六祖壇経 / 付嘱品第十
師言:『汝等諦聽,後代迷人,若識眾生,即是佛性;若不識眾生,萬劫覓佛難逢。吾今教汝識自心眾生,見自心佛性。欲求見佛,但識眾生;只為眾生迷佛,非是佛迷眾生。自性若悟,眾生是佛;自性若迷,佛是眾生。自性平等,眾生是佛;自性邪險,佛是眾生。汝等心若險曲,即佛在眾生中,一念平直,即是眾生成佛。我心自有佛,自佛是真佛,自若無佛心,何處求真佛?汝等自心是佛,更莫狐疑,外無一物而能建立,皆是本心生萬種法。故經云:「心生,種種法生;心滅,種種法滅。」吾今留一偈,與汝等別,名「自性真佛偈」。後代之人,識此偈意,自見本心,自成佛道。偈曰:
新字:師言:『汝等諦聴,後代迷人,若識衆生,即是仏性;若不識衆生,万劫覓仏難逢。吾今教汝識自心衆生,見自心仏性。欲求見仏,但識衆生;只為衆生迷仏,非是仏迷衆生。自性若悟,衆生是仏;自性若迷,仏是衆生。自性平等,衆生是仏;自性邪険,仏是衆生。汝等心若険曲,即仏在衆生中,一念平直,即是衆生成仏。我心自有仏,自仏是真仏,自若無仏心,何処求真仏?汝等自心是仏,更莫狐疑,外無一物而能建立,皆是本心生万種法。故経云:「心生,種種法生;心滅,種種法滅。」吾今留一偈,与汝等別,名「自性真仏偈」。後代之人,識此偈意,自見本心,自成仏道。偈曰:
書き下し
師言く、『汝等諦らかに聽け。後代の迷人、若し眾生を識らば、即ち是れ佛性なり。若し眾生を識らずんば、萬劫に佛を覓むるも逢ひ難し。吾れ今汝に自心の眾生を識り、自心の佛性を見ることを教へん。佛を見んと欲すれば、但だ眾生を識れ。只だ眾生の佛に迷ふが為にして、是れ佛の眾生に迷ふには非ず。自性若し悟らば、眾生は是れ佛なり。自性若し迷はば、佛は是れ眾生なり。自性平等ならば、眾生は是れ佛なり。自性邪險ならば、佛は是れ眾生なり。汝等の心若し險曲ならば、即ち佛眾生の中に在り。一念平直ならば、即ち是れ眾生の佛と成るなり。我が心に自ら佛有り、自らの佛は是れ真の佛なり。自ら若し佛心無くば、何れの處にか真の佛を求めん。汝等の自心は是れ佛なり。更に狐疑すること莫かれ。外に一物として能く建立する無く、皆な是れ本心の萬種の法を生ずるなり。故に經に云く、「心生ずれば、種種の法生じ、心滅すれば、種種の法滅す」と。吾れ今一偈を留めて、汝等と別れん。「自性真佛偈」と名づく。後代の人、此の偈の意を識らば、自ら本心を見て、自ら佛道を成ぜん。偈に曰く』と。
現代語訳
慧能は言った。「おまえたちよく聴きなさい。後の世の迷う人も、もし衆生を知れば、それがそのまま仏性である。もし衆生を知らなければ、万劫のあいだ仏を探しても出会えない。私はいまおまえたちに、自分の心の中の衆生を知り、自分の心の仏性を見ることを教えよう。仏を見たいなら、ただ衆生を知りなさい。ただ衆生が仏に迷っているのであって、仏が衆生に迷っているのではない。自性が悟れば、衆生はそのまま仏である。自性が迷えば、仏はそのまま衆生である。自性が平等であれば、衆生は仏である。自性が邪でけわしければ、仏は衆生である。おまえたちの心がけわしく曲がっていれば、仏は衆生の中にいる。一念がまっすぐ平らかであれば、それが衆生の仏となるということだ。私の心にもとより仏があり、自分の仏こそ真の仏である。自分に仏の心がなければ、どこに真の仏を求めるのか。おまえたちの自心が仏である。もう疑ってはならない。外に何ひとつ打ち立てられるものはなく、すべては本心があらゆる法を生じているのだ。だから経に『心が生ずれば、さまざまな法が生じ、心が滅すれば、さまざまな法が滅する』とある。私はいま一つの偈を残して、おまえたちと別れよう。『自性真仏偈』という。後の世の人が、この偈の意味を知れば、自ら本心を見て、自ら仏道を成ずるだろう。偈に言う」。
解説
この章句が説くこと
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『六祖壇経』付嘱品第十「真如の自性は是れ真の佛、邪見三毒は是れ魔王なり。 邪迷の時は魔舍に在り、正見の時は佛堂に在り。 性中に邪見三毒生ずれば、即ち是れ魔王來りて舍に住す。 正見自ら三毒の心を除けば、魔變じて佛と成りて真に假無し。」
