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六祖壇経 / 行由品第一

惠明言下大悟。復問云:「上來密語密意外,還更有密意否?」惠能云:「與汝說者,即非密也。汝若返照,密在汝邊。」明曰:「惠明雖在黃梅,實未省自己面目,今蒙指示,如人飲水,冷暖自知。今行者,即惠明師也。」惠能曰:「汝若如是,吾與汝同師黃梅,善自護持。」明又問:「惠明今後向甚處去?」惠能曰:「逢袁則止,遇蒙則居。」惠能又復偈曰:「不思亦不相,本體自如如。善惡皆是幻,見性即真如。念念無留滯,何勞急追吾。衣缽何足奪,爭此是迷徒。逢人傳此法,當下識真吾。」明禮辭。

新字:恵明言下大悟。復問云:「上来密語密意外,還更有密意否?」恵能云:「与汝説者,即非密也。汝若返照,密在汝辺。」明曰:「恵明雖在黄梅,実未省自己面目,今蒙指示,如人飲水,冷暖自知。今行者,即恵明師也。」恵能曰:「汝若如是,吾与汝同師黄梅,善自護持。」明又問:「恵明今後向甚処去?」恵能曰:「逢袁則止,遇蒙則居。」恵能又復偈曰:「不思亦不相,本体自如如。善悪皆是幻,見性即真如。念念無留滞,何労急追吾。衣鉢何足奪,争此是迷徒。逢人伝此法,当下識真吾。」明礼辞。

書き下し

恵明、言下に大悟す。復た問ひて云ふ、「上来の密語密意の外に、還た更に密意有りや否や」と。恵能云ふ、「汝が与(ため)に説く者は、即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に在り」と。明曰く、「恵明、黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省みず。今指示を蒙るに、人の水を飲みて冷暖自ら知るが如し。今、行者は即ち恵明の師なり」と。恵能曰く、「汝若し是の如くならば、吾汝と同じく黄梅を師とせん。善く自ら護持せよ」と。明又問ふ、「恵明、今後甚れの処に向ひて去らん」と。恵能曰く、「袁に逢はば則ち止まり、蒙に遇はば則ち居れ」と。恵能又復た偈して曰く、「思はず亦相(かたど)らず、本体自ら如如たり。善悪皆是れ幻、見性即ち真如なり。念念留滞無し、何ぞ急に吾を追ふを労せん。衣鉢何ぞ奪ふに足らん、此を争ふは是れ迷徒なり。人に逢はば此の法を伝へよ、当下に真吾を識らん」と。明、礼して辞す。

現代語訳

恵明は言葉を聞いたその場で大いに悟った。そしてまた問うた。「今おっしゃった秘密の言葉、秘密の意味のほかに、さらに秘密の意味はあるのか」。恵能は言った。「おまえに説いたものは秘密ではない。おまえが自らを振り返って照らせば、秘密はおまえの側にある」。恵明は言った。「恵明は黄梅にいたが、実はまだ自分の本来の面目を見つめたことがなかった。今お教えをいただいて、人が水を飲んで冷たいか温かいかを自ずから知るように分かった。今や行者こそが恵明の師である」。恵能は言った。「おまえがそうであるなら、私はおまえとともに黄梅の五祖を師としよう。よく自らを守り保て」。恵明はまた問うた。「恵明はこれからどこへ行けばよいのか」。恵能は言った。「袁の字のつく地に出会ったら留まり、蒙の字のつく地に出会ったら住め」。恵能はさらに偈を作って言った。「思いもせず形も取らず、本体はおのずからあるがままである。善も悪もみな幻であり、本性を見ることがそのまま真如(ありのままの真実)である。一念一念に滞りがないのに、どうしてあわてて私を追う必要があろう。衣鉢など奪う値打ちがあろうか。これを争うのは迷った者たちだ。人に会ったらこの法を伝えよ。その場で真の自己を知るだろう」。恵明は礼拝して去った。

解説

追っ手だった恵明が慧能の一言で悟り、弟子の礼を取る段である。「まだ隠された奥義はあるか」と問う恵明に、慧能は「説いたものは秘密ではない、振り返れば秘密はあなたの側にある」と答える。悟りは師から受け取る秘伝ではなく、自分の内にあるという禅の基本がここに凝縮している。「水を飲みて冷暖自ら知る」は、体験した者にしか分からないことのたとえとして、後に広く使われる言葉になった。慧能が恵明を弟子扱いせず「共に黄梅を師とする」と対等に遇するのも印象深い。教える側が秘伝を抱え込まず、答えは相手の中にあると示すことが、人を自立させる近道になる。

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