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易経 / 繋辞下

子曰:「小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,小懲而大誡,此小人之福也。易曰:『履校滅趾无咎,此之謂也』。」「善不積,不足以成名;惡不積,不足以滅身。小人以小善為无益,而弗為也,以小惡為无傷,而弗去也,故惡積而不可掩,罪大而不可解。易曰:『何校滅耳凶』。」

新字:子曰:「小人不恥不仁,不畏不義,不見利不勧,不威不懲,小懲而大誡,此小人之福也。易曰:『履校滅趾无咎,此之謂也』。」「善不積,不足以成名;悪不積,不足以滅身。小人以小善為无益,而弗為也,以小悪為无傷,而弗去也,故悪積而不可掩,罪大而不可解。易曰:『何校滅耳凶』。」

書き下し

子曰く、「小人は不仁を恥じず、不義を畏れず、利を見ざれば勧まず、威さざれば懲りず。小しく懲らして大いに誡む、此れ小人の福なり。易に曰く、『校を履きて趾を滅す、咎无し』とは、此れを之れ謂うなり」と。「善積まざれば、以て名を成すに足らず。悪積まざれば、以て身を滅ぼすに足らず。小人は小善を以て益无しと為して、而も為さず、小悪を以て傷むこと无しと為して、而も去らず。故に悪積みて掩うべからず、罪大にして解くべからず。易に曰く、『校を何いて耳を滅す、凶』」と。

現代語訳

孔子はいわれた。「小人は不仁を恥じず、不義を畏れない。利益が見えなければ励まず、脅されなければ懲りない。小さいうちに懲らしめられて大きな戒めを得る、これは小人にとっての幸いである。易に『足かせをはめられて足の指を損なうが、咎はない』とあるのは、このことをいうのである」と。「善は積まなければ、名を成すには足りない。悪もまた積まなければ、身を滅ぼすには至らない。小人は、小さな善を、やっても得にならないと思って行わず、小さな悪を、これくらい害はないと思って取り除かない。だから悪が積もり積もって隠しきれなくなり、罪が大きくなって解くことができなくなる。易に『首かせをはめられて耳を損なう、凶である』とあるとおりだ」と。

解説

噬嗑の卦の初爻と上爻を引きながら、小さな過ちのうちに正すことの意味を説く一段です。足かせで足の指を損なうのは軽い罰ですが、そのおかげで大きな過ちに至らずにすむ。だから「咎无し」なのだと。逆に、放置し続けた末に首かせをはめられ耳を損なうまでいけば、もはや取り返しがつかない。同じ人物の同じ性向が、正される時期の早い遅いで、まったく違う結末を迎えるわけです。後半の「善積まざれば名を成すに足らず、悪積まざれば身を滅ぼすに足らず」は、善も悪も一度で決まるのではなく、積み重ねで形になるという指摘です。小さな善はやっても無駄に見え、小さな悪は害がないように見える。その見え方こそが落とし穴だといいます。仕事に置き換えれば、小さな不正確な報告、小さな手抜き、小さな約束破り。一つ一つは軽くても、積もれば組織の信頼を根こそぎ奪います。だからこそ、早いうちの小さな叱責は、罰ではなく救いなのです。

この一句を、あなたの毎日に。

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