六祖壇経 / 頓漸品第八
誠聞偈悔謝,乃呈一偈:「五藴幻身,幻何究竟?回趣真如,法還不淨。」師然之。復語誠曰:「汝師戒定慧,勸小根智人;吾戒定慧,勸大根智人;若悟自性,亦不立菩提涅槃,亦不立解脫知見。無一法可得,方能建立萬法;若解此意,亦名佛身,亦名菩提涅槃,亦名解脫知見。見性之人,立亦得,不立亦得,去來自由,無滯無礙;應用隨作,應語隨答;普見化身,不離自性,即得自在神通,遊戲三昧;是名見性。」志誠再啓師曰:「如何是不立義?」師曰:「自性無非、無痴、無亂;念念般若觀照,常離法相,自由自在,縱橫盡得,有何可立?自性自悟,頓悟頓修,亦無漸次,所以不立一切法。諸法寂滅,有何次第?」志誠禮拜,願為執侍,朝夕不懈。僧志徹,江西人,本姓張,名行昌,少任俠;自南北分化,二宗主雖亡彼我,而徒侶競起愛憎。時,北宗門人,自立秀師為第六祖,而忌祖師傳衣為天下聞,乃囑行昌來剌師。師心通,預知其事,即置金十兩於座間。時,夜暮,行昌入祖室,將欲加害,師舒頸就之。行昌揮刃者三,悉無所損。師曰:「正劍不邪,邪劍不正;只負汝金,不負汝命。」行昌驚僕,久而方甦,求哀悔過,即願出家。師遂與金,言:「汝且去,恐徒眾翻害於汝,汝可他日易形而來,吾當攝受。」
新字:誠聞偈悔謝,乃呈一偈:「五藴幻身,幻何究竟?回趣真如,法還不浄。」師然之。復語誠曰:「汝師戒定慧,勧小根智人;吾戒定慧,勧大根智人;若悟自性,亦不立菩提涅槃,亦不立解脱知見。無一法可得,方能建立万法;若解此意,亦名仏身,亦名菩提涅槃,亦名解脱知見。見性之人,立亦得,不立亦得,去来自由,無滞無礙;応用随作,応語随答;普見化身,不離自性,即得自在神通,遊戯三昧;是名見性。」志誠再啓師曰:「如何是不立義?」師曰:「自性無非、無痴、無乱;念念般若観照,常離法相,自由自在,縦横尽得,有何可立?自性自悟,頓悟頓修,亦無漸次,所以不立一切法。諸法寂滅,有何次第?」志誠礼拝,願為執侍,朝夕不懈。僧志徹,江西人,本姓張,名行昌,少任侠;自南北分化,二宗主雖亡彼我,而徒侶競起愛憎。時,北宗門人,自立秀師為第六祖,而忌祖師伝衣為天下聞,乃囑行昌来剌師。師心通,預知其事,即置金十両於座間。時,夜暮,行昌入祖室,将欲加害,師舒頸就之。行昌揮刃者三,悉無所損。師曰:「正剣不邪,邪剣不正;只負汝金,不負汝命。」行昌驚僕,久而方甦,求哀悔過,即願出家。師遂与金,言:「汝且去,恐徒衆翻害於汝,汝可他日易形而来,吾当摂受。」
書き下し
誠、偈を聞きて悔謝し、乃ち一偈を呈す。「五蘊の幻身、幻何ぞ究竟ならん。真如に回趣すれば、法還た浄からず」と。師之を然りとす。復た誠に語りて曰く、「汝が師の戒定慧は、小根智の人に勧め、吾が戒定慧は、大根智の人に勧む。若し自性を悟れば、亦た菩提涅槃を立てず、亦た解脱知見を立てず。一法の得べき無くして、方に能く万法を建立す。若し此の意を解せば、亦た仏身と名づけ、亦た菩提涅槃と名づけ、亦た解脱知見と名づく。見性の人は、立つるも亦た得、立てざるも亦た得、去来自由にして、滞り無く礙り無し。応用は作すに随い、応語は答うるに随う。普く化身を見て、自性を離れず、即ち自在神通、遊戯三昧を得。是れを見性と名づく」と。志誠再び師に啓して曰く、「如何なるか是れ不立の義」と。師曰く、「自性は非無く、痴無く、乱無し。念念に般若もて観照し、常に法相を離れ、自由自在にして、縦横に尽く得たり、何の立つべき有らん。自性は自ら悟り、頓に悟り頓に修し、亦た漸次無し、所以に一切の法を立てず。諸法は寂滅す、何の次第か有らん」と。志誠礼拝し、執侍と為らんことを願い、朝夕懈らず。僧志徹は、江西の人なり、本姓は張、名は行昌、少くして任侠なり。南北分化してより、二宗の主は彼我を亡ずと雖も、而も徒侶は競いて愛憎を起こす。時に北宗の門人、自ら秀師を立てて第六祖と為し、而して祖師の衣を伝えしことの天下に聞こゆるを忌み、乃ち行昌に嘱して来りて師を刺さしむ。師は心通なれば、預め其の事を知り、即ち金十両を座間に置く。時に夜暮、行昌祖室に入り、将に害を加えんと欲す、師頸を舒べて之に就く。行昌刃を揮うこと三たび、悉く損う所無し。師曰く、「正剣は邪ならず、邪剣は正ならず。只だ汝に金を負うのみ、汝に命を負わず」と。行昌驚きて僕れ、久しくして方に甦り、哀れみを求めて過ちを悔い、即ち出家を願う。師遂に金を与えて言う、「汝且く去れ、恐らくは徒衆翻って汝を害せん。汝は他日形を易えて来るべし、吾当に摂受すべし」と。
