論語と算盤 / 処世と信条・時期を待つの要あり
これは世の中のことは、斯くすれば必ず斯くなるものである、といふ因果の関係を能く呑込んで了つて、既に或る事情が因をなして或る結果を生じてしまつてる所に、突然横から現はれて形勢を転換しやうとし、如何に争つて見た所が、因果の関係は俄に之を断ち得るものでなく、或る一定の時期に達するまでは、人力で到底形勢を動かし得ざるものであることに想ひ到つたからである、人が世の中に処して行くのには、形勢を観望して気長に時期の到来を待つといふことも、決して忘れてはならぬ心懸である、正しきを曲げんとするもの、信ずる所を屈せしめんとする者あらば、断じて之と争はねばならぬ、青年子弟諸君に勧める傍ら、私はまた気長に時期の到来を待つの忍耐もなければならぬことを、是非青年子弟諸君に考へて置いて貰ひたいのである。
書き下し
これは世の中のことは、かくすれば必ずかくなるものである、という因果の関係をよく呑込んでしまって、既にある事情が因をなしてある結果を生じてしまっているところに、突然横から現れて形勢を転換しようとし、いかに争って見たところが、因果の関係は俄にこれを断ち得るものでなく、ある一定の時期に達するまでは、人力で到底形勢を動かし得ざるものであることに想い到ったからである。人が世の中に処して行くのには、形勢を観望して気長に時期の到来を待つということも、決して忘れてはならぬ心懸けである。正しきを曲げんとするもの、信ずる所を屈せしめんとする者あらば、断じてこれと争わねばならぬ、と青年子弟諸君に勧めるかたわら、私はまた気長に時期の到来を待つの忍耐もなければならぬことを、ぜひ青年子弟諸君に考えて置いてもらいたいのである。
現代語訳
これは、世の中のことはこうすれば必ずこうなる、という因果の関係をよくのみこんだからである。ある事情が原因となって、すでに結果が出てしまっているところへ、突然横から現れて形勢を変えようとしても、因果の関係はにわかに断ち切れるものではない。ある時期が来るまでは、人の力ではとうてい形勢を動かせない——そこに思い至ったのだ。人が世を渡っていくには、形勢を見て気長に時機の到来を待つことも、決して忘れてはならない心がけである。正しいことを曲げようとする者、信じるところを屈服させようとする者がいれば、断固として争わねばならない。若い人たちにそう勧める一方で、私は、気長に時機を待つ忍耐もまた要ることを、ぜひ考えておいてもらいたいのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 田敬仲完世家田忌曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。蚤く之を救ふに如かず」と。孫子曰く、「夫れ韓・魏の兵未だ獘れずして之を救はば、是れ吾韓に代はりて魏の兵を受け、顧って反りて命を韓に聴くなり。且つ魏に国を破るの志有り。韓亡びんとするを見ば、必ず東面して斉に愬へん。吾因りて深く韓の親しみを結びて晩く魏の獘を承けば、則ち利を重ねて尊名を得べきなり」と。宣王曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓因りて斉を恃み、五たび戦ひて勝たず、東のかた国を斉に委ぬ。斉因りて兵を起こし、田忌・田嬰をして将たらしめ、孫子を師と為し、韓・趙を救ひて以て魏を撃ち、大いに之を馬陵に敗り、其の将龐涓を殺し、魏の太子申を虜にす。其の後三晋の王皆田嬰に因りて斉王に博望に朝し、盟ひて去る。七年、魏王と平阿の南に会す。明年、復た甄に会す。魏の恵王卒す。明年、魏の襄王と徐州に会し、諸侯相王とす。十年、楚我が徐州を囲む。十一年、魏と趙を伐つ。趙河水を決して斉・魏に灌ぐ。兵罷む。十八年、秦の恵王王と称す。宣王文学游説の士を喜ぶ。騶衍・淳于髡・田駢・接子・慎到・環淵の徒の如きより七十六人、皆列第を賜ひ、上大夫と為し、治めずして議論せしむ。是を以て斉の稷下の学士復た盛んにして、且に数百千人ならんとす。十九年、宣王卒し、子湣王地立つ。湣王元年、秦張儀をして諸侯の執政と齧桑に会せしむ。三年、田嬰を薛に封ず。四年、婦を秦に迎ふ。七年、宋と魏を攻め、之を観沢に敗る。十二年、魏を攻む。楚雍氏を囲む。秦屈丐を敗る。蘇代、田軫に謂ひて曰く、「臣願はくは公に謁する有らん。其の事を為すこと甚だ完し。楚をして公を利せしめ、成れば福と為り、成らずとも亦福と為さん。
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『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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