論語と算盤 / 処世と信条・得意時代と失意時代
小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定して了ふことがある、それが甚だ宜しくない、小事といふ位であるから、目前に現はれた所だけでは極めて些細なことに見えるので、誰も之を馬鹿にして念を入れることを忘れるものであるが、此の馬鹿にして掛る小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ、また小事にも其の場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思つたことが後日大問題を惹起するに至ることがある、或は些細なことから次第に悪事に進みて、遂には悪人となるやうなこともある、それと反対に小事から進んで次第に善に向ひつ〻行くこともある、始めは些細な事業であると思つたことが、一歩々々に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、之が為め一身一家の幸福となるに至ることもある、是等は総て小が積んで大となるのである、
書き下し
小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定してしまうことがある。それが甚だよろしくない。小事というくらいであるから、目前に現れたところだけでは極めて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして念を入れることを忘れるものであるが、この馬鹿にして掛かる小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ。また小事にもその場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが後日大問題を惹起するに至ることがある。あるいは些細なことから次第に悪事に進みて、ついには悪人となるようなこともある。それと反対に小事から進んで次第に善に向かいつつ行くこともある。始めは些細な事業であると思ったことが、一歩一歩に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、これがため一身一家の幸福となるに至ることもある。これらはすべて小が積んで大となるのである。
現代語訳
小事のほうになると、悪くすると熟慮せずに決めてしまうことがある。それがたいへんよくない。小事というくらいだから、目の前に現れたところだけではきわめて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして念を入れることを忘れるものだが、この馬鹿にしてかかる小事も、積もれば大事になることを忘れてはならない。また小事の中にはその場限りで済むものもあるが、時には小事が大事の糸口となり、ほんの些事と思ったことが後日大問題を引き起こすに至ることがある。あるいは些細なことから次第に悪事に進んで、ついには悪人となるようなこともある。それとは反対に、小事から進んで次第に善に向かっていくこともある。初めは些細な事業だと思ったことが、一歩一歩進んで大きな弊害を生むに至ることもあれば、それによって一身一家の幸福となるに至ることもある。これらはすべて、小が積もって大となるのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代人の不親切とかわがままとかいうことも、小が積んで次第に大となるもので、積り積もれば政治家は政治界に悪影響を及ぼし、実業家は実業上に不成績を来し、教育家はその子弟を誤るようになる。されば小事必ずしも小でない。世の中に大事とか小事とかいうものはない道理、大事小事の別を立ててとやかくいうのは、畢竟君子の道であるまいと余は判断するのである。ゆえに大事たると小事たるとの別なく、およそ事に当たっては同一の態度、同一の思慮をもってこれを処理するようにしたいものである。これに添えて一言して置きたいことは、人の調子に乗るはよくないということである。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代ただし箸の上げ下ろしにも心を労するほど小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するというもので、何もそれほど心を用うる必要の無いこともある。また大事だからとて、さまで心配せずとも済まされることもある。ゆえに事の大小というたとて、表面から観察して直ちに決する訳にはゆかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小に拘わらず、その性質をよく考慮して、しかる後に相当の処置に出るように心掛くるのがよいのである。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代およそ人の禍は多くは得意時代に萌すもので、得意の時は誰しも調子に乗るという傾向があるから、禍害はこの欠陥に喰い入るのである。されば人の世に処するにはこの点に注意し、得意時代だからとて気を緩さず、失意の時だからとて落胆せず、常操をもって道理を踏み通すように心掛けて出ることが肝要である。それとともに考えねばならぬことは大事と小事とについてである。失意時代なら小事もなおよく心するものであるが、多くの人の得意時代における思慮は全くそれと反し、『なにこれしきのこと』と言ったように、小事に対しては殊に軽侮的の態度を取りがちである。しかしながら得意時代と失意時代とに拘わらず、常に大事と小事とについての心掛けを緻密にせぬと、思わざる過失に陥り易いことを忘れてはならぬ。誰でも目前に大事を控えた場合には、これをいかにして処置すべきかと、精神を注いで周密に思案するけれども、小事に対するとこれに反し、頭から馬鹿にして不注意の中にこれをやり過ごしてしまうのが世間の常態である。
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『論語と算盤』処世と信条・得意時代と失意時代「名を成すは常に窮苦の日にあり、事を敗るは多く得意の時に因す」と古人も言っているが、この言葉は真理である。困難に処する時はちょうど大事に当たったと同一の覚悟をもってこれに臨むから、名を成すはそういう場合に多い。世に成功者と目せられる人には、必ず「あの困難をよくやり遂げた」「あの苦痛をよくやり抜いた」というようなことがある。これすなわち心を締めて掛かったという証拠である。しかるに失敗は多く得意の日にその兆しをなしている。人は得意時代に処しては、あたかもかの小事の前に臨んだ時のごとく、天下何事か成らざらんやの気概をもって、いかなることをも頭から呑んで掛かるので、ややもすれば目算が外れてとんでもない失敗に落ちてしまう。それは小事から大事を醸すと同一義である。だから人は得意時代にも調子に乗るということ無く、大事小事に対して同一の思慮分別をもってこれに臨むがよい。
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易経・繋辞下子曰く、「小人は不仁を恥じず、不義を畏れず、利を見ざれば勧まず、威さざれば懲りず。小しく懲らして大いに誡む、此れ小人の福なり。易に曰く、『校を履きて趾を滅す、咎无し』とは、此れを之れ謂うなり」と。「善積まざれば、以て名を成すに足らず。悪積まざれば、以て身を滅ぼすに足らず。小人は小善を以て益无しと為して、而も為さず、小悪を以て傷むこと无しと為して、而も去らず。故に悪積みて掩うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、『校を何いて耳を滅す、凶』」と。
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『論語と算盤』人格と修養・平生の心掛が大切そして得た所の教訓を約言すれば、大略次のごときものがある。すなわち一些事の微に至るまでもこれを閑却するはよろしくない。自己の意志に反することなら事の細大を問うまでもなく、断然これを跳ね付けてしまわねばいけない。最初は些細の事と侮ってやった事が、ついにはそれが原因となって総崩れとなるような結果を生み出すものであるから、何事に対してもよく考えてやらねばならぬ。
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