六祖壇経 / 機縁品第七
隍後禮辭,復歸河北,開化四眾。一僧問師曰:「黃梅意旨,甚麼人得?」師云:「會佛法人得。」僧云:「和尚還得否?」師云:「我不會佛法。」師一日欲濯所授之衣,而無美泉;因至寺後五里許,見山林郁茂,瑞氣盤旋;師振錫卓地,泉應手而出,積以為池,乃跪膝浣衣石上。有蜀僧方辯謁師,師曰:「上人攻何事業?」曰:「善塑。」師正色曰:「汝試塑看。」辯罔措。過數日,塑就真相,可高七寸,曲盡其妙。師笑曰:「汝善塑性,不解佛性。」即為摩頂授記,永與人天為福田,仍以衣酬之。辯取衣分為三:「一披塑像,一自留,一用繌裹痊地中。誓曰:「後得此衣,乃吾出世,住持於此,重建殿宇。」宋嘉祐八年,有僧惟先,修殿掘地,得衣如新。像在高泉寺,祈禱輒應。有僧舉臥輪禪師偈云:「臥輪有伎倆,能斷百思想,對境心不起,菩提日日長。」師聞之曰:「此偈未明心地,若依而行之,是加系縛。」因示一偈曰:
新字:隍後礼辞,復帰河北,開化四衆。一僧問師曰:「黄梅意旨,甚麼人得?」師云:「会仏法人得。」僧云:「和尚還得否?」師云:「我不会仏法。」師一日欲濯所授之衣,而無美泉;因至寺後五里許,見山林郁茂,瑞気盤旋;師振錫卓地,泉応手而出,積以為池,乃跪膝浣衣石上。有蜀僧方弁謁師,師曰:「上人攻何事業?」曰:「善塑。」師正色曰:「汝試塑看。」弁罔措。過数日,塑就真相,可高七寸,曲尽其妙。師笑曰:「汝善塑性,不解仏性。」即為摩頂授記,永与人天為福田,仍以衣酬之。弁取衣分為三:「一披塑像,一自留,一用繌裹痊地中。誓曰:「後得此衣,乃吾出世,住持於此,重建殿宇。」宋嘉祐八年,有僧惟先,修殿掘地,得衣如新。像在高泉寺,祈祷輒応。有僧舉臥輪禅師偈云:「臥輪有伎倆,能断百思想,対境心不起,菩提日日長。」師聞之曰:「此偈未明心地,若依而行之,是加系縛。」因示一偈曰:
書き下し
隍後に礼辞して、復た河北に帰り、四衆を開化す。一僧師に問ひて曰く、「黄梅の意旨は、甚麼人か得たる」と。師云く、「仏法を会する人得たり」と。僧云く、「和尚還つて得たりや否や」と。師云く、「我仏法を会せず」と。師一日、授かる所の衣を濯はんと欲するも、美泉無し。因りて寺の後五里許りに至り、山林の郁茂し、瑞気の盤旋するを見る。師錫を振りて地に卓(た)つれば、泉手に応じて出づ。積みて以て池と為し、乃ち膝を跪きて衣を石上に浣ふ。蜀僧方辯有りて師に謁す。師曰く、「上人何の事業をか攻むる」と。曰く、「善く塑す」と。師色を正して曰く、「汝試みに塑して看よ」と。辯措く罔し。数日を過ぎて、真相を塑し就(な)す。高さ七寸可(ばか)り、曲さに其の妙を尽す。師笑ひて曰く、「汝は塑性に善けれども、仏性を解せず」と。即ち為に摩頂授記して、永く人天の与(ため)に福田と為し、仍りて衣を以て之に酬ゆ。辯衣を取りて分ちて三と為し、「一は塑像に披せ、一は自ら留め、一は繌を用ひて裹みて地中に痊(うず)む」。誓ひて曰く、「後に此の衣を得るものは、乃ち吾出世して、此に住持し、殿宇を重建せん」と。宋の嘉祐八年、僧惟先有り、殿を修めて地を掘り、衣を得たること新しきが如し。像は高泉寺に在り、祈祷すれば輒ち応ず。僧有りて臥輪禅師の偈を挙げて云く、「臥輪に伎倆有り、能く百思想を断ず。境に対して心起らず、菩提日日に長ず」と。師之を聞きて曰く、「此の偈は未だ心地を明らめず、若し依りて之を行ぜば、是れ繋縛を加ふ」と。因りて一偈を示して曰く、
現代語訳