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『六祖壇経』付嘱品第十法身・報身及び化身、三身は本来是れ一身なり。若し性中に向かいて能く自ら見れば、即ち是れ成仏菩提の因なり。本化身より浄性を生じ、浄性は常に化身の中に在り。性は化身をして正道を行ぜしめ、当来円満して真に窮まり無し。淫性は本是れ浄性の因、淫を除けば即ち是れ浄性の身なり。性中に各自五欲を離れば、見性刹那に即ち是れ真なり。今生若し頓教の門に遇わば、忽ち自性を悟りて世尊を見ん。若し修行して仏と作らんことを覓めんと欲せば、知らず何れの処にか真を求めんと擬する。若し能く心中に自ら真を見れば、真有るは即ち是れ成仏の因なり。自性を見ずして外に仏を覓むれば、心を起こすこと総て是れ大痴人なり。頓教の法門今已に留む、世人を救度するには須らく自ら修すべし。汝当来の学道者に報ず、此の見を作さずんば大いに悠悠たらん」』と。師、偈を説き已りて、告げて曰く、『汝等好く住せよ。吾が滅度の後、世情の悲泣して涙を雨らし、人の弔問を受け、身に孝服を著くることを作す莫かれ。吾が弟子に非ず、亦た正法に非ず。但だ自らの本心を識り、自らの本性を見よ。動無く静無く、生無く滅無く、去無く来無く、是無く非無く、住無く往無し。恐らくは汝等心迷いて、吾が意を会せざらん、今再び汝に嘱して、汝をして性を見しむ。吾が滅度の後、此れに依りて修行せば、吾が在りし日の如し。若し吾が教えに違わば、縦い吾世に在るとも、亦た益有ること無し』と。復た偈を説きて曰く、『兀兀として善を修せず、騰騰として悪を造らず。寂寂として見聞を断じ、蕩蕩として心に著する無し』と。師、偈を説き已りて、端坐して三更に至り、忽ち門人に謂いて曰く、『吾行かん』と。奄然として遷化す。時に異香室に満ち、白虹地に属し、林木白に変じ、禽獣哀しみ鳴く。十一月、広・韶・新の三郡の官僚、洎び門人緇白、争いて真身を迎え、之く所を決する莫し。乃ち香を焚きて禱りて曰く、『香煙の指す処、師の帰する所ならん』と。時に香煙直ちに曹渓を貫く。十一月十三日、神龕並びに伝うる所の衣鉢を遷して回る。
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『六祖壇経』懺悔品第六智は日の如く、慧は月の如し。智慧常に明らかなれども、外に於て境に著すれば、妄念の浮雲に蓋覆せられて、自性明朗なることを得ず。若し善知識に遇ひ、真正の法を聞かば、自ら迷妄を除き、内外明徹にして、自性の中に於て、万法皆現ず。見性の人も、亦復是くの如し。此れを清浄法身仏と名づく」。「善知識、自心自性に帰依する、是れ真仏に皈依するなり。自ら皈依する者は、自性の中の不善心・嫉妬心・諂曲心・吾我心・誑妄心・軽人心・慢他心・邪見心・貢高心、及び一切時中の不善の行を除却し、常に自ら己が過を見て、他人の好悪を説かず、是れ自ら皈依するなり。常に須らく心を下して、普く恭敬を行ずべし、即ち是れ見性通達にして、更に滞礙無し、是れ自ら皈依するなり」。「何をか円満報身と名づくる。譬へば一灯の能く千年の闇を除き、一智の能く万年の愚を滅するが如し。前に向ふことを思ふこと莫れ、已に過ぎしは得べからず。常に後を思ひ、念念円明にして、自ら本性を見よ。善悪殊なりと雖も、本性は二無し。無二の性、名づけて実性と為す。実性の中に於て、善悪に染まざる、此れを円満報身仏と名づく。自性一念の悪を起せば、万劫の善因を滅し、自性一念の善を起せば、恒沙の悪尽くることを得。直ちに無上菩提に至るまで、念念自ら見て、本念を失はざる、名づけて報身と為す。何をか千百億化身と名づくる。若し万法を思はざれば性本空の如し、一念思量する、名づけて変化と為す。悪事を思量すれば、化して地獄と為り、善事を思量すれば、化して天堂と為る。毒害は化して竜蛇と為り、慈悲は化して菩薩と為り、智慧は化して上界と為り、愚痴は化して下才と為る。自性の変化甚だ多し、迷人は省覚すること能はず、念念悪を起して、常に悪道を行く。一念の善に回らば、智慧即ち生ず、此れを自性化身仏と名づく」。
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