は、如何なる場合に於ても決して他に譲ることをせぬ、此所が私の謂ゆる円満でない所だと思ふ、人には老いたると若いとの別なく、誰にでも是れだけの不円満な所が是非あつて欲しいものである、然らざれば人の一生も全く生甲斐のない無意味なものになつて了ふ、如何に人の品性は円満に発達せねばならぬものであるからとて、余りに円満になり過ぎると、過ぎたるは猶ほ及ばざるが如しと、論語の先進篇にも孔夫子が説かれて居る通りで、人として全く品位のないものになる。

書き下し

私は世間で覧らるるほどに、決していわゆる円満の人間ではない。一見いわゆる円満のようでも、実際はどこかにいわゆる円満でない所があろうと思う。若い時分にはもとよりそうであったが、七十の坂を越した今日といえども、私の信ずる所を動かしこれを覆そうとする者が現るれば、私は断々乎としてその人と争うことを辞せぬのである。私が信じて自ら正しいとする所は、いかなる場合においても決して他に譲ることをせぬ。ここが私のいわゆる円満でない所だと思う。人には老いたると若いとの別なく、誰にでもこれだけの不円満な所がぜひあってほしいものである。しからざれば人の一生もまったく生き甲斐のない無意味なものになってしまう。いかに人の品性は円満に発達せねばならぬものであるからとて、あまりに円満になり過ぎると、過ぎたるはなお及ばざるがごとしと、論語の先進篇にも孔夫子が説かれている通りで、人として全く品位のないものになる。

現代語訳

私は、世間で見られているほど、決していわゆる円満な人間ではない。一見いわゆる円満なようでも、実際にはどこかに、いわゆる円満でないところがあるだろうと思う。若いころはもちろんそうであったが、七十の坂を越した今日でも、私の信じるところを動かし、それを覆そうとする者が現れれば、私は断固としてその人と争うことを辞さないのである。私が信じて自ら正しいとするところは、どんな場合にも決して他人に譲ることをしない。ここが私のいわゆる円満でないところだと思う。人には、老いも若きも区別なく、誰にでもこれだけの円満でないところが、ぜひあってほしいものである。そうでなければ、人の一生もまったく生きがいのない、無意味なものになってしまう。いくら人の品性は円満に発達しなければならないものだからといって、あまりに円満になりすぎると、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と『論語』先進篇で孔子が説かれているとおりで、人としてまったく品位のないものになる。

解説

渋沢は円満を捨てるのではなく、円満の中に「不円満な所」を残せと言う。七十を越えても、信じるところを覆そうとする者とは断々乎として争う。自分が正しいと信じることは、どんな場合も譲らない。その一点がなければ人生は生き甲斐のない無意味なものになる、とまで言い切る。根拠に引くのが『論語』先進篇の「過ぎたるは猶ほ及ばざるが如し」である。本来は、子張は行き過ぎ、子夏は足りない、どちらも同じだと孔子が評した言葉で、中庸を説く。渋沢はこれを、円満もまた過ぎれば欠点になる、という意味に転じて使っている。角のない人は、誰とも衝突しない代わりに、誰からも深くは信頼されない。品位とは譲らない一点を持つことだ、という逆説がこの段の核心である。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る