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論語と算盤 / 立志と学問・精神老衰の予防法

亜米利加の学者の一人が、日本を斯く観察したからと言うて、それが大に我国を益するものでも無からうけれども、前にも申す如く、公平なる外国人の批評に鑑みて能くこれに注意し、謂ゆる大国民たる襟度を進めて行かねばならぬ、さう云ふ批評によりて段段に反省し、終に真正なる大国民となる、それと反対に困つた人民だ、斯る不都合がある、といふ批評が重なれば、人が交際せぬ相手にならぬと云ふことになるかも知れぬ、されば一人の評語がどうでも宜いと云うては居られぬ、恰も『君子の道は妄語せざるより始まる』と司馬温公が誡められた如くに、仮初にも無意識に妄語を発するやうになつたならば、君子として人に尊敬されるやうにならぬ、して見ると一囘の行為が一生の毀誉をなすと同じやうに、一人の感想が一国の名声に関すると考へる、メービー氏が左様に感じて帰国したといふことは、些細なことであるけれども、やはり小事と見ぬ方が宜からうと思ふのである。

書き下し

アメリカの学者の一人が、日本をかく観察したからと言うて、それが大いに我が国を益するものでもなかろうけれども、前にも申すごとく、公平なる外国人の批評に鑑みてよくこれに注意し、いわゆる大国民たる襟度を進めて行かねばならぬ。そういう批評によりてだんだんに反省し、ついに真正なる大国民となる。それと反対に困った人民だ、かかる不都合がある、という批評が重なれば、人が交際せぬ、相手にならぬということになるかも知れぬ。されば一人の評語がどうでもよいと言うてはおられぬ。あたかも『君子の道は妄語せざるより始まる』と司馬温公が誡められたごとくに、かりそめにも無意識に妄語を発するようになったならば、君子として人に尊敬されるようにならぬ。して見ると一回の行為が一生の毀誉をなすと同じように、一人の感想が一国の名声に関すると考える。メービー氏がさように感じて帰国したということは、些細なことであるけれども、やはり小事と見ぬ方がよかろうと思うのである。

現代語訳

アメリカの学者の一人が日本をこのように観察したからといって、それがわが国を大いに益するものでもないだろうが、前にも申したように、公平な外国人の批評を手本にしてよくこれに注意し、いわゆる大国民としての度量を進めていかなければならない。そういう批評によって次第に反省し、ついには真の大国民となる。それとは反対に、困った国民だ、こういう不都合がある、という批評が重なれば、人が交際しない、相手にしない、ということになるかもしれない。だから一人の評言などどうでもよい、と言ってはいられない。ちょうど司馬温公(司馬光)が「君子の道は、でたらめを言わないことから始まる」と戒めたように、かりそめにも無意識にでたらめを口にするようになったならば、君子として人に尊敬されるようにはならない。してみると、一回の行為が一生の毀誉褒貶を決めるのと同じように、一人の感想が一国の名声に関わると考える。メービー氏がそのように感じて帰国したということは、些細なことではあるが、やはり小事と見ないほうがよかろうと思うのである。

解説

メービーの評を紹介し終えた渋沢は、その意味を自分の言葉でまとめる。一人の外国人学者の観察が直ちに国を益するわけではない。しかし公平な外国人の批評に照らして反省を重ねれば真の大国民になれるし、逆に困った国民だという評が重なれば、相手にされなくなる。だから一人の評語もどうでもよいとは言えない。ここで引かれるのが、北宋の司馬光の「君子の道は妄語せざるより始まる」である。一回の行為が一生の評判を決めるように、一人の感想が一国の名声に関わる。渋沢はこれを、前の章で説いた小事を侮るなという教えにつなげる。メービーが日本をどう感じて帰国したかは些細なことだが、小事と見ないほうがよい。顧客一人の不満、取引先一社の評判を軽んじる企業は、やがて市場全体の信用を失う。

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