智隍はのちに暇乞いをして、ふたたび河北に帰り、出家・在家の四衆を教化した。ある僧が師に問うた。「黄梅(五祖弘忍)の教えの真意は、どんな人が得たのか。」師は言った。「仏法がわかる人が得た。」僧は言った。「和尚は得たのか。」師は言った。「わたしは仏法がわからない。」師はある日、授けられた衣を洗おうとしたが、よい泉が無かった。そこで寺の裏手五里ほどのところまで行くと、山林がこんもりと茂り、めでたい気配がめぐりたなびいているのが見えた。師が錫杖を振って地に突き立てると、手に応じて泉が湧き出た。水をためて池とし、膝をついて石の上で衣を洗った。蜀の僧の方辯という者が師に謁見した。師は言った。「あなたは何の技を修めているのか。」答えた。「塑像を作るのが得意である。」師は顔つきを改めて言った。「では試しに作ってみよ。」方辯はどうしてよいかわからなかった。数日たって、師の真の姿を塑像に作り上げた。高さ七寸ばかりで、細部までその妙を尽くしていた。師は笑って言った。「おまえは塑像の性質はよくわかっているが、仏性はわかっていない。」そしてすぐに彼の頭をなでて授記(将来の成仏の予言)を与え、永く人々と天の神々のための福田(功徳を生む田)とし、さらに衣をもって彼に報いた。方辯は衣を受け取って三つに分け、「一つは塑像にかけ、一つは自分で留め、一つは布で包んで地中に埋める」と言った。そして誓って言った。「のちにこの衣を得る者があれば、それはわたしがこの世に再び出て、ここの住持となり、殿堂を建て直すのである。」宋の嘉祐八年(一〇六三年)、惟先という僧が殿堂を修理しようと地を掘ったところ、新品のような衣が見つかった。塑像は高泉寺にあり、祈れば必ず応えがある。ある僧が臥輪禅師の偈を挙げて言った。「臥輪には腕前がある、多くの思いを断ち切ることができる。対象に向かっても心が起こらず、悟りは日ごとに育つ。」師はこれを聞いて言った。「この偈はまだ心の本質を明らかにしていない。もしこれに従って行えば、かえって束縛を加えることになる。」そこで一つの偈を示して言った。
解説
関連する章句
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『六祖壇経』機縁品第七師、黄梅にて法を得てより、回りて韶州曹侯村に至るも、人の知る者無し。時に、儒士劉志略有り、礼遇甚だ厚し。志略に姑の尼と為れる有り、無尽蔵と名づく、常に大涅槃経を誦す。師暫く聴きて、即ち妙義を知り、遂に為に解説す。尼乃ち巻を執りて字を問ふ。師曰く、「字は即ち識らず、義は即ち請ふ問へ」と。尼曰く、「字すら尚ほ識らず、焉んぞ能く義を会せん」と。師曰く、「諸仏の妙理は、文字に関はるに非ず」と。尼驚きて之を異とし、遍く里中の耆徳に告げて云く、「此れは是れ有道の士なり、宜しく請じて供養すべし」と。魏の武侯の玄孫曹叔良及び居民有りて、競ひ来りて瞻礼す。時に、宝林の古寺、隋末の兵火より已に廃れたり、遂に故基に於て、梵宇を重建し、師を延(ひ)きて之に居らしむ。俄かに宝坊と成る。師住すること九月余日、又た悪党に尋ね逐はる。師乃ち前山に遁る。其の火を縦ちて草木を焚かるるも、師身を隠して石中に挨(お)し入りて免るることを得たり。石に今師の趺坐の膝の痕、及び衣布の紋有り、因りて避難石と名づく。師、五祖の懐会止蔵の嘱を憶ひ、遂に行きて二邑に隠る。僧法海は、韶州曲江の人なり。初めて祖師に参じて、問ひて曰く、「即心即仏、願はくは指諭を垂れたまへ」と。師曰く、「前念生ぜざるは即ち心、後念滅せざるは即ち仏なり。