司馬法 / 用眾
危而觀其懼;靜而觀其怠;動而觀其疑;襲而觀其治。
新字:危而観其懼;静而観其怠;動而観其疑;襲而観其治。
書き下し
危うくして其の懼るるを観、静かにして其の怠るを観、動きて其の疑うを観、襲いて其の治まるを観る。
現代語訳
危機に陥れてその恐れ方を観察し、静かな状況に置いてその怠り方を観察し、動かしてその迷い方を観察し、不意打ちをしてその統率(冷静さ)ぶりを観察する。
解説
人の本性は、危機に置かれたときの怖がり方、静かなときの緩み方、動いているときの迷い方、不意を突かれたときの取り乱し方に、それぞれ違った形で表れる。平穏なときの姿だけを見て人を判断するのは早計であり、状況が変わったときにこそ本当の姿が見えてくる。誰かと信頼関係を築くときも、様々な局面での相手の様子を思い返すことが、人物を見極める手がかりになる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
人物観察本性局面
関連する章句
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論語・為政篇子曰く、「其の以てする所を視、其の由る所を観、其の安んずる所を察すれば、人焉んぞ廋(かく)さんや、人焉んぞ廋さんや。」
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『不動智神妙録』諫言 其三 人を見る総て人の善し悪しきを知らんと思はヾ、其愛し用ゐらるゝ臣下、又は親み交る友達を以て知ると云へり、主人善なれば其近臣皆善人なり、主人正しからざれば臣下友達皆正しからず、然らば諸人みななみし隣国是れを侮るなり、善なるときは、諸人親むとは此等の事なり、国は善人を以て宝とすと云へりよくよく御体認なさるべし、人の知る所に於て、私の不義を去り小人を遠け賢を好む事を急に成され候はゞ、いよいよ国の政正しく、御忠臣第一たるべく候、
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『論語と算盤』処世と信条・人物の観察法また孟子は『存乎人者、莫良於眸子、眸子不能掩其悪、胸中正、則眸子瞭焉、胸中不正、則眸子眊焉』と、孟子一家の人物観察法を説かれている。すなわち孟子の人物観察法は、人の眼によってその人物のいかんを鑑別するもので、心情の正しからざるものは何となく眼に曇りがあるが、心情の正しいものは、眼が瞭然として淀みがないから、これによってその人のいかなる人格であるやを判断せよというにある。この人物観察法もなかなか的確の方法で、人の眼をよく観て置きさえすれば、その人の善悪正邪はたいてい知れるものである。
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『春秋左氏伝』僖公十一年 礼は国の幹十一年春、晉侯使ひして丕鄭の亂を以て來り告げしむ。天王召の武公・內史過をして晉侯に命を賜はしむ。玉を受くること惰る。過歸りて王に告げて曰く、「晉侯其れ後無からんか。王之に命を賜ひて、瑞を受くるに惰る、先づ自ら棄つるのみ、其れ何の繼ぐこと之れ有らん。禮は、國の幹なり。敬は、禮の輿なり。敬せずんば則ち禮行はれず、禮行はれずんば則ち上下昏し、何を以てか世に長からん」と。夏、揚・拒・泉・皋・伊雒の戎同じく京師を伐ち、王城に入り、東門を焚く、王子帶之を召けばなり。秦・晉戎を伐ちて以て周を救ふ。秋、晉侯戎を王に平らぐ。黃人楚に貢を歸さず。冬、楚人黃を伐つ。
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戦国策・齊魏爭燕斉・魏燕を争う。斉燕王に謂いて曰く、「吾趙を得たり」と。魏も亦燕王に謂いて曰く、「吾趙を得たり」と。燕以て之を決する無く、未だ適う予うる有らず。蘇子燕の相に謂いて曰く、「臣聞く、辞卑くして幣重き者は、天下を失う者なり。辞倨りて幣薄き者は、天下を得る者なり、と。今魏の辞倨りて幣薄し」と。燕因りて魏に合し、趙を得て、斉遂に北げたり。