論語と算盤 / 処世と信条・士魂商才
昔、菅原道真は和魂漢才といふことを言つた、これは面白いこと〻思ふ、これに対して私は常に士魂商才といふことを唱道するのである、和魂漢才とは、日本人は日本の特有なる日本魂といふものを根柢としなければ為らぬが、併し支那は国も古し、文化も夙く開けて孔子、孟子の如き聖人賢者を出して居る位であるから、政治方面、文学方面その他に於て日本より一日の長がある、それゆゑ漢土の文物学問をも修得して才芸を養はなければ為らぬといふ意味であつて、その漢土の文物学問は、書物も沢山あるけれども、孔子の言行を記した論語が中心となつて居るのである、それは尚書、詩経、周礼儀礼などの、禹湯文武周公の事を書いた書物もあるけれども、それとても矢張孔子の編纂したものと伝へられてあるから、漢学といへば孔子の学、孔子が中心となつて居るのである、其の孔子の言行を書いた論語であるから、菅公も大に之を愛誦し、応神天皇の朝に百済の王仁が献上した論語千字文の朝廷に伝へられたのを筆写して伊勢の大廟に献じたのが、世に菅本論語といつて現存して居るのである。
書き下し
昔、菅原道真は和魂漢才ということを言った。これは面白いことと思う。これに対して私は常に士魂商才ということを唱道するのである。和魂漢才とは、日本人は日本の特有なる日本魂というものを根柢としなければならぬが、しかし支那は国も古し、文化もつとに開けて孔子、孟子のごとき聖人賢者を出しているくらいであるから、政治方面、文学方面その他において日本より一日の長がある。それゆえ漢土の文物学問をも修得して才芸を養わなければならぬという意味であって、その漢土の文物学問は、書物もたくさんあるけれども、孔子の言行を記した論語が中心となっているのである。それは尚書、詩経、周礼儀礼などの、禹湯文武周公の事を書いた書物もあるけれども、それとてもやはり孔子の編纂したものと伝えられてあるから、漢学といえば孔子の学、孔子が中心となっているのである。その孔子の言行を書いた論語であるから、菅公も大いにこれを愛誦し、応神天皇の朝に百済の王仁が献上した論語千字文の朝廷に伝えられたのを筆写して伊勢の大廟に献じたのが、世に菅本論語といって現存しているのである。
現代語訳
昔、菅原道真は和魂漢才ということを言った。これは面白い言葉だと思う。これに対して私は常に士魂商才ということを唱えている。和魂漢才とは、日本人は日本特有の日本魂というものを根本にしなければならないが、中国は国も古く、文化も早くから開けて、孔子や孟子のような聖人・賢者を出しているほどであるから、政治の方面でも文学の方面でも、その他の面でも日本より一日の長がある。だから中国の文物や学問も身につけて才能を養わなければならない、という意味である。その中国の文物や学問には書物もたくさんあるが、孔子の言行を記した論語がその中心となっている。『尚書』『詩経』『周礼』『儀礼』など、禹・湯・文王・武王・周公のことを書いた書物もあるけれども、それらもやはり孔子が編纂したものと伝えられているから、漢学といえば孔子の学であり、孔子が中心となっているのである。その孔子の言行を書いた論語であるから、菅公(道真)も大いにこれを愛誦した。応神天皇の時代に百済の王仁が献上した論語と千字文が朝廷に伝わっていたのを道真が筆写して伊勢の大廟(伊勢神宮)に奉納したものが、世に菅本論語として現存しているのである。
解説
関連する章句
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才士魂商才というのも同様の意義で、人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし武士的精神のみに偏して商才というものが無ければ、経済の上から自滅を招くようになる。ゆえに士魂にして商才が無ければならぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根柢となるものと思う。それならば商才はどうかというに、商才も論語において充分養えるというのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳をもって根柢としたものであって、道徳と離れた不道徳、詐瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆる小才子小悧口であって、決して真の商才ではない。ゆえに商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養えるわけである。
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才ゆえに私は人の世に処せんとして道を誤まらざらんとするには、まず論語を熟読せよというのである。現今世の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入って来るが、その新しいというは我々から見ればやはり古いもので、既に東洋で数千年前に言っている事と同一のものを、ただ言葉の言い廻しをうまくしているに過ぎぬと思われるものが多い。欧米諸国の日進月歩の新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いものの中にも棄て難いもののあることを忘れてはならぬ。
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『論語と算盤』処世と信条・論語と算盤は甚だ遠くして甚だ近いもの今の道徳によって最も重なるものとも言うべきものは、孔子のことについて門人たちの書いた論語という書物がある。これは誰でも大抵読むということは知っているが、この論語というものと、算盤というものがある。これは甚だ不釣合で、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によって出来ている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである。ゆえに論語と算盤は、甚だ遠くして甚だ近いものであると始終論じているのである。
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『論語と算盤』実業と士道・相愛忠恕の道を以て交はるべし日支間は同文同種の関係あり。国の隣接せる位置よりするも、はたまた古来よりの歴史よりいうも、また思想、風俗、趣味の共通せる点あるに徴するも、相提携せざるべからざる国柄なり。然らばいかにして提携の実を挙ぐべきか。その方策他なし。人情を理解し、己の欲せざる所はこれを人に施さず、いわゆる相愛忠恕の道をもって相交わるにあり。すなわちその方策は論語の一章にありと謂うべきである。
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『論語と算盤』処世と信条・士魂商才不幸にして孔子は日本のような万世一系の国体を見もせず知りもしなかったからであるが、もし日本に生まれまたは日本に来て万世一系の我が国体を見聞したならば、どのくらい讃歎したか知れない。韶を聞いて美を尽くし善を尽くせりと誉めたところではない。それ以上の賞讃尊敬の意を表したに違いない。世人が孔子の学を論ずるには、よく孔子の精神を探り、いわゆる眼光紙背に徹する底の大活眼をもってこれを観なければ、皮相に流れる虞れがある。
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『論語と算盤』理想と迷信・日新なるを要す商売は己を利することを眼目とするために、自分さえ利すればそれでよい、他人の迷惑は知らぬ存ぜぬという考えを持っている人がある。それゆえに利殖と道徳とは一致せぬという人もあるが、これは間違いで、そんな古い考えは今の世に通用させてはならぬ。維新頃までは、社会の上流、士大夫とも言うべき人は利殖に関係しないで、人格の低いものがこれに当たるというのであった。その後この風習は改まったが、まだ余喘を保っている。孟子は、利殖と仁義道徳とは一致するものであると言った。その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士のともに齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これがために経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分からぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とをもって指導しているつもりである。
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