論語と算盤 / 立志と学問・精神老衰の予防法
曾て交換教授として米国より来朝せられたメービー博士が、任満ちて帰国せらる〻に際し、赤誠を傾けて私に語られた種々なる談話の中に、下の如き評語がある、即ちメービー氏の言ふには、私は初めて貴国に来たのであるから、総てのものが珍らしく感じた、如何にも新進の国と見受け得る所は、上級の人も下層の人も、総て勉強して居ると云ふことは、著しく眼に著く、惰けて居る者が甚だ少ない、而して其の勉強が、さも希望を持ちつ〻愉快に勉強するやうに見受けられる、希望を持つといふは、何所までも到達せしむるといふ敢為の気象が尽く備はつて居る、殆んど総ての人が喜びを以て、彼岸に達するといふ念慮を持つて居られるやうに見受けるのは、更に進むべき資質を持つた国民と申上げて宜からうと思ふ、
新字:曽て交換教授として米国より来朝せられたメービー博士が、任満ちて帰国せらる〻に際し、赤誠を傾けて私に語られた種々なる談話の中に、下の如き評語がある、即ちメービー氏の言ふには、私は初めて貴国に来たのであるから、総てのものが珍らしく感じた、如何にも新進の国と見受け得る所は、上級の人も下層の人も、総て勉強して居ると云ふことは、著しく眼に著く、惰けて居る者が甚だ少ない、而して其の勉強が、さも希望を持ちつ〻愉快に勉強するやうに見受けられる、希望を持つといふは、何所までも到達せしむるといふ敢為の気象が尽く備はつて居る、殆んど総ての人が喜びを以て、彼岸に達するといふ念慮を持つて居られるやうに見受けるのは、更に進むべき資質を持つた国民と申上げて宜からうと思ふ、
書き下し
かつて交換教授として米国より来朝せられたメービー博士が、任満ちて帰国せらるるに際し、赤誠を傾けて私に語られた種々なる談話の中に、下のごとき評語がある。すなわちメービー氏の言うには、私は初めて貴国に来たのであるから、すべてのものが珍しく感じた。いかにも新進の国と見受け得る所は、上級の人も下層の人も、すべて勉強しているということは、著しく眼に着く。怠けている者が甚だ少ない。そしてその勉強が、さも希望を持ちつつ愉快に勉強するように見受けられる。希望を持つというは、どこまでも到達せしむるという敢為の気象がことごとく備わっている。ほとんどすべての人が喜びをもって、彼岸に達するという念慮を持っておられるように見受けるのは、さらに進むべき資質を持った国民と申し上げてよかろうと思う。
現代語訳
かつて交換教授としてアメリカから来日されたメービー博士が、任期を終えて帰国されるにあたり、真心を傾けて私に語られたさまざまな話の中に、次のような評言がある。メービー氏が言うには、私は初めて貴国に来たので、すべてのものが珍しく感じられた。いかにも新進の国だと見受けられるのは、上の階層の人も下の階層の人も、みな勉強しているということで、これが著しく目につく。怠けている者がたいへん少ない。しかもその勉強が、いかにも希望を持ちながら愉快に勉強しているように見受けられる。希望を持つというのは、どこまでも到達させようという、物事をやり抜く気性がことごとく備わっているということである。ほとんどすべての人が喜びをもって、向こう岸にたどり着こうという思いを持っておられるように見受けられるのは、さらに進むべき資質を持った国民だと申し上げてよかろうと思う。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法それからまた我が国民性の感情の強いということについても、あまり讃辞を呈さなかった。日本人は細事にもたちまちに激する。そしてまた直ちに忘れる。つまり感情が急激であって、反対にまた健忘性である。これは一等国だ大国民だと自慢なさる人柄としては、すこぶる不適当である。もう少し堪忍の心を持つように修養せねばいけますまい、という意味であった。さらに畏れ多いことであるけれども、国体論にまで立ち入って、彼はその忠言を進めて、実に日本は聞きしに勝ったる忠君の心の深きことは、アメリカ人などにはとても夢想も出来ない、実に羨ましいことと敬服する、かかる国は決して他に看ることは出来ぬであろう、かねてそう思ってはいたが、実地を目撃して真に感佩に堪えぬ。さりながら私として無遠慮に言わしむるならば、この有様を永久に持続するには、将来君権をしてなるべく民政に接触せしめぬようにするのが肝要ではあるまいかと言われた。これらは我々がその当否を言うべきことではない。
