六祖壇経 / 懺悔品第六
『善知識!此香各自內薰,莫向外覓。今與汝等授無相懺悔,滅三世罪,令得三業清淨。善知識!各隨我語,一時道:「弟子等從前念、今念及後念,念念不被愚迷染;從前所有惡業愚迷等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。弟子等從前念、今念及後念,念念不被憍誑染;從前所有惡業憍誑等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。弟子等從前念、今念及後念,念念不被嫉妒染;從前所有惡業嫉妒等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。」』
新字:『善知識!此香各自内薫,莫向外覓。今与汝等授無相懺悔,滅三世罪,令得三業清浄。善知識!各随我語,一時道:「弟子等従前念、今念及後念,念念不被愚迷染;従前所有悪業愚迷等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。弟子等従前念、今念及後念,念念不被憍誑染;従前所有悪業憍誑等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。弟子等従前念、今念及後念,念念不被嫉妬染;従前所有悪業嫉妬等罪,悉皆懺悔,願一時消滅,永不復起。」』
書き下し
「善知識、此の香は各自内に薫ず、外に向ひて覓むること莫れ。今汝等に無相懺悔を授け、三世の罪を滅し、三業をして清浄なることを得しめん。善知識、各我が語に随ひて、一時に道へ。『弟子等、前念・今念及び後念より、念念に愚迷に染まざらん。従前所有の悪業愚迷等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを。弟子等、前念・今念及び後念より、念念に憍誑に染まざらん。従前所有の悪業憍誑等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを。弟子等、前念・今念及び後念より、念念に嫉妬に染まざらん。従前所有の悪業嫉妬等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを』と」。
現代語訳
「善知識よ。この香は各自が内側で薫らせるものであって、外に探し求めてはならない。いま諸君に無相懺悔を授け、過去・現在・未来の三世の罪を滅し、身・口・意の三業を清浄にさせよう。善知識よ、それぞれわたしの言葉に続いて、声をそろえて唱えよ。『弟子たちは、前の念・今の念・後の念にわたって、一念一念、愚かさと迷いに染まらない。これまでの悪業である愚かさや迷いなどの罪を、ことごとく懺悔する。願わくは一時に消え去り、二度と起こらないように。弟子たちは、前の念・今の念・後の念にわたって、一念一念、驕りと偽りに染まらない。これまでの悪業である驕りや偽りなどの罪を、ことごとく懺悔する。願わくは一時に消え去り、二度と起こらないように。弟子たちは、前の念・今の念・後の念にわたって、一念一念、嫉妬に染まらない。これまでの悪業である嫉妬などの罪を、ことごとく懺悔する。願わくは一時に消え去り、二度と起こらないように。』」
解説
関連する章句
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『六祖壇経』懺悔品第六『善知識よ、已上は是れ無相懺悔と為す。云何が懺と名づけ、云何が悔と名づくる。懺とは、其の前衍を懺す。從前の所有の惡業・愚迷・憍誑・嫉妒等の罪、悉く皆な盡く懺し、永く復た起こさず、是れを名づけて懺と為す。悔とは、其の後過を悔ゆ。今より已後、所有の惡業・愚迷・憍誑・嫉妒等の罪、今已に覺悟し、悉く皆な永く斷ち、更に復た作さず、是れを名づけて悔と為す。故に懺悔と稱す。凡夫愚迷にして、只だ其の前衍を懺するを知り、其の後過を悔ゆるを知らず。悔いざるを以ての故に、前衍滅せず、後過又た生ず。前衍既に滅せず、後過復た又た生ぜば、何ぞ懺悔と名づけん』と。
