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六祖壇経 / 行由品第一

惠能曰:「不敢!」宗於是作禮,告請傳來衣缽,出示大眾。宗復問曰:「黃梅付囑?如何指授?」惠能曰:「指授即無,惟論見性,不論禪定解脫。」宗曰:「何不論禪定解脫?」謂曰:「為是二法,不是佛法,佛法是不二之法。」宗又問:「如何是佛法不二之法?」惠能曰:「法師講涅槃經,明佛性是佛法不二之法。如高貴德王菩薩白佛言:「犯四重禁,作五逆罪,及一闡提等,當斷善根佛性否?」佛言:『善根有二:一者常,二者無常;佛性非常非無常,是故不斷,名為不二。』一者善,二者不善;佛性非善非不善,是名不二。蘊之與界,凡夫見二,智者了達其性無二;無二之性,即是佛性。」印宗聞說,歡喜合掌,言:「某甲講經,猶如瓦礫;仁者論義,猶如真金。」於是為惠能剃髮,願事為師。惠能遂於菩提樹下,開東山法門。惠能於東山得法,辛苦受盡,命似懸絲,今日得與史君官僚僧尼道俗同此一會,莫非累劫之緣?亦是過去生中,供養諸佛,同種善根,方始得聞如上頓教得法之因。教是先聖所傳,不是惠能自智。願聞先聖教者,各令淨心。聞了,各自除疑,如先代聖人無別。』一眾聞法,歡喜作禮而退。

新字:恵能曰:「不敢!」宗於是作礼,告請伝来衣鉢,出示大衆。宗復問曰:「黄梅付囑?如何指授?」恵能曰:「指授即無,惟論見性,不論禅定解脱。」宗曰:「何不論禅定解脱?」謂曰:「為是二法,不是仏法,仏法是不二之法。」宗又問:「如何是仏法不二之法?」恵能曰:「法師講涅槃経,明仏性是仏法不二之法。如高貴徳王菩薩白仏言:「犯四重禁,作五逆罪,及一闡提等,当断善根仏性否?」仏言:『善根有二:一者常,二者無常;仏性非常非無常,是故不断,名為不二。』一者善,二者不善;仏性非善非不善,是名不二。蘊之与界,凡夫見二,智者了達其性無二;無二之性,即是仏性。」印宗聞説,歓喜合掌,言:「某甲講経,猶如瓦礫;仁者論義,猶如真金。」於是為恵能剃髪,願事為師。恵能遂於菩提樹下,開東山法門。恵能於東山得法,辛苦受尽,命似懸糸,今日得与史君官僚僧尼道俗同此一会,莫非累劫之縁?亦是過去生中,供養諸仏,同種善根,方始得聞如上頓教得法之因。教是先聖所伝,不是恵能自智。願聞先聖教者,各令浄心。聞了,各自除疑,如先代聖人無別。』一衆聞法,歓喜作礼而退。

書き下し

恵能曰く、「敢へてせず」と。宗、是に於て礼を作し、伝へ来れる衣鉢を告請して、大衆に出示せしむ。宗復た問ひて曰く、「黄梅の付嘱、如何が指授せし」と。恵能曰く、「指授は即ち無し。惟だ見性を論じ、禅定解脱を論ぜず」と。宗曰く、「何ぞ禅定解脱を論ぜざる」と。謂ひて曰く、「是れ二法為るが為に、是れ仏法ならず。仏法は是れ不二の法なり」と。宗又問ふ、「如何なるか是れ仏法不二の法」と。恵能曰く、「法師、涅槃経を講じて、仏性を明らかにする、是れ仏法不二の法なり。高貴徳王菩薩の仏に白して言ふが如し、『四重禁を犯し、五逆罪を作し、及び一闡提等は、当に善根仏性を断ずべきや否や』と。仏言はく、『善根に二有り、一には常、二には無常なり。仏性は常に非ず無常に非ず、是の故に断ぜず、名づけて不二と為す』と。一には善、二には不善なり。仏性は善に非ず不善に非ず、是れを不二と名づく。蘊と界とは、凡夫は二と見、智者は其の性の無二なるを了達す。無二の性は、即ち是れ仏性なり」と。印宗、説くを聞きて、歓喜合掌して言ふ、「某甲(それがし)の経を講ずるは、猶ほ瓦礫の如く、仁者の義を論ずるは、猶ほ真金の如し」と。是に於て恵能の為に剃髪し、願ひて事へて師と為す。恵能遂に菩提樹の下に於て、東山の法門を開く。恵能、東山に於て法を得て、辛苦受け尽し、命懸糸に似たり。今日、史君(使君)・官僚・僧尼・道俗と此の一会を同じくすることを得るは、累劫の縁に非ざること莫からんや。亦是れ過去生の中に、諸仏を供養し、同じく善根を種ゑ、方(まさ)に始めて如上の頓教、法を得るの因を聞くことを得たり。教は是れ先聖の伝ふる所にして、是れ恵能の自智にあらず。先聖の教を聞かんと願ふ者は、各浄心ならしめよ。聞き了らば、各自疑を除き、先代の聖人の如くにして別無からん」と。一衆、法を聞きて、歓喜し礼を作して退く。

