論語と算盤 / 処世と信条・士魂商才
また人の世に処するの道は、なか〳〵至難のものである、けれども論語を熟読翫味して往けば大に覚る所があるのである、故に私は平生孔子の教を尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことは無い。我邦でも賢人豪傑は沢山に居る、其中でも最も戦争が上手であり、処世の道が巧であつたのは徳川家康公である、処世の道が巧なればこそ、多くの英雄豪傑を威服して十五代の覇業を開くを得たので、二百余年間人々が安眠高枕することの出来たのは実に偉とすべきである、それゆゑ処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されて居る、彼の『神君遺訓』なども、我々処世の道を実に能く説かれて居る、而して其の『神君遺訓』を私が論語と照し合せて見たのに、実に符節を合するが如くであつて、矢張大部分は論語から出たものだと云ふことが分つた、例へば『人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し』とあるのは、論語の『士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎』とある、この曾子の言葉と寔によく合つて居る。
新字:また人の世に処するの道は、なか〳〵至難のものである、けれども論語を熟読翫味して往けば大に覚る所があるのである、故に私は平生孔子の教を尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことは無い。我邦でも賢人豪傑は沢山に居る、其中でも最も戦争が上手であり、処世の道が巧であつたのは徳川家康公である、処世の道が巧なればこそ、多くの英雄豪傑を威服して十五代の覇業を開くを得たので、二百余年間人々が安眠高枕することの出来たのは実に偉とすべきである、それゆゑ処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されて居る、彼の『神君遺訓』なども、我々処世の道を実に能く説かれて居る、而して其の『神君遺訓』を私が論語と照し合せて見たのに、実に符節を合するが如くであつて、矢張大部分は論語から出たものだと云ふことが分つた、例へば『人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し』とあるのは、論語の『士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎』とある、この曽子の言葉と寔によく合つて居る。
書き下し
また人の世に処するの道は、なかなか至難のものである。けれども論語を熟読玩味して往けば大いに覚るところがあるのである。ゆえに私は平生孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことはない。我が邦でも賢人豪傑はたくさんにいる。その中でも最も戦争が上手であり、処世の道が巧みであったのは徳川家康公である。処世の道が巧みなればこそ、多くの英雄豪傑を威服して十五代の覇業を開くを得たので、二百余年間人々が安眠高枕することの出来たのは実に偉とすべきである。それゆえ処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されている。かの『神君遺訓』なども、我々処世の道を実によく説かれている。そしてその『神君遺訓』を私が論語と照らし合わせて見たのに、実に符節を合するがごとくであって、やはり大部分は論語から出たものだということが分かった。例えば『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし』とあるのは、論語の『士不可以不弘毅、任重而道遠、仁以為己任、不亦重乎、死而後已、不亦遠乎』とある、この曾子の言葉とまことによく合っている。
現代語訳
また、人が世の中を渡っていく道は、なかなか難しいものである。けれども論語をよく読んで味わっていけば、大いに悟るところがある。だから私はふだん孔子の教えを尊び信じると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に身の回りから離したことがない。わが国にも賢人や豪傑はたくさんいるが、その中でも最も戦が上手で、処世の道に巧みだったのは徳川家康公である。処世の道が巧みだったからこそ、多くの英雄豪傑を威光で従わせ、十五代にわたる覇業を開くことができたのであり、二百余年のあいだ人々が枕を高くして安眠できたのは、実に偉大なことである。そういう処世に巧みな家康公であるから、さまざまな教訓の言葉を遺されている。あの『神君遺訓』なども、私たちの処世の道を実によく説いている。そしてその『神君遺訓』を私が論語と照らし合わせてみたところ、まるで割符を合わせたようにぴたりと一致しており、やはり大部分は論語から出たものだということが分かった。たとえば「人の一生は重荷を負って遠い道を行くようなものだ」とあるのは、論語の「士は度量が広く意志が強くなければならない。任務は重く道は遠い。仁を自分の任務とする、なんと重いことではないか。死ぬまでやめない、なんと遠いことではないか」という曾子の言葉と、まことによく合っている。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』人格と修養・東照公の修養神君の遺訓と称して平仮名交じりの文章がある。すなわち「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず……云々」。私はかように能く覚えております。この遺訓はまったく論語から出ております。東照公が論語をよくお読みなすった証拠であります。「士は以て弘毅ならざるべからず、任重くして道遠し、仁以て己が任と為す、また重からずや、死して後已む、また遠からずや」。これは曾子という人の語で、論語の泰伯篇にあります。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」とまったく同意味であります。また末段の「及ばざるは過ぎたるよりまされり」は、孔子の言から出たのです。そして孔子は「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と言うたのを、公は「勝れり」と強くしたのです。
