師導古典を学びたいすべての人に

六祖壇経 / 疑問品第三

『今勸善知識,先除十惡,即行十萬;後除八邪,乃過八千。念念見性,常行平直,到如彈指,便親彌陀。使君但行十善,何須更願往生?不斷十惡之心,何佛即來迎請?若悟無生頓法,見西方只在剎那;不悟,念佛求生,路遙如何得達?惠能與諸人移西方于剎那間,目前便見,各願見否?』眾皆頂禮云:『若此處見,何須更願往生?願和尚慈悲,便現西方,普令得見。』師言:『大眾!世人自色身是城,眼耳鼻舌是門;外有五門,內有意門;心是地,性是王;王居心地上。性在王在;性去王無。性在身心存;性去身心壞。佛向性中作,莫向身外求。自性迷即是眾生;自性覺即是佛。慈悲即是觀音;喜舍名為勢至。能淨即釋迦;平直即彌陀。人我是須彌,邪心是海水,煩惱是波浪,毒害是惡龍,虛妄是鬼神,塵勞是魚鰲,貪嗔是地獄,愚痴是畜生。』『善知識!常行十善,天堂便至,除人我,須彌倒;去邪心,海水竭;煩惱無,波浪滅;毒害忘,魚龍絕。自心地上,覺性如來,放大光明,外照六門清淨,能破六欲諸天。自性內照,三毒即除,地獄等罪,一時消滅,內外明徹,不異西方。不作此修,如何到彼?』大眾聞說,瞭然見性,悉皆禮拜,俱嘆善哉!唱言:『普願法界眾生,聞者一時悟解。』師言:『善知識!

新字:『今勧善知識,先除十悪,即行十万;後除八邪,乃過八千。念念見性,常行平直,到如弾指,便親弥陀。使君但行十善,何須更願往生?不断十悪之心,何仏即来迎請?若悟無生頓法,見西方只在刹那;不悟,念仏求生,路遥如何得達?恵能与諸人移西方于刹那間,目前便見,各願見否?』衆皆頂礼云:『若此処見,何須更願往生?願和尚慈悲,便現西方,普令得見。』師言:『大衆!世人自色身是城,眼耳鼻舌是門;外有五門,内有意門;心是地,性是王;王居心地上。性在王在;性去王無。性在身心存;性去身心壊。仏向性中作,莫向身外求。自性迷即是衆生;自性覚即是仏。慈悲即是観音;喜舎名為勢至。能浄即釈迦;平直即弥陀。人我是須弥,邪心是海水,煩悩是波浪,毒害是悪竜,虚妄是鬼神,塵労是魚鰲,貪嗔是地獄,愚痴是畜生。』『善知識!常行十善,天堂便至,除人我,須弥倒;去邪心,海水竭;煩悩無,波浪滅;毒害忘,魚竜絶。自心地上,覚性如来,放大光明,外照六門清浄,能破六欲諸天。自性内照,三毒即除,地獄等罪,一時消滅,内外明徹,不異西方。不作此修,如何到彼?』大衆聞説,瞭然見性,悉皆礼拝,倶嘆善哉!唱言:『普願法界衆生,聞者一時悟解。』師言:『善知識!

書き下し

「今善知識に勧む、先づ十悪を除けば、即ち十万を行き、後に八邪を除けば、乃ち八千を過ぐ。念念に見性し、常に平直を行ぜば、到ること弾指の如く、便ち弥陀に親しまん。使君但だ十善を行ぜば、何ぞ須らく更に往生を願ふべき。十悪の心を断ぜずんば、何の仏か即ち来りて迎請せん。若し無生の頓法を悟らば、西方を見ること只だ刹那に在り。悟らずして念仏して生ぜんことを求むれば、路遥かにして如何ぞ達することを得ん。恵能、諸人の与に西方を刹那の間に移し、目前に便ち見せしめん。各見んことを願ふや否や」と。衆皆頂礼して云ふ、「若し此処にて見ば、何ぞ須らく更に往生を願ふべき。願はくは和尚慈悲もて、便ち西方を現じ、普く見ることを得しめたまへ」と。師言ふ、「大衆、世人の自らの色身は是れ城、眼耳鼻舌は是れ門なり。外に五門有り、内に意門有り。心は是れ地、性は是れ王なり。王は心地の上に居す。性在れば王在り、性去れば王無し。性在れば身心存し、性去れば身心壊る。仏は性中に向ひて作(な)せ、身外に向ひて求むること莫かれ。自性迷へば即ち是れ衆生、自性覚れば即ち是れ仏なり。慈悲は即ち是れ観音、喜捨は名づけて勢至と為す。能く浄むるは即ち釈迦、平直は即ち弥陀なり。人我は是れ須弥、邪心は是れ海水、煩悩は是れ波浪、毒害は是れ悪龍、虚妄は是れ鬼神、塵労は是れ魚鰲、貪嗔は是れ地獄、愚痴は是れ畜生なり」と。「善知識、常に十善を行ぜば、天堂便ち至る。人我を除けば、須弥倒れ、邪心を去れば、海水竭き、煩悩無ければ、波浪滅し、毒害忘るれば、魚龍絶ゆ。自心の地上に、覚性の如来ありて、大光明を放ち、外は六門を照らして清浄ならしめ、能く六欲の諸天を破す。自性内に照らせば、三毒即ち除かれ、地獄等の罪、一時に消滅し、内外明徹にして、西方に異ならず。此の修を作さずんば、如何ぞ彼に到らん」と。大衆説くを聞きて、了然として見性し、悉皆礼拝し、倶に善き哉と嘆じ、唱へて言ふ、「普く願はくは法界の衆生、聞く者一時に悟解せんことを」と。師言ふ、「善知識、