現代語訳

恵能は言った。「とんでもない」。印宗はそこで礼拝し、伝えられてきた衣鉢を人々に示してほしいと願い出た。印宗はさらに問うた。「黄梅の五祖は法を授けるとき、どのように教え導かれたのか」。恵能は言った。「教え導くということはなかった。ただ見性(自らの本性を見ること)を論じるだけで、禅定や解脱は論じなかった」。印宗は言った。「どうして禅定や解脱を論じないのか」。恵能は言った。「それは二つに分ける法であって、仏法ではないからだ。仏法とは二つに分けない法である」。印宗はまた問うた。「仏法の二つに分けない法とはどういうものか」。恵能は言った。「法師が講じている涅槃経で仏性を明らかにしていること、それが仏法の不二の法である。たとえば高貴徳王菩薩が仏に申し上げた。『四重禁(殺生・盗み・邪淫・大妄語の重罪)を犯し、五逆罪(父母を殺すなどの五つの大罪)を犯した者、また一闡提(成仏の因を欠くとされる者)などは、善根と仏性を断ってしまうのか』。仏は言われた。『善根には二つある。一つは常、二つは無常である。仏性は常でもなく無常でもない。だから断たれることはなく、これを不二という』。また一つは善、二つは不善である。仏性は善でもなく不善でもない。これを不二という。五蘊(身心を成す五つの要素)と十八界(認識の要素)を、凡夫は二つに分けて見るが、智者はその本性が二つでないことを見抜いている。二つでない本性こそが仏性である」。印宗は説くのを聞いて、喜んで合掌し言った。「私が経を講じるのは瓦礫のようなものであり、あなたが義を論じるのは純金のようなものだ」。そこで恵能のために髪を剃って出家させ、自ら願って恵能を師として仕えた。恵能はこうして菩提樹の下で東山の法門(五祖弘忍の教え)を開いた。「恵能は東山で法を得てから、あらゆる辛苦をなめ、命は細い糸にぶら下がるほど危うかった。今日、使君(韋刺史)や官僚、僧尼、道士、俗人の方々とこの一つの会に同席できたのは、長い劫を重ねた縁でないはずがあろうか。また過去の生において諸仏を供養し、ともに善根を植えたからこそ、ようやく以上のような頓教と法を得た因縁を聞くことができたのである。この教えは先の聖人たちが伝えたものであって、恵能自身の智慧ではない。先の聖人の教えを聞きたいと願う者は、それぞれ心を清らかにせよ。聞き終えたら、それぞれ自ら疑いを除けば、先代の聖人と何の違いもない」。人々は法を聞いて喜び、礼拝して退いた。

解説

慧能が印宗法師に見いだされて出家し、行由品の回想を締めくくる段である。「五祖は何を教えたか」と問われ、慧能は「見性を論じるだけで、禅定や解脱は論じない」と答える。禅定と解脱を別々の段階として立てること自体が二つに分ける見方であり、仏法は不二だという。涅槃経の講師である印宗に、その涅槃経の言葉で答えている点が鋭い。印宗は講経の地位にありながら、在家の若者に頭を下げて師と仰いだ。最後に慧能は、教えは自分の智慧ではなく先聖から伝わったものだと結ぶ。専門家が自分の分野の言葉で問い直されたとき、潔く学ぶ側に回れるかどうかに、その人の器が表れる。

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