六祖壇経 / 付嘱品第十
『釋迦文佛首傳第一、摩訶迦葉尊者第二、阿難尊者第三、商那和修尊者第四、優波毱多尊者第五、提多迦尊者第六、彌遮迦尊者第七、婆須蜜多尊者第八、佛馱難提尊者第九、伏馱蜜多尊者第十、脇尊者第十一、富那夜奢尊者第十二、馬鳴大士第十三、迦毗摩羅尊者第十四、龍樹大士第十五、迦那提婆尊者第十六、羅睺羅多尊者第十七、僧伽難提尊者第十八、伽耶舍多尊者第十九、鳩摩羅多尊者第二十、闍耶多尊者第二十一、婆修盤頭尊者第二十二、摩拏羅尊者第二十三、鶴勒那尊者第二十四、師子尊者第二十五、婆舍斯多尊者第二十六、不如蜜多尊者第二十七、般若多羅尊者第二十八、菩提達摩尊者第二十九、慧可大師第三十、僧璨大師第三十一、道信大師第三十二、弘忍大師惠能是為三十三祖。從上諸祖,各有稟承,汝等向後遞代流傳,毋令乖誤。』大師,先天二年癸丑歲八月初三日-是年十二月,改元開元-於國恩寺齋罷,謂諸徒眾曰:『汝等各依位坐,吾與汝別。』法海白言:『和尚留何教法,令後代迷人,得見佛性?』
新字:『釈迦文仏首伝第一、摩訶迦葉尊者第二、阿難尊者第三、商那和修尊者第四、優波毱多尊者第五、提多迦尊者第六、弥遮迦尊者第七、婆須蜜多尊者第八、仏馱難提尊者第九、伏馱蜜多尊者第十、脇尊者第十一、富那夜奢尊者第十二、馬鳴大士第十三、迦毗摩羅尊者第十四、竜樹大士第十五、迦那提婆尊者第十六、羅睺羅多尊者第十七、僧伽難提尊者第十八、伽耶舎多尊者第十九、鳩摩羅多尊者第二十、闍耶多尊者第二十一、婆修盤頭尊者第二十二、摩拏羅尊者第二十三、鶴勒那尊者第二十四、師子尊者第二十五、婆舎斯多尊者第二十六、不如蜜多尊者第二十七、般若多羅尊者第二十八、菩提達摩尊者第二十九、慧可大師第三十、僧璨大師第三十一、道信大師第三十二、弘忍大師恵能是為三十三祖。従上諸祖,各有稟承,汝等向後逓代流伝,毋令乖誤。』大師,先天二年癸丑歳八月初三日-是年十二月,改元開元-於国恩寺斎罷,謂諸徒衆曰:『汝等各依位坐,吾与汝別。』法海白言:『和尚留何教法,令後代迷人,得見仏性?』
書き下し
『釈迦文仏首めに伝う第一、摩訶迦葉(まかかしょう)尊者第二、阿難尊者第三、商那和修(しょうなわしゅ)尊者第四、優波毱多(うばきくた)尊者第五、提多迦(だいたか)尊者第六、弥遮迦(みしゃか)尊者第七、婆須蜜多(ばしゅみった)尊者第八、仏馱難提(ぶつだなんだい)尊者第九、伏馱蜜多(ふくだみった)尊者第十、脇尊者第十一、富那夜奢(ふなやしゃ)尊者第十二、馬鳴(めみょう)大士第十三、迦毘摩羅(かびまら)尊者第十四、竜樹大士第十五、迦那提婆(かなだいば)尊者第十六、羅睺羅多(らごらた)尊者第十七、僧伽難提(そうぎゃなんだい)尊者第十八、伽耶舎多(かやしゃた)尊者第十九、鳩摩羅多(くまらた)尊者第二十、闍耶多(しゃやた)尊者第二十一、婆修盤頭(ばしゅばんず)尊者第二十二、摩拏羅(まぬら)尊者第二十三、鶴勒那(かくろくな)尊者第二十四、師子尊者第二十五、婆舎斯多(ばしゃした)尊者第二十六、不如蜜多(ふにょみった)尊者第二十七、般若多羅(はんにゃたら)尊者第二十八、菩提達摩尊者第二十九、慧可大師第三十、僧璨大師第三十一、道信大師第三十二、弘忍大師、恵能、是れを三十三祖と為す。上より諸祖、各おの稟承有り。汝等向後、遞代に流伝し、乖誤せしむること毋かれ』と。大師、先天二年癸丑の歳八月初三日――是の年十二月、開元と改元す――国恩寺に於いて斎罷りて、諸の徒衆に謂いて曰く、『汝等各おの位に依りて坐せよ、吾汝と別れん』と。法海白して言う、『和尚何の教法を留めて、後代の迷人をして、仏性を見るを得しめん』と。
現代語訳