現代語訳
志誠は(慧能の)偈を聞いて悔い、感謝し、自らも一偈を差し出した。「五蘊(ごうん、身心を成す五つの要素)でできた幻の身、幻がどうして究極のものであろう。真如(ありのままの真実)へ向かおうとすれば、その法もかえって不浄となる」。師はこれを認めた。そして重ねて志誠に語った。「お前の師の戒定慧は、小さな素質の人に勧めるもの、私の戒定慧は、大きな素質の人に勧めるものである。もし自性を悟れば、菩提や涅槃という名も立てず、解脱や解脱の知見という名も立てない。得るべき一法も無いからこそ、万法を打ち立てることができる。この意味がわかれば、それを仏身とも、菩提涅槃とも、解脱知見とも名づけてよい。見性した人は、立ててもよく、立てなくてもよい。行くも来るも自由で、滞りも妨げもない。働きはなすべきことに応じて起こり、言葉は問いに応じて答える。あまねく化身を現しながら自性を離れず、自在な神通と遊戯(ゆげ)三昧を得る。これを見性という」。志誠はふたたび師に申し上げた。「立てないというのはどういう意味か」。師は言った。「自性には過ちもなく、愚かさもなく、乱れもない。一念一念に般若の智慧で照らし見て、常に法の相を離れ、自由自在で、縦横どこへ向かってもすべて得ている。何を立てる必要があろう。自性は自ら悟るもので、一挙に悟り一挙に修し、段階というものもない。だから一切の法を立てないのだ。諸法はもともと寂滅している。どんな順序があるというのか」。志誠は礼拝して、そばに仕えることを願い、朝夕怠らなかった。僧の志徹(しとつ)は江西の人で、もとの姓は張、名は行昌(ぎょうしょう)といい、若い頃は任侠の徒であった。南北の二宗が分かれて教化するようになってから、両宗の主は自他の区別を忘れていたが、門徒たちは競って愛憎を起こした。そのころ北宗の門人たちは、勝手に神秀を第六祖に立て、祖師(慧能)が衣を伝えられたことが天下に知れ渡っているのを忌み嫌い、行昌に頼んで師を刺し殺させようとした。師は他人の心を見通す力があったので、あらかじめそのことを知り、金十両を座のあいだに置いておいた。夜になって行昌は祖師の部屋に入り、危害を加えようとした。師は首を差し伸べて刃に向かった。行昌は三度刃を振り下ろしたが、少しも傷つけることができなかった。師は言った。「正しい剣は邪ならず、邪な剣は正しからず。私はお前に金の借りがあるだけで、命の借りはない」。行昌は驚いて倒れ、しばらくしてようやく息を吹き返し、許しを乞うて過ちを悔い、そのまま出家を願った。師は金を与えて言った。「ひとまず去れ。門徒たちがかえってお前に害を加えるかもしれない。いつか姿を変えて来るがよい。そのとき私はお前を受け入れよう」。
解説
関連する章句
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『六祖壇経』頓漸品第八然るに秀の徒衆、往往にして南宗の祖師は一字をも識らず、何の長ずる所か有らんと譏る。秀曰く、「他は無師の智を得て、深く上乗を悟る、吾は如かざるなり。且つ吾が師五祖、親しく衣法を伝う、豈に徒然ならんや。吾は遠く去りて親近すること能わず、虚しく国恩を受くるを恨む。汝等諸人、此に滞ること毋く、曹渓に往きて参決すべし」と。一日、門人志誠に命じて曰く、「汝は聡明多智なり、吾が為に曹渓に到りて法を聴くべし。