六祖壇経 / 付嘱品第十
次年七月二十五日出龕,弟子才辯,以香泥上之。門人憶念取首之記,遂先以鐵葉漆布,固護師頸入塔。忽於塔內,白光出現,直上衝天,三日始散。韶州奏聞,奉敕立碑紀師道行。師,春秋七十有六,年二十四傳衣,三十九祝髮,說法利生三十七載。得旨嗣法者,四十三人,悟道超凡者,莫知其數。達摩所傳信衣,中宗賜摩納寶缽,及才辯塑師真相,並道具等,主塔侍者尸之,永鎮寶林道場。流傳壇經,以顯宗旨,興隆三寶,普利群生者。
新字:次年七月二十五日出龕,弟子才弁,以香泥上之。門人憶念取首之記,遂先以鉄葉漆布,固護師頸入塔。忽於塔内,白光出現,直上衝天,三日始散。韶州奏聞,奉勅立碑紀師道行。師,春秋七十有六,年二十四伝衣,三十九祝髪,説法利生三十七載。得旨嗣法者,四十三人,悟道超凡者,莫知其数。達摩所伝信衣,中宗賜摩納宝鉢,及才弁塑師真相,並道具等,主塔侍者尸之,永鎮宝林道場。流伝壇経,以顕宗旨,興隆三宝,普利群生者。
書き下し
次の年七月二十五日、龕より出だし、弟子才辯、香泥を以て之に上る。門人、首を取るの記を憶念し、遂に先ず鉄葉・漆布を以て、師の頸を固護して塔に入る。忽ち塔内に於いて、白光出現し、直ちに上りて天を衝き、三日にして始めて散ず。韶州奏聞し、勅を奉じて碑を立て師の道行を紀す。師、春秋七十有六、年二十四にして衣を伝え、三十九にして祝髪し、説法利生すること三十七載。旨を得て法を嗣ぐ者、四十三人、道を悟りて凡を超ゆる者、其の数を知る莫し。達摩の伝うる所の信衣、中宗の賜う摩納・宝鉢、及び才辯の塑せる師の真相、並びに道具等は、主塔の侍者之を尸り、永く宝林道場を鎮む。壇経を流伝して、以て宗旨を顕し、三宝を興隆し、普く群生を利する者なり。
現代語訳
翌年の七月二十五日、遺体を厨子から出し、弟子の才辯(さいべん)が香を練り込んだ泥を塗った。門人たちは、首を取られるという師の予言を思い出し、まず鉄の薄板と漆を塗った布で師の首を固く守ってから塔に納めた。すると塔の中からふいに白い光が現れ、まっすぐ天を突いて昇り、三日たってようやく消えた。韶州はこれを朝廷に報告し、勅命を受けて碑を建て、師の道と行いを記した。師は享年七十六。二十四歳で衣を伝えられ、三十九歳で剃髪し、法を説いて人々を利すること三十七年であった。師の教えの核心を得て法を継いだ者は四十三人、道を悟って凡夫を超えた者は数えきれない。達摩が伝えた信の証の衣、中宗が賜った摩納の袈裟と宝の鉢、および才辯が塑造した師の像、ならびに道具などは、塔を主管する侍者がこれを司り、永く宝林寺の道場を鎮め守った。『壇経』を世に伝え広めて宗旨をあらわし、仏・法・僧の三宝を盛んにし、あまねく人々を利するものである。
解説
関連する章句
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『六祖壇経』付嘱品第十付嘱品(ふぞくほん)第十。
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『六祖壇経』付嘱品第十空に執するの人は、経を謗りて直ちに文字を用いずと言う有り。即ち文字を用いずと云わば、人も亦た合に語言すべからず。只だ此の語言、便ち是れ文字の相なり。又云う、直道は文字を立てずと。即ち此の不立の両字も、亦た是れ文字なり。人の説く所を見て、便即ち他を謗りて文字に著すと言う。汝等須らく知るべし、自ら迷うは猶お可なり、又仏経を謗る。経を謗ることを要せざれ、罪障無数なり。若し外に相に著して、法を作して真を求め、或いは広く道場を立てて、有無の過患を説く、是くの如きの人は、累劫にも性を見るべからず。但だ法に依りて修行するを聴け。又百物を思わずして、道性に於いて窒礙すること莫かれ。若し説くを聴きて修せずんば、人をして反って邪念を生ぜしむ。但だ法に依りて修行し、住相無き法施をせよ。汝等若し悟らば、此れに依りて説き、此れに依りて用い、此れに依りて行じ、此れに依りて作せば、即ち本宗を失わず。若し人有りて汝に義を問わば、有を問えば無を将て対し、無を問えば有を将て対し、凡を問えば聖を以て対し、聖を問えば凡を以て対せよ。