(師は続けた。)『釈迦文仏(釈迦牟尼仏)が最初に伝えて第一、摩訶迦葉尊者が第二、阿難尊者が第三、商那和修尊者が第四、優波毱多尊者が第五、提多迦尊者が第六、弥遮迦尊者が第七、婆須蜜多尊者が第八、仏馱難提尊者が第九、伏馱蜜多尊者が第十、脇尊者が第十一、富那夜奢尊者が第十二、馬鳴大士が第十三、迦毘摩羅尊者が第十四、竜樹大士が第十五、迦那提婆尊者が第十六、羅睺羅多尊者が第十七、僧伽難提尊者が第十八、伽耶舎多尊者が第十九、鳩摩羅多尊者が第二十、闍耶多尊者が第二十一、婆修盤頭尊者が第二十二、摩拏羅尊者が第二十三、鶴勒那尊者が第二十四、師子尊者が第二十五、婆舎斯多尊者が第二十六、不如蜜多尊者が第二十七、般若多羅尊者が第二十八、菩提達摩尊者が第二十九、慧可大師が第三十、僧璨大師が第三十一、道信大師が第三十二、弘忍大師、そして恵能(慧能)、これを三十三祖とする。これまでの祖師たちは、それぞれ師から法を受け継いできた。お前たちも今後、代々これを伝え広め、誤りや食い違いが生じないようにせよ』。大師は先天二年癸丑(七一三年)八月三日――この年の十二月に開元と改元された――国恩寺で斎(昼の食事)を終えると、門徒たちに言った。『みな席次どおりに坐れ。お前たちと別れを告げよう』。法海が申し上げた。『和尚はどのような教えを残して、後の世の迷える人々に仏性を見させてくださるのか』。
解説
関連する章句
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『六祖壇経』行由品第一祖、本性を悟れるを知り、恵能に謂ひて曰く、「本心を識らずんば、法を学ぶも益無し。若し自らの本心を識り、自らの本性を見ば、即ち丈夫・天人師・仏と名づく」と。三更に法を受け、人尽く知らず。便ち頓教及び衣鉢を伝へて云ふ、「汝を第六代の祖と為す。善く自ら護念し、広く有情を度し、将来に流布して、断絶せしむること無かれ。吾が偈を聴け、曰く、『情有りて来りて種を下せば、地に因りて果還た生ず。情無ければ亦種無く、性無ければ亦生無し』と。祖復た曰く、「昔、達摩大師初めて此の土に来るに、人未だ之を信ぜず。故に此の衣を伝へて以て信体と為し、代代相承く。法は則ち心を以て心に伝へ、皆自ら悟り自ら解せしむ。古より、仏仏惟だ本体を伝へ、師師密かに本心を付す。衣は争ひの端為り、汝に止めて伝ふること勿れ。若し此の衣を伝へば、命懸糸の如し。汝須らく速やかに去るべし。人の汝を害せんことを恐る」と。恵能啓して曰く、「甚(いづ)れの処に向ひて去らん」と。祖云ふ、「懐に逢はば則ち止まり、会に遇はば則ち蔵(かく)れよ」と。三更に衣鉢を領得す。五祖送りて九江の駅に至り、祖、船に上らしむ。恵能随即ち櫓を把る。祖云ふ、「合(まさ)に是れ吾汝を渡すべし」と。恵能云ふ、「迷ふ時は師度し、悟り了れば自ら度す。度の名は一なりと雖も、用処同じからず。恵能は辺方に生まれ、語音正しからざるに、師の法を付するを蒙る。今已に悟ることを得たり。只だ合に自性にて自ら度すべし」と。祖云ふ、「是の如し、是の如し。以後の仏法は、汝に由りて大いに行はれん。汝今好く去れ。努力して南に向へ。速やかに説くに宜しからず、仏法起り難し」と。恵能、祖に辞違し已りて、足を発して南に行く。両月の中間に、大庾嶺に至る。後を逐ひて数百人来り、衣鉢を奪はんと欲す。一僧、俗姓は陳、名は恵明、先は是れ四品の将軍なり。性行粗燥にして、極意に参尋し、衆人の先と為り、恵能に趨(はし)り及ぶ。恵能、衣鉢を擲下して、草莽の中に隠る。恵明至り、提ぐるも動かず、乃ち喚びて云ふ、「行者、行者、我は法の為に来る、衣の為に来らず」と。恵能遂に出でて、盤石の上に坐す。恵明礼を作して云ふ、「望むらくは行者、我が為に法を説け」と。恵能曰く、「汝既に法の為にして来らば、諸縁を屏息して、一念をも生ずること勿れ。吾汝が為に説かん」と。
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『六祖壇経』付嘱品第十付嘱品(ふぞくほん)第十。
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『六祖壇経』付嘱品第十師、一日門人法海・志誠・法達・神會・智常・智通・志徹・志道・法珍・法如等を喚びて曰く、『汝等は餘人と同じからず。吾が滅度の後、各〻一方の師と為らん。吾れ今汝に説法を教へて、本宗を失はざらしめん。先づ須らく三科の法門を舉げ、動用は三十六對、出沒すれば即ち兩邊を離るべし。一切の法を説くに自性を離るること莫かれ。忽ち人有りて汝に法を問はば、語を出だすこと盡く雙にし、皆な對法を取り、來去相ひ因れ。究竟には三法盡く除き、更に去る處無し』と。