若し聞く所有らば、心を尽くして記取し、還りて吾が為に説け」と。志誠命を稟けて曹渓に至り、衆に随いて参請し、来処を言わず。時に祖師衆に告げて曰く、「今、盗法の人有りて、潜かに此の会に在り」と。志誠即ち出でて礼拝し、具さに其の事を陳ぶ。師曰く、「汝は玉泉より来る、応に是れ細作なるべし」と。対えて曰く、「是ならず」と。師曰く、「何ぞ是ならざるを得ん」と。対えて曰く、「未だ説かざれば即ち是なり、説き了れば是ならず」と。師曰く、「汝が師は若為(いかん)が衆に示す」と。対えて曰く、「常に大衆を指誨して、心を住めて浄を観じ、長坐して臥せざらしむ」と。師曰く、「心を住めて浄を観ずるは、是れ病にして禅に非ず。長坐して身を拘するは、理に於いて何の益かあらん。吾が偈を聴け。曰く、『生来坐して臥せず、死し去りて臥して坐せず。元是れ臭骨頭、何為れぞ功課を立てん』」と。志誠再拝して曰く、「弟子、秀大師の処に在りて道を学ぶこと九年、契悟を得ず。今和尚の一説を聞きて、便ち本心に契う。弟子、生死の事大なり、和尚大慈もて、更に教示を為したまえ」と。師曰く、「吾聞く、汝が師は学人に戒定慧の法を教示すと。未審(いぶか)し、汝が師の説く戒定慧の行相は如何。吾が与に説き看よ」と。誠曰く、「秀大師説くらく、諸悪作す莫きを名づけて戒と為し、諸善奉行するを名づけて慧と為し、自ら其の意を浄むるを名づけて定と為すと。彼の説は此くの如し。未審し、和尚は何の法を以て人を誨うるや」と。師曰く、「吾若し法の人に与うる有りと言わば、即ち汝を誑すと為す。但だ且く方に随いて縛を解き、仮に三昧と名づくるのみ。汝が師の説く所の戒定慧の如きは、実に不可思議なり。吾が見る所の戒定慧は又別なり」と。志誠曰く、「戒定慧は只だ合に一種なるべし、如何ぞ更に別なる」と。
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『六祖壇経』頓漸品第八行昌忽然として大悟し、偈を説きて云う、「無常の心を守るに因りて、仏は有常の性を説く。方便を知らざる者は、猶お春池に礫を拾うがごとし。我今功を施さずして、仏性而も現前す。師の相授与するに非ず、我も亦た得る所無し」と。師曰く、「汝今徹せり、宜しく志徹と名づくべし」と。徹、礼謝して退く。一童子有り、神会と名づく、襄陽の高氏の子なり、年十三、玉泉より来りて参礼す。師曰く、「知識遠く来りて艱辛す、還た本を将ち得来るや否や。若し本有らば則ち合に主を識るべし、試みに説き看よ」と。会曰く、「無住を以て本と為し、見は即ち是れ主なり」と。師曰く、「這の沙弥、争でか合に取次の語をすべけんや」と。会乃ち問いて曰く、「和尚坐禅するに、還た見るや見ずや」と。師、柱杖を以て打つこと三下して云う、「吾汝を打つ、是れ痛きや痛からずや」と。対えて曰く、「亦た痛く、亦た痛からず」と。師曰く、「吾も亦た見、亦た見ず」と。神会問う、「如何なるか是れ亦た見、亦た見ず」と。師云う、「吾の見る所は、常に自心の過愆を見て、他人の是非好悪を見ず。是を以て亦た見、亦た見ず。汝が亦た痛く亦た痛からずと言うは、如何。汝若し痛からずんば、其の木石に同じ。若し痛くんば、則ち凡夫に同じく、即ち恚恨を起こさん。汝が向前の見る見ずは、是れ二辺なり。痛き痛からずは、是れ生滅なり。汝は自性すら且つ見ず、敢えて爾く人を弄するか」と。神会礼拝して悔謝す。師又曰く、「汝若し心迷いて見ずんば、善知識に問いて路を覓めよ。汝若し心悟らば、即ち自ら性を見て、法に依りて修行せよ。汝自ら迷いて自心を見ず、却って来りて吾が見ると見ざるとを問う。吾が見るは自ら知る、豈に汝の迷いに代わらんや。汝若し自ら見るとも、亦た吾が迷いに代わらず。何ぞ自ら知り自ら見ずして、乃ち吾が見ると見ざるとを問うや」と。神会再び礼すること百余拝、過愆を謝せんことを求め、勤めに服して給侍し、左右を離れず。一日、師衆に告げて曰く、「吾に一物有り、頭無く尾無く、名無く字無く、背無く面無し。諸人還た識るや否や」と。