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『六祖壇経』懺悔品第六「吾に一の無相頌有り、若し能く誦持せば、言下に汝が積劫の迷罪をして、一時に消滅せしめん。頌に曰く、『迷人は福を修して道を修せず、只だ福を修するを便ち是れ道と言ふ。布施供養は福辺無けれども、心中の三悪は元来造る。福を修して罪を滅せんと擬将すれども、後世に福を得て罪還つて在り。但だ心中に向ひて罪縁を除け、各自性の中の真の懺悔なり。忽ち大乗の真の懺悔を悟らば、邪を除き正を行じて即ち罪無し。道を学ぶには常に自性に於て観ぜよ、即ち諸仏と同一類なり。吾が祖は唯だ此の頓法を伝ふ、普く願はくは見性して同一体ならんことを。若し当来に法身を覓めんと欲せば、諸法の相を離れて心中に洗へ。努力して自ら見よ悠悠たること莫れ、後念忽ち絶えなば一世休す。若し大乗を悟らば見性することを得ん、虔恭合掌して至心に求めよ』」。師言はく、「善知識、総て須らく誦取し、此れに依りて修行すべし。言下に見性せば、吾を去ること千里なりと雖も、常に吾が辺に在るが如し。此の言下に於て悟らずんば、即ち対面すとも千里なり、何ぞ勤めて遠く来らん。珍重、好し去れ」と。一衆法を聞きて、開悟せざるは靡く、歓喜して奉行す。
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『六祖壇経』懺悔品第六時に、大師、広韶洎(およ)び四方の士庶の、山中に駢集して法を聴くを見て、是に於て座に升りて衆に告げて曰く、「来れ、諸善知識。此の事は須らく自性の中より起すべし。一切の時に於て、念念に自ら其の心を浄め、自ら修し自ら行じ、自己の法身を見、自心の仏を見、自ら度し自ら戒めて、始めて此に到るを仮らざることを得ん。既に遠きより来りて、一たび此に会す、皆共に縁有り。今各各胡跪すべし。先づ為に自性の五分法身香を伝へ、次に無相懺悔を授けん」と。衆胡跪す。師曰く、
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『六祖壇経』定慧品第四善知識よ、我が此の法門は、上より已來、先づ無念を立てて宗と為し、無相を體と為し、無住を本と為す。無相とは、相に於て相を離る。無念とは、念に於て念無し。無住とは、人の本性、世間の善惡好醜、乃至ち冤と親と、言語觸刺欺爭の時に於て、並びに將に空と為し、酬害を思はず、念念の中に、前境を思はず。若し前念・今念・後念、念念相續して斷えざれば、系縛と名づく。諸法の上に於て、念念に住せざる、即ち縛無きなり。此れは是れ無住を以て本と為すなり。
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『六祖壇経』懺悔品第六「善知識、既に懺悔し已りて、善知識と四弘誓願を発さん。各須らく心を用ひて正しく聴くべし。自心の衆生無辺なれども誓つて度せんことを願ふ。自心の煩悩無辺なれども誓つて断ぜんことを願ふ。自性の法門無尽なれども誓つて学ばんことを願ふ。自性の無上仏道誓つて成ぜんことを願ふ」。「善知識、大家(みな)豈に道はざらんや、衆生無辺誓願度と。怎麼(いか)にか道ふ、且つ是れ惠能の度するにあらず。善知識、心中の衆生、所謂邪迷心・誑妄心・不善心・嫉妬心・悪毒心、是くの如き等の心、尽く是れ衆生なり。各須らく自性自ら度すべし、是れを真の度と名づく」。「何をか自性自度と名づくる。即ち自心の中の邪見・煩悩・愚痴の衆生を、正見を将(もつ)て度す。既に正見有らば、般若の智をして愚痴迷妄の衆生を打破せしめ、各各自ら度す。邪来れば正もて度し、迷来れば悟もて度し、愚来れば智もて度し、悪来れば善もて度す。是くの如く度する者を、名づけて真の度と為す」。「又、煩悩無辺誓願断とは、自性の般若の智を将て、虚妄の思想の心を除却する是れなり。又、法門無尽誓願学とは、須らく自ら性を見て、常に正法を行ずべし、是れを真の学と名づく。又、無上仏道誓願成とは、既に常に能く心を下して真正を行じ、迷を離れ覚を離れ、常に般若を生じ、真を除き妄を除かば、即ち仏性を見、即ち言下に仏道成る。常に念じて修行する、是れ願力の法なり。善知識、今四弘願を発し了りぬ。更に善知識の与(ため)に無相の三帰依戒を授けん」。「善知識、覚の両足尊に帰依し、正の離欲尊に帰依し、浄の衆中尊に帰依せよ。今日より起(はじ)めて、覚を称して師と為し、更に邪魔外道に帰依せざれ。自性の三宝を以て、常に自ら証明せよ。善知識に勧む、自性の三宝に帰依せよ。仏とは覚なり、法とは正なり、僧とは浄なり。自心覚に帰依すれば、邪迷生ぜず、少欲知足にして、能く財色を離る、両足尊と名づく。
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『修証義』第二章 懺悔滅罪我昔所造諸悪業。皆由無始貪瞋癡。従身口意之所生。一切我今皆懺悔。是の如く懺悔すれば、必ず仏祖の冥助あるなり。心念身儀発露白仏すべし。発露の力、罪根をして銷殞せしむるなり。
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