六祖壇経 / 懺悔品第六
『一、戒香:即自心中無非、無惡、無嫉妒、無貪嗔、無劫害,名戒香。 二、定香:即睹諸善惡境相,自心不亂,名定香。 三、慧香:自心無礙,常以智慧,觀照自性,不造諸惡,雖修眾善,心不執著,敬上念下,矜恤孤貧,名慧香。 四、解脫香:即自心無所攀緣,不思善,不思惡,自在無礙,名解脫香。 五、解脫知見香:自心既無所攀緣、善惡,不可沉空守寂,即須廣學多聞,識自本心,達諸佛理,和光接物,無我、無人,直至菩提,真性不易,名解脫知見香。』
新字:『一、戒香:即自心中無非、無悪、無嫉妬、無貪嗔、無劫害,名戒香。 二、定香:即睹諸善悪境相,自心不乱,名定香。 三、慧香:自心無礙,常以智慧,観照自性,不造諸悪,雖修衆善,心不執著,敬上念下,矜恤孤貧,名慧香。 四、解脱香:即自心無所攀縁,不思善,不思悪,自在無礙,名解脱香。 五、解脱知見香:自心既無所攀縁、善悪,不可沈空守寂,即須広学多聞,識自本心,達諸仏理,和光接物,無我、無人,直至菩提,真性不易,名解脱知見香。』
書き下し
『一に戒香。即ち自心の中に非無く、惡無く、嫉妒無く、貪嗔無く、劫害無き、戒香と名づく。二に定香。即ち諸の善惡の境相を睹るも、自心亂れざる、定香と名づく。三に慧香。自心礙無く、常に智慧を以て、自性を觀照し、諸惡を造らず、眾善を修すと雖も、心執著せず、上を敬ひ下を念ひ、孤貧を矜恤する、慧香と名づく。四に解脫香。即ち自心攀緣する所無く、善を思はず、惡を思はず、自在無礙なる、解脫香と名づく。五に解脫知見香。自心既に攀緣する所も善惡も無くば、空に沉み寂を守るべからず。即ち須らく廣く學び多く聞き、自らの本心を識り、諸佛の理に達し、光を和らげ物に接し、我無く人無く、直ちに菩提に至るまで、真性易はらざる、解脫知見香と名づく』と。
現代語訳
「一に戒香。自分の心の中に間違いがなく、悪がなく、ねたみがなく、むさぼりや怒りがなく、人を害する気がない、これを戒香という。二に定香。あらゆる善悪の場面を目にしても、自分の心が乱れない、これを定香という。三に慧香。自分の心にひっかかりがなく、常に智慧で自性を照らし見て、もろもろの悪を造らず、多くの善を修めてもそれにとらわれず、目上を敬い目下を思いやり、孤独な者や貧しい者をあわれみいたわる、これを慧香という。四に解脱香。自分の心が何かにすがってつかまるところがなく、善も思わず悪も思わず、自在でさまたげがない、これを解脱香という。五に解脱知見香。自分の心にすがるところも善悪もなくなったなら、空に沈み込んで静けさを守っていてはならない。そこで広く学び多く聞き、自分の本心を知り、諸仏の理に達し、光をやわらげて世の物事に接し、我もなく他人もなく、まっすぐ菩提に至るまで、真の本性が変わらない、これを解脱知見香という」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『六祖壇経』懺悔品第六時に、大師、広韶洎(およ)び四方の士庶の、山中に駢集して法を聴くを見て、是に於て座に升りて衆に告げて曰く、「来れ、諸善知識。此の事は須らく自性の中より起すべし。一切の時に於て、念念に自ら其の心を浄め、自ら修し自ら行じ、自己の法身を見、自心の仏を見、自ら度し自ら戒めて、始めて此に到るを仮らざることを得ん。既に遠きより来りて、一たび此に会す、皆共に縁有り。今各各胡跪すべし。先づ為に自性の五分法身香を伝へ、次に無相懺悔を授けん」と。衆胡跪す。師曰く、
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『六祖壇経』頓漸品第八師曰く、「汝が師の戒定慧は、大乘の人を接す。吾が戒定慧は、最上乘の人を接す。悟解同じからず、見に遲疾有り。汝吾が説を聽け、彼と同じきや否や。吾が説く所の法は、自性を離れず。體を離れて法を説く、名づけて相説と為す。自性常に迷ふ。須らく知るべし、一切の萬法は、皆な自性より起用す、是れ真の戒定慧の法なりと。吾が偈を聽け」と曰く、『心地に非無きは自性の戒、心地に痴無きは自性の慧、心地に亂無きは自性の定。增さず減らざるは自ら金剛、身去り身來るも本と三昧なり。』