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法アメリカの学者の一人が、日本をかく観察したからと言うて、それが大いに我が国を益するものでもなかろうけれども、前にも申すごとく、公平なる外国人の批評に鑑みてよくこれに注意し、いわゆる大国民たる襟度を進めて行かねばならぬ。そういう批評によりてだんだんに反省し、ついに真正なる大国民となる。それと反対に困った人民だ、かかる不都合がある、という批評が重なれば、人が交際せぬ、相手にならぬということになるかも知れぬ。されば一人の評語がどうでもよいと言うてはおられぬ。あたかも『君子の道は妄語せざるより始まる』と司馬温公が誡められたごとくに、かりそめにも無意識に妄語を発するようになったならば、君子として人に尊敬されるようにならぬ。して見ると一回の行為が一生の毀誉をなすと同じように、一人の感想が一国の名声に関すると考える。メービー氏がさように感じて帰国したということは、些細なことであるけれども、やはり小事と見ぬ方がよかろうと思うのである。
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法それらは善い方を賞讃し上げるけれども、ただ善いことのみを申して、悪い批評を言わねば、あるいは諛言を呈する嫌いがあるから、ごく腹蔵のないところを無遠慮に申すとて、私の接触したのが、官辺とか会社とかまたは学校などであったから、余計にそういう事が眼に着いたのかも知れぬけれども、とかく形式を重んずるという弊があって、事実よりは形式に重きを置くということが強く見える。アメリカは最も形式を構わぬ流儀であるから、その眼から特に際立って見えるのかも知れぬけれども、少しく形式に拘泥する弊害が強くなっておりはせぬか。一体の国民性がそれであるとすれば、これはよほど御注意せねばならぬことと思う。またどこの国でも、同じ説が一般に伝わるという訳にはいかぬ。一人が右といえば一人は左という。進歩党があれば保守党がある。政党でも時として相反目する者が生ずるけれども、それがヨーロッパあるいはアメリカであれば、よほど淡泊でかつ高尚だ。しかるに日本のは淡泊でもなければ高尚でもない。
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法しかしこの抽象的の評言は、一概に斥くべきものではなかろうと思うので、いかにも親切のお言葉は私だけに承った、とこう答えて置いた。この他にもなお談話の廉々はあったが、最終にその滞在中の優遇を謝して、この半年の間真率に自分の思うことを述べて、各学校で学生もしくはその他の人々に、親切にせられたことを深く喜ぶと言っておられた。
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『論語と算盤』立志と学問・精神老衰の予防法これについて考えて見ても、お互いに平素あくまで刻苦励精して、今日までに進んだ国運をして、どうぞいや増しに拡張させたいと思うが、それについて一言したいことは、近頃は青年青年と言って、青年説が大変に多い。青年が大事だ、青年に注意しなければならぬと言うは、私も同意するが、私は自分の位置から言うと、青年も大事であるけれども、老年もまた大切であると思う。青年とばかり言うて、老人はどうでもよいと言うのは考え違いではないか。かつて他の会合の時にも言ったが、自分は文明の老人たることを希望する。果たして自分が文明の老人か野蛮の老人か、世評はどうであるか知らぬが、自分では文明の老人のつもりであるが、諸君が見たらあるいは野蛮の老人かも知れぬ。しかしよくよく考察すると、私の青年の時分に比較して見ると、青年の事務に就く年齢がすこぶる遅いと思う。例えば朝の日の出方がよほど遅くなっている。そうして早く老衰して引っ込むと、その活動の時間が大層少なくなってしまう。
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『論語と算盤』理想と迷信・道理ある希望を持て約言すれば、時局の平和となった暁には、別して我々実業に従事する者の責任が重くなるのであろうと思う。ひとり責任が重いのみならず、諸君が経営せらるる事業についても、これがいかになるかという事を予想して、その予想から十分なる道理を考定して、これによって活動せらるるようにありたいと考える。「道理ある希望を持って活発に働く国民」という評語は概括的な言葉であるが、先頃あるアメリカ人が我が同胞を評して、日本人の全体を観察すると、各人皆希望をもって活発に勉強する国民であると言われて、私は大いに悦びました。私もかく老衰してはいるが、向後ますます国家の進運を希望としている。また多数の人々の幸福を増すことを希望としている。実業家諸君もまた同様であろうと思う。時局の有無にかかわらず、いやしくも実業に従事するものはかくありたい、将来はこうしなければならぬという希望は誰もあるに相違ない。
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