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論語と算盤 / 処世と信条・大丈夫の試金石

現に余は最初尊王討幕、攘夷鎖港を論じて東西に奔走して居たものであつたが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それより民部公子に随行して仏国に渡航したのであるが、帰朝して見れば幕府は既に亡びて世は王政に変つて居た、此間の変化の如き、或は自分に智能の足らぬことはあつたであらうが、勉強の点に付ては自己の力一杯にやつた積りで、不足はなかつたと思ふ、併しながら社会の遷転、政体の革新に遇うては、之を奈何ともする能はず、余は実に逆境の人となつて仕舞つたのである、其頃逆境に居つて最も困難したことは今も尚ほ記憶して居る、当時困難したものは余一人だけでなく、相当の人材中に余と境遇を同じうした者は沢山にあつたに相違ないが、斯の如きは畢竟大変化に際して免れ難い結果であらう、但しこんな大波瀾は少いとしても、時代の推移に伴れて、常に人生に小波瀾あることは止むを得ない、

書き下し

現に余は最初尊王討幕、攘夷鎖港を論じて東西に奔走していたものであったが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それより民部公子に随行して仏国に渡航したのであるが、帰朝して見れば幕府は既に亡びて世は王政に変わっていた。この間の変化のごときは、あるいは自分に智能の足らぬことはあったであろうが、勉強の点については自己の力一杯にやったつもりで、不足はなかったと思う。しかしながら社会の遷転、政体の革新に遇うては、これをいかんともするあたわず、余は実に逆境の人となってしまったのである。その頃逆境におって最も困難したことは今もなお記憶している。当時困難したものは余一人だけでなく、相当の人材中に余と境遇を同じうした者はたくさんにあったに相違ないが、かくのごときは畢竟大変化に際して免れ難い結果であろう。ただしこんな大波瀾は少ないとしても、時代の推移につれて、常に人生に小波瀾あることは止むを得ない。

現代語訳

現に私は、最初は尊王討幕・攘夷鎖港を論じて東奔西走していたが、後には一橋家の家来となり、幕府の臣下となり、それから民部公子(徳川昭武)に随行してフランスへ渡った。ところが帰国してみると、幕府はすでに滅びて世は王政に変わっていた。この間の変化については、あるいは自分に知恵や能力の足りないところはあったかもしれないが、勉強の点では自分の力いっぱいにやったつもりで、不足はなかったと思う。しかしながら、社会の移り変わりや政体の革新に遭っては、どうすることもできず、私はまったく逆境の人となってしまったのである。そのころ逆境にあって最も困ったことは、今でも覚えている。当時困ったのは私一人だけではなく、相当の人材の中にも私と同じ境遇になった者はたくさんいたに違いないが、こうしたことは結局、大変化に際して免れがたい結果であろう。ただし、これほどの大波乱はまれだとしても、時代の移り変わりにつれて、人生に常に小さな波乱があることはやむをえない。

解説

渋沢が自らの半生を例に、自然的逆境を語る段である。尊王討幕と攘夷を唱えて奔走した青年が、転じて一橋家の家臣となり、慶喜の将軍就任で幕臣となり、慶喜の弟の徳川昭武に随行してパリ万国博覧会へ渡った。帰国した明治元年には、仕えるべき幕府はもう無かった。智能の不足はあったかもしれないが、勉強は力いっぱいやった、と渋沢は言う。それでも政体の革新の前には何もできず、逆境の人となった。この率直な回想には、自分の努力を過小にも過大にも評価しない冷静さがある。そして、同じ境遇の人材は大勢いた、これは大変化の中で免れがたい結果だ、と自分の不運を相対化している。大波乱はまれでも小波乱は常にある、という結びは、逆境が特別な出来事ではなく人生の常態でもあることを示す。業界の再編や勤め先の消滅に遭う人は今も少なくない。

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