一切の相を成ずるは即ち心、一切の相を離るるは即ち仏なり。吾若し具さに説かば、劫を窮むるとも尽きず。吾が偈を聴け。曰く、『即心を慧と名づけ、即仏は乃ち定なり。定慧等しく持せば、意中清浄なり。此の法門を悟るは、汝が習性に由る。用は本無生なり、双修是れ正なり』」と。法海言下に大悟し、偈を以て讃じて曰く、「即心元是れ仏、悟らずして自ら屈す。我定慧の因を知る、双修して諸物を離れん」と。僧法達は、洪洲の人、七歳にして出家し、常に法華経を誦す。来りて祖師を礼するに、頭地に至らず。師訶して曰く、「礼して地に投ぜずんば、何ぞ礼せざるに如かん。汝の心中に必ず一物有らん、何事をか蘊習する」と。曰く、「法華経を念ずること、已に三千部に及ぶ」と。
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『六祖壇経』行由品第一祖、本性を悟れるを知り、恵能に謂ひて曰く、「本心を識らずんば、法を学ぶも益無し。若し自らの本心を識り、自らの本性を見ば、即ち丈夫・天人師・仏と名づく」と。三更に法を受け、人尽く知らず。便ち頓教及び衣鉢を伝へて云ふ、「汝を第六代の祖と為す。善く自ら護念し、広く有情を度し、将来に流布して、断絶せしむること無かれ。吾が偈を聴け、曰く、『情有りて来りて種を下せば、地に因りて果還た生ず。情無ければ亦種無く、性無ければ亦生無し』と。祖復た曰く、「昔、達摩大師初めて此の土に来るに、人未だ之を信ぜず。故に此の衣を伝へて以て信体と為し、代代相承く。法は則ち心を以て心に伝へ、皆自ら悟り自ら解せしむ。古より、仏仏惟だ本体を伝へ、師師密かに本心を付す。衣は争ひの端為り、汝に止めて伝ふること勿れ。若し此の衣を伝へば、命懸糸の如し。汝須らく速やかに去るべし。人の汝を害せんことを恐る」と。恵能啓して曰く、「甚(いづ)れの処に向ひて去らん」と。祖云ふ、「懐に逢はば則ち止まり、会に遇はば則ち蔵(かく)れよ」と。三更に衣鉢を領得す。五祖送りて九江の駅に至り、祖、船に上らしむ。恵能随即ち櫓を把る。祖云ふ、「合(まさ)に是れ吾汝を渡すべし」と。恵能云ふ、「迷ふ時は師度し、悟り了れば自ら度す。度の名は一なりと雖も、用処同じからず。恵能は辺方に生まれ、語音正しからざるに、師の法を付するを蒙る。今已に悟ることを得たり。只だ合に自性にて自ら度すべし」と。祖云ふ、「是の如し、是の如し。以後の仏法は、汝に由りて大いに行はれん。汝今好く去れ。努力して南に向へ。速やかに説くに宜しからず、仏法起り難し」と。恵能、祖に辞違し已りて、足を発して南に行く。両月の中間に、大庾嶺に至る。後を逐ひて数百人来り、衣鉢を奪はんと欲す。一僧、俗姓は陳、名は恵明、先は是れ四品の将軍なり。性行粗燥にして、極意に参尋し、衆人の先と為り、恵能に趨(はし)り及ぶ。恵能、衣鉢を擲下して、草莽の中に隠る。恵明至り、提ぐるも動かず、乃ち喚びて云ふ、「行者、行者、我は法の為に来る、衣の為に来らず」と。恵能遂に出でて、盤石の上に坐す。恵明礼を作して云ふ、「望むらくは行者、我が為に法を説け」と。恵能曰く、「汝既に法の為にして来らば、諸縁を屏息して、一念をも生ずること勿れ。吾汝が為に説かん」と。