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『論語と算盤』人格と修養・修養は理論ではないしかるに日本においてはその空理空文の死学であった宋朝の儒教を利用したため、かえって実学の効験を発揮したのである。これをよく用いたのは徳川家康である。元亀天正の頃は日本を廿八天下と称して、国内麻のごとくに乱れて、諸侯皆武備にのみ心を尽くしておったのである。その中にて家康は大いに達観して、到底武のみをもって治国平天下の策とすべきで無いということを悟り、大いに心を文事に注いで、支那においては死学空文であった朱子の儒学を採ったのである。当初まず藤原惺窩を聘し、次いで林羅山を用いて、しきりに学問を実際に応用した。すなわち理論と実際とを調和し接近せしめたのである。現に家康が遺訓の一として今日まで人口に膾炙する『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず、不自由を常と思えば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし、堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え、勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば、害その身に至る。
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才また『己れを責めて人を責むるな』は、『己欲立而立人、己欲達而達人』という句の意を採られたのである。また『及ばざるは過ぎたるより勝れり』というのは、例の『過猶不及』と孔子が教えられたのと一致している。『堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え』は『克己復礼』の意である。『人はただ身の程を知れ草の葉の、露も重きは落つるものかな』は分に安んずることである。『不自由を常と思えば不足なし、心に望み起らば困窮したる時を思い出すべし』『勝つことばかりを知りて負くることを知らざれば、害その身に至る』とある。この意味の言葉は論語の各章にしばしば繰り返して説いてある。次に公が処世に巧みであったこと、二百余年の大偉業を開かれたことは、たいてい論語から来ているのである。
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才ゆえに私は人の世に処せんとして道を誤まらざらんとするには、まず論語を熟読せよというのである。現今世の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入って来るが、その新しいというは我々から見ればやはり古いもので、既に東洋で数千年前に言っている事と同一のものを、ただ言葉の言い廻しをうまくしているに過ぎぬと思われるものが多い。欧米諸国の日進月歩の新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いものの中にも棄て難いもののあることを忘れてはならぬ。
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『論語と算盤』人格と修養・東照公の修養これらの批評はこれだけで止めますが、とにかくこの御遺訓が論語より出たということは、諸君にも明瞭にお解りでありましょう。そのほかにもこの道徳についてはよほどお心を用いられたものと見える。元亀天正の頃はあの通り乱世が打ち続いて、世の中に文学趣味などはほとんど無くなり、仁義道徳の何者か分からぬという時に、誰が申し上げたともなく、とく既に文学を盛んにしなければならぬということについて御心を労され、しかもそれが根本的文学であって、切に仁義道徳を重んずる主義をもって全然朱子学を用いられたように思います。爾来追々と経学にも各派が生じて参りましたが、林家では徹頭徹尾朱子学を主としている。東照公のこれらの御用意はいかなる御手際であるか、私は敬服に余りありというほかない。
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『論語と算盤』人格と修養・修養は理論ではない要するに、理論と実際、学問と事業とが互いに並行して発達しないと、国家が真に興隆せぬのである。いかほど一方が発達しても、他の一方がこれに伴わなければ、その国は世界の列強間に伍することは出来ぬと思われる。事実ばかりで満足とは言われず、また学理のみでは立つことが出来ないので、この両者がよく調和し密着する時が、すなわち国にすれば文明富強となり、人にすれば完全なる人格ある者となるのである。
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