二道相因りて、中道の義を生ず。汝一問に一対し、余の問も一に此れに依りて作さば、即ち理を失わざるなり。設し人有りて問わん、「何をか名づけて暗と為す」と。答えて云え、「明は是れ因、暗は是れ縁なり。明没すれば則ち暗なり。明を以て晦を顕し、暗を以て明を顕す。来去相因りて、中道の義を成す。余の問も悉く皆此くの如し」と。汝等後に法を伝うるに、此れに依りて転た相教授し、宗旨を失うこと勿かれ。』師、大極元年壬子、延和の七月に門人に命じて新州の国恩寺に往きて塔を建てしめ、仍お工を促さしむ。次の年の夏末に落成す。七月一日、徒衆を集めて曰く、『吾八月に至りて、世間を離れんと欲す。汝等疑い有らば、早く須らく相問うべし。汝が為に疑いを破り、汝が迷いをして尽きしめん。吾若し去りて後は、人の汝に教うる無からん』と。法海等聞きて、悉く皆涕泣す。惟だ神会のみ有りて、神情動かず、亦た涕泣すること無し。
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『六祖壇経』付嘱品第十『釈迦文仏首めに伝う第一、摩訶迦葉(まかかしょう)尊者第二、阿難尊者第三、商那和修(しょうなわしゅ)尊者第四、優波毱多(うばきくた)尊者第五、提多迦(だいたか)尊者第六、弥遮迦(みしゃか)尊者第七、婆須蜜多(ばしゅみった)尊者第八、仏馱難提(ぶつだなんだい)尊者第九、伏馱蜜多(ふくだみった)尊者第十、脇尊者第十一、富那夜奢(ふなやしゃ)尊者第十二、馬鳴(めみょう)大士第十三、迦毘摩羅(かびまら)尊者第十四、竜樹大士第十五、迦那提婆(かなだいば)尊者第十六、羅睺羅多(らごらた)尊者第十七、僧伽難提(そうぎゃなんだい)尊者第十八、伽耶舎多(かやしゃた)尊者第十九、鳩摩羅多(くまらた)尊者第二十、闍耶多(しゃやた)尊者第二十一、婆修盤頭(ばしゅばんず)尊者第二十二、摩拏羅(まぬら)尊者第二十三、鶴勒那(かくろくな)尊者第二十四、師子尊者第二十五、婆舎斯多(ばしゃした)尊者第二十六、不如蜜多(ふにょみった)尊者第二十七、般若多羅(はんにゃたら)尊者第二十八、菩提達摩尊者第二十九、慧可大師第三十、僧璨大師第三十一、道信大師第三十二、弘忍大師、恵能、是れを三十三祖と為す。上より諸祖、各おの稟承有り。汝等向後、遞代に流伝し、乖誤せしむること毋かれ』と。大師、先天二年癸丑の歳八月初三日――是の年十二月、開元と改元す――国恩寺に於いて斎罷りて、諸の徒衆に謂いて曰く、『汝等各おの位に依りて坐せよ、吾汝と別れん』と。法海白して言う、『和尚何の教法を留めて、後代の迷人をして、仏性を見るを得しめん』と。
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『六祖壇経』付嘱品第十法身・報身及び化身、三身は本来是れ一身なり。若し性中に向かいて能く自ら見れば、即ち是れ成仏菩提の因なり。本化身より浄性を生じ、浄性は常に化身の中に在り。性は化身をして正道を行ぜしめ、当来円満して真に窮まり無し。淫性は本是れ浄性の因、淫を除けば即ち是れ浄性の身なり。性中に各自五欲を離れば、見性刹那に即ち是れ真なり。今生若し頓教の門に遇わば、忽ち自性を悟りて世尊を見ん。若し修行して仏と作らんことを覓めんと欲せば、知らず何れの処にか真を求めんと擬する。若し能く心中に自ら真を見れば、真有るは即ち是れ成仏の因なり。自性を見ずして外に仏を覓むれば、心を起こすこと総て是れ大痴人なり。頓教の法門今已に留む、世人を救度するには須らく自ら修すべし。汝当来の学道者に報ず、此の見を作さずんば大いに悠悠たらん」』と。師、偈を説き已りて、告げて曰く、『汝等好く住せよ。吾が滅度の後、世情の悲泣して涙を雨らし、人の弔問を受け、身に孝服を著くることを作す莫かれ。吾が弟子に非ず、亦た正法に非ず。但だ自らの本心を識り、自らの本性を見よ。動無く静無く、生無く滅無く、去無く来無く、是無く非無く、住無く往無し。恐らくは汝等心迷いて、吾が意を会せざらん、今再び汝に嘱して、汝をして性を見しむ。吾が滅度の後、此れに依りて修行せば、吾が在りし日の如し。若し吾が教えに違わば、縦い吾世に在るとも、亦た益有ること無し』と。