現代語訳

「今、善知識に勧める。まず十悪(殺生・盗み・邪淫・嘘など十の悪行)を除けば十万里を行き、次に八邪(八正道に背く八つの誤り)を除けば八千里を越える。一念一念に本性を見て、いつも公平でまっすぐに行えば、指を弾くほどの間に着いて、すぐに阿弥陀仏にまみえるだろう。使君よ、ただ十善を行えば、どうしてさらに往生を願う必要があろう。十悪の心を断たなければ、どの仏が迎えに来てくれるというのか。もし生滅を離れた頓教の法を悟れば、西方を見るのはほんの一瞬のことだ。悟らずに念仏して往生を求めても、道のりは遥かで、どうしてたどり着けようか。恵能はあなたがたのために、西方を一瞬のうちにここへ移し、目の前に見せてあげよう。それぞれ見たいと願うか」。人々は皆ひれ伏して言った。「もしここで見られるなら、どうしてさらに往生を願う必要があろう。どうか和尚、慈悲をもってすぐに西方を現し、皆に見せていただきたい」。大師は言った。「皆の者、世の人の自らの身体は城であり、眼・耳・鼻・舌は門である。外に五つの門があり、内に意という門がある。心は大地であり、本性は王である。王は心という大地の上にいる。本性があれば王がいて、本性が去れば王はいない。本性があれば身心は保たれ、本性が去れば身心は壊れる。仏は本性の中に向かってなれ。身の外に求めてはならない。自らの本性が迷えば衆生であり、自らの本性が目覚めれば仏である。慈悲がそのまま観音菩薩であり、喜んで施すことが勢至菩薩である。清められることがそのまま釈迦であり、公平でまっすぐなことがそのまま阿弥陀仏である。人と我を分ける心は須弥山(そびえ立つ障壁)であり、邪な心は海水、煩悩は波、他を害する心は悪龍、偽りは鬼神、塵労は魚や大亀、貪りと怒りは地獄、愚かさは畜生である」。「善知識よ、いつも十善を行えば、天界はすぐにやって来る。人と我を分ける心を除けば須弥山は倒れ、邪な心を去れば海水は涸れ、煩悩がなくなれば波は消え、他を害する心を忘れれば魚や龍は絶える。自らの心という大地の上に、目覚めた本性という如来がいて、大いなる光明を放ち、外に向かっては六つの門を照らして清らかにし、六欲天(欲望の世界の六つの天)を打ち破ることができる。自らの本性が内を照らせば、三毒はすぐに除かれ、地獄に堕ちるような罪も一時に消え去り、内も外も明らかに透き通って、西方浄土と何も変わらない。この修行をしないで、どうしてそこへ行けようか」。人々はこの説法を聞いて、はっきりと本性を見て、皆礼拝し、ともに「すばらしい」と感嘆して唱えた。「あまねく願うのは、法界のすべての生きもののうち、聞く者が一時に悟ることである」。大師は言った。「善知識よ、

解説

西方浄土は遠くにあるのではなく自らの心の中にあると、慧能が具体的なたとえを重ねて説く段である。十悪を除けば十万里、八邪を除けば八千里を越えるという言い方は、極楽が十万億土の彼方にあるという説を、心の問題に置き換えたものだ。身体を城、心を大地、本性を王とし、慈悲を観音、平直を阿弥陀とする。人我は須弥山、邪心は海水、煩悩は波浪と、浄土の風景そのものを心の働きとして読み替えていく。念仏を否定するのではなく、行いを改めずに救いだけを待つ姿勢を戒めているのである。理想の職場をよそに探す前に、今いる場で自分の偏りを一つ除くほうが、確かな一歩になる。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る