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『六祖壇経』般若品第二善知識よ、智慧もて觀照すれば、內外明徹にして、自らの本心を識る。若し本心を識らば、即ち本と解脫なり。若し解脫を得ば、即ち是れ般若三昧なり。般若三昧は即ち是れ無念なり。何をか無念と名づくる。若し一切の法を見るも、心染著せざる、是れを無念と為す。用ゐれば即ち一切處に遍きも、亦た一切處に著せず。但だ本心を淨くして、六識をして六門を出でしめ、六塵の中に於て、染無く雜無く、來去自由、通用滯り無からしむ。即ち是れ般若三昧、自在解脫、無念行と名づく。若し百物を思はず、當に念をして絕えしむれば、即ち是れ法縛なり、即ち邊見と名づく。
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『六祖壇経』定慧品第四師眾に示して云く、善知識よ、我が此の法門は、定慧を以て本と為す。大眾迷ふこと勿れ。定慧別なりと言ふも、定慧は一體にして、二に是らず。定は是れ慧の體、慧は是れ定の用なり。即ち慧の時、定は慧に在り、即ち定の時、慧は定に在り。若し此の義を識らば、即ち是れ定慧等學なり。諸の學道の人よ、先づ定ありて慧を發し、先づ慧ありて定を發すと各別に言ふこと莫かれ。此の見を作す者は、法に二相有り。口に善語を説くも、心中不善なれば、空しく定慧有るのみにして、定慧等しからず。若し心口俱に善く、內外一種なれば、定慧即ち等し。
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『六祖壇経』懺悔品第六「善知識、此の香は各自内に薫ず、外に向ひて覓むること莫れ。今汝等に無相懺悔を授け、三世の罪を滅し、三業をして清浄なることを得しめん。善知識、各我が語に随ひて、一時に道へ。『弟子等、前念・今念及び後念より、念念に愚迷に染まざらん。従前所有の悪業愚迷等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを。弟子等、前念・今念及び後念より、念念に憍誑に染まざらん。従前所有の悪業憍誑等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを。弟子等、前念・今念及び後念より、念念に嫉妬に染まざらん。従前所有の悪業嫉妬等の罪、悉く皆懺悔す、願はくは一時に消滅して、永く復た起らざらんことを』と」。
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『六祖壇経』坐禅品第五善知識よ、若し不動を修する者は、但だ一切の人を見る時、人の是非善惡過患を見ざる、即ち是れ自性不動なり。善知識よ、迷人は身動かずと雖も、口を開けば便ち他人の是非長短好惡を説く。道と違背す。若し心に著し淨に著せば、即ち道を障ふるなり。師眾に示して云く、善知識よ、何をか坐禪と名づくる。此の法門の中に、障無く礙無し。外一切の善惡の境界に於て、心念起こらざる、坐と名づく。內に自性の不動なるを見る、禪と名づく。善知識よ、何をか禪定と名づくる。外相を離るるを禪と為し、內亂れざるを定と為す。外若し相に著せば、內心即ち亂る。外若し相を離るれば、心即ち亂れず。本性は自ら淨く自ら定まる。只だ境を見て境を思ふが為に即ち亂る。若し諸境を見て心亂れざる者は、是れ真の定なり。善知識よ、外相を離るれば即ち禪、內亂れざれば即ち定。外禪內定、是れを禪定と為す。菩薩戒經に云く、「我が本元の自性は清淨なり」と。善知識よ、念念の中に於て、自ら本性の清淨なるを見て、自ら修し自ら行じ、自ら佛道を成ぜよ。
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