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『六祖壇経』行由品第一恵明、言下に大悟す。復た問ひて云ふ、「上来の密語密意の外に、還た更に密意有りや否や」と。恵能云ふ、「汝が与(ため)に説く者は、即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に在り」と。明曰く、「恵明、黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省みず。今指示を蒙るに、人の水を飲みて冷暖自ら知るが如し。今、行者は即ち恵明の師なり」と。恵能曰く、「汝若し是の如くならば、吾汝と同じく黄梅を師とせん。善く自ら護持せよ」と。明又問ふ、「恵明、今後甚れの処に向ひて去らん」と。恵能曰く、「袁に逢はば則ち止まり、蒙に遇はば則ち居れ」と。恵能又復た偈して曰く、「思はず亦相(かたど)らず、本体自ら如如たり。善悪皆是れ幻、見性即ち真如なり。念念留滞無し、何ぞ急に吾を追ふを労せん。衣鉢何ぞ奪ふに足らん、此を争ふは是れ迷徒なり。人に逢はば此の法を伝へよ、当下に真吾を識らん」と。明、礼して辞す。
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『六祖壇経』機縁品第七師曰く、「甚麼物か恁麼(いんも)に来る」と。曰く、「一物を説似すれば即ち中らず」と。師曰く、「還つて修証すべきや否や」と。曰く、「修証は即ち無きにあらず、染汚することは即ち得ず」と。師曰く、「只だ此の染汚せざる、諸仏の護念したまふ所なり。汝既に是くの如し、吾も亦た是くの如し」と。譲豁然として契会し、遂に左右に執侍すること一十五載、日に玄奥に臻る。後に南岳に往きて、大いに禅宗を闡く。勅して大慧禅師と諡す。永嘉玄覚禅師は、温州戴氏の子なり。少くして経論を習ひ、天台の止観の法門に精し。維摩経を看るに因りて、心地を発明す。偶ま師の弟子玄策相訪ひ、与に劇談するに、出言暗に諸祖に合す。策云く、「仁者法を得たる師は誰ぞ」と。曰く、「我方等の経論を聴くに、各師承有り。後に維摩経に於て、仏心宗を悟るも、未だ証明する者有らず」と。策云く、「威音王已前は即ち得たり、威音王已後、師無くして自ら悟るは、尽く是れ天然外道なり」と。云く、「願はくは仁者我が為に証拠せよ」と。策云く、「我が言は軽し。曹溪に六祖大師有り、四方雲集す、並びに是れ法を受くる者なり。若し去らば、則ち与に偕に行かん」と。覚遂に策と同に来り参じ、師を繞ること三匝、錫を振りて立つ。師曰く、「夫れ沙門は、三千の威儀、八万の細行を具ふ。大徳何れの方よりか来りて、大我慢を生ずる」と。
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『六祖壇経』機縁品第七玄覚方に威儀を具へて礼拝す。須臾にして告辞す。師曰く、「返ること太(はなは)だ速かならずや」と。曰く、「本自(もと)動くに非ず、豈に速きこと有らんや」と。師曰く、「誰か動くに非ざることを知る」と。曰く、「仁者自ら分別を生ず」と。師曰く、「汝甚だ無生の意を得たり」と。曰く、「無生に豈に意有らんや」と。師曰く、「意無くんば誰か当に分別すべき」と。曰く、「分別も亦た意に非ず」と。師曰く、「善い哉。少しく留まりて一宿せよ」と。時に一宿覚と謂ふ。後に証道歌を著し、盛んに世に行はる。諡して無相大師と曰ひ、時に称して其の覚と為す。禅者智隍は、初め五祖に参じ、自ら已に正受を得たりと謂ひ、庵に居りて長坐すること、二十年を積む。師の弟子玄策、遊方して河朔に至り、隍の名を聞きて、庵に造(いた)りて問ひて云く、「汝此に在りて甚麼をか作す」と。隍曰く、「入定す」と。