論語と算盤 / 処世と信条・士魂商才
士魂商才といふのも同様の意義で、人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、併し武士的精神のみに偏して商才といふものが無ければ、経済の上から自滅を招くやうになる、故に士魂にして商才が無ければならぬ、其の士魂を養ふには、書物といふ上からは沢山あるけれども、矢張論語は最も士魂養成の根柢となるものと思ふ、それならば商才はどうかと云ふに、商才も論語に於て充分養へるといふのである、道徳上の書物と商才とは何の関係が無いやうであるけれども、その商才といふものも、もと〳〵道徳を以て根柢としたものであつて、道徳と離れた不道徳、詐瞞、浮華、軽佻の商才は、謂ゆる小才子小悧口であつて、決して真の商才ではない、故に商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語に依つて養へる訳である
書き下し
士魂商才というのも同様の意義で、人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし武士的精神のみに偏して商才というものが無ければ、経済の上から自滅を招くようになる。ゆえに士魂にして商才が無ければならぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根柢となるものと思う。それならば商才はどうかというに、商才も論語において充分養えるというのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳をもって根柢としたものであって、道徳と離れた不道徳、詐瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆる小才子小悧口であって、決して真の商才ではない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養えるわけである。
現代語訳
士魂商才というのも同じ意味だ。世の中に立つには武士の精神が要る。それは言うまでもない。だが武士の精神だけに偏って商才がなければ、経済の面から自滅を招くことになる。だから士魂であって、しかも商才がなければならない。その士魂を養う書物は数多いが、やはり論語が士魂を養う土台として最もよいと思う。では商才はどうか。商才もまた論語で十分に養える。道徳の書と商才とは無関係に見えるけれども、商才そのものがもともと道徳を土台にしたものであって、道徳から離れた不道徳・ごまかし・見せかけ・軽薄な商才は、いわゆる小利口にすぎず、決して本当の商才ではない。商才が道徳と切り離せないものである以上、道徳の書である論語によって養えるわけである。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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