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六祖壇経 / 懺悔品第六

『善知識!已上是為無相懺悔。云何名懺?云何名悔?懺者:懺其前衍;從前所有惡業、愚迷、憍誑、嫉妒等罪,悉皆盡懺,永不復起,是名為懺。悔者:悔其後過;從今已後,所有惡業、愚迷、憍誑、嫉妒等罪,今已覺悟,悉皆永斷,更不復作,是名為悔,故稱懺悔。凡夫愚迷,只知懺其前衍,不知悔其後過。以不悔故,前衍不滅,後過又生。前衍既不滅,後過復又生,何名懺悔?』

新字:『善知識!已上是為無相懺悔。云何名懺?云何名悔?懺者:懺其前衍;従前所有悪業、愚迷、憍誑、嫉妒等罪,悉皆尽懺,永不復起,是名為懺。悔者:悔其後過;従今已後,所有悪業、愚迷、憍誑、嫉妒等罪,今已覚悟,悉皆永断,更不復作,是名為悔,故称懺悔。凡夫愚迷,只知懺其前衍,不知悔其後過。以不悔故,前衍不滅,後過又生。前衍既不滅,後過復又生,何名懺悔?』

書き下し

『善知識よ、已上は是れ無相懺悔と為す。云何が懺と名づけ、云何が悔と名づくる。懺とは、其の前衍を懺す。從前の所有の惡業・愚迷・憍誑・嫉妒等の罪、悉く皆な盡く懺し、永く復た起こさず、是れを名づけて懺と為す。悔とは、其の後過を悔ゆ。今より已後、所有の惡業・愚迷・憍誑・嫉妒等の罪、今已に覺悟し、悉く皆な永く斷ち、更に復た作さず、是れを名づけて悔と為す。故に懺悔と稱す。凡夫愚迷にして、只だ其の前衍を懺するを知り、其の後過を悔ゆるを知らず。悔いざるを以ての故に、前衍滅せず、後過又た生ず。前衍既に滅せず、後過復た又た生ぜば、何ぞ懺悔と名づけん』と。

現代語訳

「善知識よ、以上を無相の懺悔という。何を懺といい、何を悔というのか。懺とは、これまでの過ちを懺すること。これまでのあらゆる悪業・愚かな迷い・おごりや偽り・ねたみなどの罪を、ことごとくすべて懺し、二度と起こさない、これを懺という。悔とは、これから先の過ちを悔いること。今から後、あらゆる悪業・愚かな迷い・おごりや偽り・ねたみなどの罪を、いますでに悟ったのだから、ことごとくすべて永く断ち、二度と行わない、これを悔という。だから懺悔と呼ぶ。凡夫は愚かに迷って、ただ過去の過ちを懺すことだけを知り、これから先の過ちを悔いることを知らない。悔いないから、過去の過ちも消えず、これから先の過ちがまた生じる。過去の過ちが消えず、これから先の過ちがまた生じるなら、どうして懺悔といえようか」。

解説

「懺悔」という一語を、慧能は懺と悔の二字に割って読み直す。懺は過去に向かい、悔は未来に向かう。この対比が要点である。ふつう懺悔といえば、済んだことを悔いて詫びる行為を指す。慧能はそれを半分だと言う。「凡夫愚迷にして、只だ其の前衍を懺するを知り、其の後過を悔ゆるを知らず」。過去を悔いることだけ熱心で、これから先を断つことを知らない。すると何が起きるか。「悔いざるを以ての故に、前衍滅せず、後過又た生ず」。同じことを繰り返すから、過去の分も消えない。反省と再発防止は別物で、片方だけでは反省にすらならない、と言っている。悔いる気持ちの深さではなく、二度とやらないという断ち方のほうを問題にしている。ここに「無相」の懺悔——形式や儀礼によらない懺悔——の実質がある。

この章句が説くこと

無相懺悔懺は前衍悔は後過反省と再発防止繰り返す罪

この一句を、あなたの毎日に。

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