論語と算盤 / 人格と修養・修養は理論ではない
要するに、理論と実際、学問と事業とが互に並行して発達せないと、国家が真に興隆せぬのである、如何程一方が発達しても、他の一方が之に伴はなければ、其国は世界の列強間に伍することは出来ぬと思はれる、事実ばかりで満足とは云はれず、又学理のみでは立つことが出来ないので、此の両者がよく調和し密着する時が、即ち国にすれば文明富強となり、人にすれば完全なる人格ある者となるのである。
書き下し
要するに、理論と実際、学問と事業とが互いに並行して発達しないと、国家が真に興隆せぬのである。いかほど一方が発達しても、他の一方がこれに伴わなければ、その国は世界の列強間に伍することは出来ぬと思われる。事実ばかりで満足とは言われず、また学理のみでは立つことが出来ないので、この両者がよく調和し密着する時が、すなわち国にすれば文明富強となり、人にすれば完全なる人格ある者となるのである。
現代語訳
要するに、理論と実際、学問と事業とが互いに並行して発達しなければ、国家は真に興隆しない。片方がどれほど発達しても、もう片方が伴わなければ、その国は世界の列強に伍することはできないと思われる。事実だけで満足とは言えず、学理だけでも立ちゆかない。この両者がよく調和し、密着したときこそ、国であれば文明富強となり、人であれば完全な人格を備えた者となるのである。
解説
修養は理論ではなく実行だ、という前提から、渋沢は学問と事業の並行を説く。例証は歴史から取られる。朱子学を最も高度に発達させた宋末は、政治が頽廃し兵力も微弱で、実学の効がなかった。学問だけが進んで実際と切れていたからだ、と。ところが日本では、その空理空論だった宋学を家康が実地に用いた。藤原惺窩を招き林羅山を用い、遺訓の「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し」も多くは論語の警句から成っている、と渋沢は見る。そして元禄享保以後は再び空理に流れ、実際と結びつけた者は熊沢蕃山ら数人にすぎなかった。学びは、使われるかどうかで価値が決まる、という章である。
この章句が説くこと
理論と実際の調和学問と事業空理空論家康の遺訓