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『六祖壇経』頓漸品第八師曰く、「汝が師の戒定慧は、大乘の人を接す。吾が戒定慧は、最上乘の人を接す。悟解同じからず、見に遲疾有り。汝吾が説を聽け、彼と同じきや否や。吾が説く所の法は、自性を離れず。體を離れて法を説く、名づけて相説と為す。自性常に迷ふ。須らく知るべし、一切の萬法は、皆な自性より起用す、是れ真の戒定慧の法なりと。吾が偈を聽け」と曰く、『心地に非無きは自性の戒、心地に痴無きは自性の慧、心地に亂無きは自性の定。增さず減らざるは自ら金剛、身去り身來るも本と三昧なり。』
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『六祖壇経』行由品第一恵能曰く、「恵能、和尚に啓す。弟子が自心、常に智慧を生じ、自性を離れず、即ち是れ福田なり。未審(いぶか)し、和尚、何の務めをか作さしめんと教ふる」と。祖云ふ、「這(こ)の獦獠、根性大いに利なり。汝更に言ふこと勿れ。槽廠に著き去れ」と。恵能退きて後院に至るに、一行者有り、恵能を差して柴を破り碓(からうす)を踏ましむること、八月余を経たり。祖、一日忽ち恵能を見て曰く、「吾、汝の見の用ふべきを思ふも、悪人の汝を害せんことを恐れ、遂に汝と言はず。汝之を知るや否や」と。恵能曰く、「弟子も亦師の意を知り、敢へて行きて堂前に至らず、人をして覚らざらしむ」と。祖、一日諸の門人を喚びて総て来らしむ、「吾、汝に向ひて説かん。世人、生死事大なり。汝等終日只だ福田を求めて、生死の苦海を出離せんことを求めず。自性若し迷はば、福何ぞ救ふべけんや。汝等各去りて自ら智慧を看、自らの本心般若の性を取りて、各一偈を作り、来りて吾に呈して看せしめよ。若し大意を悟らば、汝に衣法を付して、第六代の祖と為さん。火急に速やかに去れ、遅滞するを得ず。思量すれば即ち用に中(あた)らず。見性の人は、言下に須らく見るべし。若し此の如き者は、刀を輪(まは)して陣に上るとも亦之を見ることを得ん」と。衆、処分を得て、退きて逓(たがひ)に相謂ひて曰く、「我等衆人、心を澄まし意を用ひて偈を作り、将(も)つて和尚に呈するを須ひず。何の益する所か有らん。神秀上座は、現に教授師為り、必ず是れ他(かれ)得ん。我が輩謾(みだ)りに偈頌を作るは、枉げて心力を用ふるなり」と。諸人、語を聞きて、総て皆心を息め、咸言ふ、「我等以後、秀師に依止せん。何ぞ偈を作るを煩はさん」と。神秀思惟す、「諸人の偈を呈せざるは、我が他の為に教授師為るが為なり。我須らく偈を作りて将て和尚に呈すべし。若し偈を呈せずんば、和尚如何ぞ我が心中の見解の深浅を知らん。我が偈を呈する意、法を求むるは即ち善、祖を覓むるは即ち悪、却つて凡心に同じく、其の聖位を奪ふと奚(なん)ぞ別たん。若し偈を呈せずんば、終に法を得ず。大いに難し、大いに難し」と。
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『六祖壇経』付嘱品第十法身・報身及び化身、三身は本来是れ一身なり。若し性中に向かいて能く自ら見れば、即ち是れ成仏菩提の因なり。本化身より浄性を生じ、浄性は常に化身の中に在り。性は化身をして正道を行ぜしめ、当来円満して真に窮まり無し。淫性は本是れ浄性の因、淫を除けば即ち是れ浄性の身なり。性中に各自五欲を離れば、見性刹那に即ち是れ真なり。今生若し頓教の門に遇わば、忽ち自性を悟りて世尊を見ん。若し修行して仏と作らんことを覓めんと欲せば、知らず何れの処にか真を求めんと擬する。若し能く心中に自ら真を見れば、真有るは即ち是れ成仏の因なり。自性を見ずして外に仏を覓むれば、心を起こすこと総て是れ大痴人なり。