策云く、「汝入定すと云ふ、有心にして入るとせんや、無心にして入るとせんや。若し無心にして入らば、一切の無情の草木瓦石も、応に合に定を得べし。若し有心にして入らば、一切の有情含識の流も、亦た応に定を得べし」と。隍曰く、「我正に入定する時、有無の心有ることを見ず」と。策云く、「有無の心有ることを見ずんば、即ち是れ常定なり、何ぞ出入有らん。若し出入有らば、即ち大定に非ず」と。隍対ふること無し。良久しくして、問ひて曰く、「師は誰にか嗣ぐ」と。策云く、「我が師は曹溪の六祖なり」と。隍云く、「六祖は何を以てか禅定と為す」と。策云く、「我が師の説く所は、妙湛円寂にして、体用如如たり。五陰は本空、六塵は有に非ず。出でず入らず、定まらず乱れず。禅性は住無し、住を離れて禅寂す。禅性は生無し、生を離れて禅想す。心は虚空の如くにして、亦た虚空の量無し」と。隍是の説を聞きて、徑ちに来りて師に謁す。師問ひて云く、「仁者何れより来る」と。隍具さに前縁を述ぶ。師云く、「誠に言ふ所の如し」と。師其の遠く来るを憫れみ、遂に開決を垂る。隍是に於て大悟し、二十年の所得の心、都て影響無し。其の夜、河北の士庶、空中に声有りて云ふを聞く、「隍禅師今日道を得たり」と。
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『六祖壇経』付嘱品第十今汝等が為に法を説きて、其の衣を付さず。蓋し汝等の信根淳熟して、決定して疑い無く、大事を任ずるに堪うるが為なり。然も先祖達摩大師の付授の偈の意に拠るに、衣は合に伝うべからず。偈に曰く、「吾本茲の土に来たり、法を伝えて迷情を救う。一花五葉を開き、結果自然に成る」と。』師復た曰く、『汝等若し種智を成就せんと欲せば、須らく一相三昧・一行三昧に達すべし。若し一切の処に於いて相に住せず、彼の相中に於いて憎愛を生ぜず、亦た取捨無く、利益成壊等の事を念ぜず、安閑恬静、虚融澹泊なる、此れを一相三昧と名づく。若し一切の処、行住坐臥に於いて、純一の直心にして、道場を動ぜず、其れ浄土を成す、此れを一行三昧と名づく。若し人二三昧を具うれば、地に種有りて、含蔵長養し、其の実を成熟するが如し。一相一行も、亦復た是くの如し。我今説法するは、猶お時雨の普く大地を潤すが如し。汝等の仏性は、諸を種子に譬う、茲の沾洽に遇いて、悉く皆発生す。吾が旨を承くる者は、決して菩提を獲、吾が行に依る者は、定んで妙果を証せん。吾が偈を聴け。曰く、「心地は諸種を含み、普雨に悉く皆萌す。頓悟して花情已みなば、菩提の果自ずから成る」と。』師、偈を説き已りて曰く、『其の法は無二、其の心も亦た然り。其の道は清浄にして、亦た諸相無し。汝等慎みて静を観じ、及び其の心を空しくすること勿かれ。此の心は本浄にして、取捨すべき無し。各自努力し、縁に随いて好く去れ』と。爾の時、徒衆礼を作して退く。大師、七月八日、忽ち門人に謂いて曰く、『吾新州に帰らんと欲す、汝等速やかに舟楫を理えよ』と。大衆哀しみ留むること甚だ堅し。師曰く、『諸仏の出現すら、猶お涅槃を示す。来る有れば必ず去る、理も亦た常に然り。吾が此の形骸、帰するに必ず所有り』と。衆曰く、『師此れより去らば、早晩か回るべき』と。師曰く、『葉落ちて根に帰す、来る時口無し』と。又問いて曰く、『正法眼蔵は、何人にか伝付する』と。師曰く、『道有る者は得、心無き者は通ず』と。
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