復た偈を説きて曰く、『兀兀として善を修せず、騰騰として悪を造らず。寂寂として見聞を断じ、蕩蕩として心に著する無し』と。師、偈を説き已りて、端坐して三更に至り、忽ち門人に謂いて曰く、『吾行かん』と。奄然として遷化す。時に異香室に満ち、白虹地に属し、林木白に変じ、禽獣哀しみ鳴く。十一月、広・韶・新の三郡の官僚、洎び門人緇白、争いて真身を迎え、之く所を決する莫し。乃ち香を焚きて禱りて曰く、『香煙の指す処、師の帰する所ならん』と。時に香煙直ちに曹渓を貫く。十一月十三日、神龕並びに伝うる所の衣鉢を遷して回る。
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『六祖壇経』付嘱品第十又問う、『後に難有ること莫きや否や』と。師曰く、『吾が滅後五六年、当に一人有りて、吾が首を取らんと欲すべし。吾が讖を聴け。曰く、「頭上に親を養い、口裡に須らく餐すべし。満の難に遇い、楊柳官と為る」と。』又云う、「吾去りて七十年、二菩薩有りて東方より来たる、一は出家、一は在家なり。同時に化を興し、吾が宗を建立し、伽藍を締緝し、法嗣を昌隆せん」と。問いて曰く、『未だ知らず、上の仏祖の応現してより已来、伝授すること幾代なるか。願わくは開示を垂れたまえ』と。師云う、『古仏の世に応ずること、已に数量無く、計うべからざるなり。今七仏を以て始めと為す。過去荘厳劫の毘婆尸仏・尸棄仏・毘舎浮仏、今の賢劫の拘留孫仏・拘那含牟尼仏・迦葉仏・釈迦文仏、是れを七仏と為す。』
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『六祖壇経』行由品第一祖、本性を悟れるを知り、恵能に謂ひて曰く、「本心を識らずんば、法を学ぶも益無し。若し自らの本心を識り、自らの本性を見ば、即ち丈夫・天人師・仏と名づく」と。三更に法を受け、人尽く知らず。便ち頓教及び衣鉢を伝へて云ふ、「汝を第六代の祖と為す。善く自ら護念し、広く有情を度し、将来に流布して、断絶せしむること無かれ。吾が偈を聴け、曰く、『情有りて来りて種を下せば、地に因りて果還た生ず。情無ければ亦種無く、性無ければ亦生無し』と。祖復た曰く、「昔、達摩大師初めて此の土に来るに、人未だ之を信ぜず。故に此の衣を伝へて以て信体と為し、代代相承く。法は則ち心を以て心に伝へ、皆自ら悟り自ら解せしむ。古より、仏仏惟だ本体を伝へ、師師密かに本心を付す。衣は争ひの端為り、汝に止めて伝ふること勿れ。若し此の衣を伝へば、命懸糸の如し。汝須らく速やかに去るべし。人の汝を害せんことを恐る」と。恵能啓して曰く、「甚(いづ)れの処に向ひて去らん」と。祖云ふ、「懐に逢はば則ち止まり、会に遇はば則ち蔵(かく)れよ」と。三更に衣鉢を領得す。五祖送りて九江の駅に至り、祖、船に上らしむ。恵能随即ち櫓を把る。祖云ふ、「合(まさ)に是れ吾汝を渡すべし」と。恵能云ふ、「迷ふ時は師度し、悟り了れば自ら度す。度の名は一なりと雖も、用処同じからず。恵能は辺方に生まれ、語音正しからざるに、師の法を付するを蒙る。今已に悟ることを得たり。只だ合に自性にて自ら度すべし」と。祖云ふ、「是の如し、是の如し。以後の仏法は、汝に由りて大いに行はれん。汝今好く去れ。努力して南に向へ。速やかに説くに宜しからず、仏法起り難し」と。恵能、祖に辞違し已りて、足を発して南に行く。両月の中間に、大庾嶺に至る。後を逐ひて数百人来り、衣鉢を奪はんと欲す。一僧、俗姓は陳、名は恵明、先は是れ四品の将軍なり。性行粗燥にして、極意に参尋し、衆人の先と為り、恵能に趨(はし)り及ぶ。恵能、衣鉢を擲下して、草莽の中に隠る。恵明至り、提ぐるも動かず、乃ち喚びて云ふ、「行者、行者、我は法の為に来る、衣の為に来らず」と。恵能遂に出でて、盤石の上に坐す。恵明礼を作して云ふ、「望むらくは行者、我が為に法を説け」と。恵能曰く、「汝既に法の為にして来らば、諸縁を屏息して、一念をも生ずること勿れ。吾汝が為に説かん」と。
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