頓教の法門今已に留む、世人を救度するには須らく自ら修すべし。汝当来の学道者に報ず、此の見を作さずんば大いに悠悠たらん」』と。師、偈を説き已りて、告げて曰く、『汝等好く住せよ。吾が滅度の後、世情の悲泣して涙を雨らし、人の弔問を受け、身に孝服を著くることを作す莫かれ。吾が弟子に非ず、亦た正法に非ず。但だ自らの本心を識り、自らの本性を見よ。動無く静無く、生無く滅無く、去無く来無く、是無く非無く、住無く往無し。恐らくは汝等心迷いて、吾が意を会せざらん、今再び汝に嘱して、汝をして性を見しむ。吾が滅度の後、此れに依りて修行せば、吾が在りし日の如し。若し吾が教えに違わば、縦い吾世に在るとも、亦た益有ること無し』と。復た偈を説きて曰く、『兀兀として善を修せず、騰騰として悪を造らず。寂寂として見聞を断じ、蕩蕩として心に著する無し』と。師、偈を説き已りて、端坐して三更に至り、忽ち門人に謂いて曰く、『吾行かん』と。奄然として遷化す。時に異香室に満ち、白虹地に属し、林木白に変じ、禽獣哀しみ鳴く。十一月、広・韶・新の三郡の官僚、洎び門人緇白、争いて真身を迎え、之く所を決する莫し。乃ち香を焚きて禱りて曰く、『香煙の指す処、師の帰する所ならん』と。時に香煙直ちに曹渓を貫く。十一月十三日、神龕並びに伝うる所の衣鉢を遷して回る。
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『六祖壇経』行由品第一祖、本性を悟れるを知り、恵能に謂ひて曰く、「本心を識らずんば、法を学ぶも益無し。若し自らの本心を識り、自らの本性を見ば、即ち丈夫・天人師・仏と名づく」と。三更に法を受け、人尽く知らず。便ち頓教及び衣鉢を伝へて云ふ、「汝を第六代の祖と為す。善く自ら護念し、広く有情を度し、将来に流布して、断絶せしむること無かれ。吾が偈を聴け、曰く、『情有りて来りて種を下せば、地に因りて果還た生ず。情無ければ亦種無く、性無ければ亦生無し』と。祖復た曰く、「昔、達摩大師初めて此の土に来るに、人未だ之を信ぜず。故に此の衣を伝へて以て信体と為し、代代相承く。法は則ち心を以て心に伝へ、皆自ら悟り自ら解せしむ。古より、仏仏惟だ本体を伝へ、師師密かに本心を付す。衣は争ひの端為り、汝に止めて伝ふること勿れ。若し此の衣を伝へば、命懸糸の如し。汝須らく速やかに去るべし。人の汝を害せんことを恐る」と。恵能啓して曰く、「甚(いづ)れの処に向ひて去らん」と。祖云ふ、「懐に逢はば則ち止まり、会に遇はば則ち蔵(かく)れよ」と。三更に衣鉢を領得す。五祖送りて九江の駅に至り、祖、船に上らしむ。恵能随即ち櫓を把る。祖云ふ、「合(まさ)に是れ吾汝を渡すべし」と。恵能云ふ、「迷ふ時は師度し、悟り了れば自ら度す。度の名は一なりと雖も、用処同じからず。恵能は辺方に生まれ、語音正しからざるに、師の法を付するを蒙る。今已に悟ることを得たり。只だ合に自性にて自ら度すべし」と。祖云ふ、「是の如し、是の如し。以後の仏法は、汝に由りて大いに行はれん。汝今好く去れ。努力して南に向へ。速やかに説くに宜しからず、仏法起り難し」と。恵能、祖に辞違し已りて、足を発して南に行く。両月の中間に、大庾嶺に至る。後を逐ひて数百人来り、衣鉢を奪はんと欲す。一僧、俗姓は陳、名は恵明、先は是れ四品の将軍なり。性行粗燥にして、極意に参尋し、衆人の先と為り、恵能に趨(はし)り及ぶ。恵能、衣鉢を擲下して、草莽の中に隠る。恵明至り、提ぐるも動かず、乃ち喚びて云ふ、「行者、行者、我は法の為に来る、衣の為に来らず」と。恵能遂に出でて、盤石の上に坐す。恵明礼を作して云ふ、「望むらくは行者、我が為に法を説け」と。恵能曰く、「汝既に法の為にして来らば、諸縁を屏息して、一念をも生ずること勿れ。吾汝が為に説かん」と。
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