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『六祖壇経』付嘱品第十又問う、『後に難有ること莫きや否や』と。師曰く、『吾が滅後五六年、当に一人有りて、吾が首を取らんと欲すべし。吾が讖を聴け。曰く、「頭上に親を養い、口裡に須らく餐すべし。満の難に遇い、楊柳官と為る」と。』又云う、「吾去りて七十年、二菩薩有りて東方より来たる、一は出家、一は在家なり。同時に化を興し、吾が宗を建立し、伽藍を締緝し、法嗣を昌隆せん」と。問いて曰く、『未だ知らず、上の仏祖の応現してより已来、伝授すること幾代なるか。願わくは開示を垂れたまえ』と。師云う、『古仏の世に応ずること、已に数量無く、計うべからざるなり。今七仏を以て始めと為す。過去荘厳劫の毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏、今の賢劫の拘留孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦文仏、是れを七仏と為す。』
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『六祖壇経』付嘱品第十次の年七月二十五日、龕より出だし、弟子才辯、香泥を以て之に上る。門人、首を取るの記を憶念し、遂に先ず鉄葉・漆布を以て、師の頸を固護して塔に入る。忽ち塔内に於いて、白光出現し、直ちに上りて天を衝き、三日にして始めて散ず。韶州奏聞し、勅を奉じて碑を立て師の道行を紀す。師、春秋七十有六、年二十四にして衣を伝え、三十九にして祝髪し、説法利生すること三十七載。旨を得て法を嗣ぐ者、四十三人、道を悟りて凡を超ゆる者、其の数を知る莫し。達摩の伝うる所の信衣、中宗の賜う摩納・宝鉢、及び才辯の塑せる師の真相、並びに道具等は、主塔の侍者之を尸り、永く宝林道場を鎮む。壇経を流伝して、以て宗旨を顕し、三宝を興隆し、普く群生を利する者なり。
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『六祖壇経』付嘱品第十空に執するの人は、経を謗りて直ちに文字を用いずと言う有り。即ち文字を用いずと云わば、人も亦た合に語言すべからず。只だ此の語言、便ち是れ文字の相なり。又云う、直道は文字を立てずと。即ち此の不立の両字も、亦た是れ文字なり。人の説く所を見て、便即ち他を謗りて文字に著すと言う。汝等須らく知るべし、自ら迷うは猶お可なり、又仏経を謗る。経を謗ることを要せざれ、罪障無数なり。若し外に相に著して、法を作して真を求め、或いは広く道場を立てて、有無の過患を説く、是くの如きの人は、累劫にも性を見るべからず。但だ法に依りて修行するを聴け。又百物を思わずして、道性に於いて窒礙すること莫かれ。若し説くを聴きて修せずんば、人をして反って邪念を生ぜしむ。但だ法に依りて修行し、住相無き法施をせよ。汝等若し悟らば、此れに依りて説き、此れに依りて用い、此れに依りて行じ、此れに依りて作せば、即ち本宗を失わず。若し人有りて汝に義を問わば、有を問えば無を将て対し、無を問えば有を将て対し、凡を問えば聖を以て対し、聖を問えば凡を以て対せよ。二道相因りて、中道の義を生ず。汝一問に一対し、余の問も一に此れに依りて作さば、即ち理を失わざるなり。設し人有りて問わん、「何をか名づけて暗と為す」と。答えて云え、「明は是れ因、暗は是れ縁なり。明没すれば則ち暗なり。明を以て晦を顕し、暗を以て明を顕す。来去相因りて、中道の義を成す。余の問も悉く皆此くの如し」と。汝等後に法を伝うるに、此れに依りて転た相教授し、宗旨を失うこと勿かれ。』師、大極元年壬子、延和の七月に門人に命じて新州の国恩寺に往きて塔を建てしめ、仍お工を促さしむ。次の年の夏末に落成す。七月一日、徒衆を集めて曰く、『吾八月に至りて、世間を離れんと欲す。汝等疑い有らば、早く須らく相問うべし。汝が為に疑いを破り、汝が迷いをして尽きしめん。吾若し去りて後は、人の汝に教うる無からん』と。法海等聞きて、悉く皆涕泣す。惟だ神会のみ有りて、神情動かず、亦た涕泣すること無し。
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