論語と算盤 / 処世と信条・時期を待つの要あり
私は、日本今日の現状に対しても、極力争つて見たいと思ふことがないでも無い、幾干もある、就中日本の現状で私の最も遺憾に思ふのは官尊民卑の弊が尚だ止まぬことである、官にある者ならば、如何に不都合なことを働いても、大抵は看過せられてしまふ、偶々世間物議の種を作つて、裁判沙汰となつたり、或は隠居をせねばならぬやうな羽目に遇ふ如き場合もないでは無いが、官にあつて不都合を働いて居る全体の者に比較すれば、実に九牛の一毛、大海の一滴にも当らず、官にある者の不都合の所為は、或る程度までは黙許の姿であると云つても、敢て過言ではないほどである。
書き下し
私は、日本今日の現状に対しても、極力争って見たいと思うことがないでもない、いくらもある。なかんずく日本の現状で私の最も遺憾に思うのは官尊民卑の弊がまだ止まぬことである。官にある者ならば、いかに不都合なことを働いても、たいていは看過せられてしまう。たまたま世間物議の種を作って、裁判沙汰となったり、あるいは隠居をせねばならぬような羽目に遇うごとき場合もないではないが、官にあって不都合を働いている全体の者に比較すれば、実に九牛の一毛、大海の一滴にも当たらず、官にある者の不都合の所為は、ある程度までは黙許の姿であると言っても、あえて過言ではないほどである。
現代語訳
私は、今日の日本の現状に対しても、力を尽くして争ってみたいと思うことがないわけではない。いくらでもある。なかでも日本の現状で私が最も残念に思うのは、官尊民卑の弊害がいまだにやまないことである。官にある者なら、どんなに不都合なことをしても、たいていは見逃されてしまう。たまたま世間の物議の種となって裁判沙汰になったり、あるいは隠居しなければならないような羽目に陥ったりする場合もないではないが、官にあって不都合を働いている者全体に比べれば、まさに九牛の一毛、大海の一滴にも当たらない。官にある者の不都合な行いは、ある程度までは黙認されている有様だと言っても、決して言いすぎではないほどである。
解説
関連する章句
-
『論語と算盤』処世と信条・時期を待つの要ありこれらの点は、私が今日において極力争って見たいと思うところだが、たといいかに私が争ったからとて、ある時期の到来するまでは、到底大勢を一変するわけにゆかぬものと考えているので、目下のところ私は、折に触れ不平を洩らすぐらいに止め、あえて争わず、時期を待っているのである。
-
『論語と算盤』処世と信条・時期を待つの要ありこれに反し、民間にある者は、少しでも不都合の所為があれば、直ちに摘発されて、たちまち縲紲の憂き目に遇わねばならなくなる。不都合の所為あるものはすべて罰せねばならぬとならば、その間に朝にあると野にあるとの差別を設け、一方は寛に一方は酷であるようなことがあってはならぬ。もし大目に看過すべきものならば、民間にある人々に対しても官にある人々に対すると同様に、これを看過して然るべきものである。しかるに日本の現状は、今もって官民の別により寛厳の手心を異にしている。また民間にある者がいかに国家の進運に貢献するような功績を挙げても、その功が容易に天朝に認められぬに反し、官にある者は寸功があったのみでも、すぐにそれが認められて恩賞にあずかるようになる。
-
『論語と算盤』処世と信条・時期を待つの要ありいやしくも人と生まれ――ことに青年時代において、絶対に争いを避けようとするごとき卑屈の根性では、到底進歩する見込みも発達する見込みもなく、また社会進運の上にも争いの必要であることは、言うまでもないのであるが、争いをしいて避けぬと同時に、時期の到来を気長に待つということも、処世の上には必要欠くべからざるものである。私は今日とてももちろん、争わざるべからざるところは争いもするが、半生以上の長い間の経験によって、いささか悟ったところがあるので、若い時におけるがごとくに、争うことをあまり多く致さぬようになったかのごとくに自分ながら思われる。
-
『論語と算盤』理想と迷信・斯の如き矛盾を根絶すべし一体文明とはいかなる意義のものであるか、要するに今日の世界はまだ文明の足らないのであると思う。かく考えると、私は今日の世界に介在して将来我が国家をいかなる風に進行すべきか、また我々はいかに覚悟してよいか、やむ事を得ずばその渦中に入って弱肉強食を主張するよりほかの道はないか、ぜひこれに処する一定の主義を考定して、一般の国民と共にこれによって行くようにしたいと思う。
-
『論語と算盤』成敗と運命・細心にして大胆なれ近頃青年の間に新しい活気が勃興し、大いにその本領を発揮せんとする傾向を生じたのは、すなわち慶賀すべきことなるが、壮年社会に不活溌の傾向が依然として瀰蔓するようでは、憂うべき事と言わねばならぬ。独立不羈の精神を発揮するには、今日のごとく政府万能の状態で、民間の事業が政府の保護に恋々たる状の見えるごとき風を一掃し、鋭意民力を伸張して、政府を煩わさないで事業を発展せしむる覚悟が必要である。また細事に拘泥し部局の事にのみ没頭する結果、法律規則の類を増発し、汲々としてその規定に触れまいとし、あるいはその規定内の事に満足し、齷齪しているようでは、とても新進の事業を経営し、溌溂たる生気を生じ、世界の大勢に駕することは覚束ない。
-
『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す政治界における今日の遅滞は、繁縟に流れるからのことである。官吏が形式的に、事柄の真相に立ち入らずして、例えば、自分にあてがわれた仕事を機械的に処分するをもって満足している。いや官吏ばかりでない、民間の会社や銀行にも、この風が吹き荒んで来つつあるように思う。一体形式的に流れるのは、新興国の元気鬱勃たる所には少ないもので、長い間、風習が続いた古国に多いものである。幕府の倒れたのはその理由からであった。「六国を滅ぼす者は六国なり、秦にあらざるなり」と言ってある。幕府を滅ぼしたるは幕府のほかなかった。大風が吹いても強い木は倒れぬ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る