六祖壇経 / 行由品第一
明良久,惠能曰:「不思善,不思惡,正與麼時,那個是明上座本來面目?」
新字:明良久,恵能曰:「不思善,不思悪,正与麼時,那個是明上座本来面目?」
書き下し
明良久しくして、惠能曰く、「善を思はず、惡を思はず、正に與麼の時、那箇か是れ明上座の本來の面目」と。
現代語訳
慧明がしばらく黙っていると、慧能は言った。「善も思わず、悪も思わず、まさにそのとき、どれが明上座、あなたの本来の面目か」。
解説
衣鉢を奪おうと慧能を追ってきた僧・慧明が、いざ衣鉢を手にすると持ち上がらず、心を改めて法を求めた。その求めに慧能が返したのがこの一句である。「善を思はず、惡を思はず」——善悪の判断を止めよ。そして「正に與麼の時」、ちょうどそのときに現れているものは何か、と問う。答えを教えず、問いだけを置いた。慧明はこの一言で悟る。禅の問答が公案として立ち上がる原型がここにある。「本來の面目」——生まれつきの、飾らない素顔。日本語の「本来の面目」「面目を施す」の語源でもある。判断を止めた瞬間に何が残っているか、という問いは、いまも同じ形で使える。
この章句が説くこと
不思善不思悪本来面目慧明判断を止める
関連する章句
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『無門関』第二十三則 不思善惡六祖、明上座の趁(お)ひて大庾嶺に至るに因る。祖、明の至るを見て、即ち衣缽を石上に擲(なげう)ちて云く、「此の衣は信を表す。力を以て爭ふ可けんや。君が將(も)ち去るに任す」。明遂に之を舉ぐるに、山の如く動かず。踟躕(ちちゅう)悚慄(しょうりつ)す。明曰く、「我れ法を求めに來る。衣の爲に非ざるなり。願はくは行者開示せよ」。祖云く、「善を思はず惡を思はず、正に與麼(いんも)の時、那箇(なこ)か是れ明上座が本來の面目」。明當下に大悟し、遍體に汗流る。泣淚して禮を作して問ひて曰く、「上來の密語密意の外、還た更に意旨有りや否や」。祖曰く、「我れ今汝が爲に說く者は、即ち密に非ざるなり。汝若し自己の面目を返照せば、密は卻って汝が邊に在り」。明云く、「某甲、黃梅に在りて眾に隨ふと雖も、實に未だ自己の面目を省せず。今指授の入處を蒙る。人の水を飲みて冷暖自ら知るが如し。今行者は即ち是れ某甲が師なり」。祖云く、「汝若し是の如くんば、則ち吾と汝と同じく黃梅を師とせん。善く自ら護持せよ」。
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『六祖壇経』行由品第一恵明、言下に大悟す。復た問ひて云ふ、「上来の密語密意の外に、還た更に密意有りや否や」と。恵能云ふ、「汝が与(ため)に説く者は、即ち密に非ず。汝若し返照せば、密は汝が辺に在り」と。明曰く、「恵明、黄梅に在りと雖も、実に未だ自己の面目を省みず。今指示を蒙るに、人の水を飲みて冷暖自ら知るが如し。今、行者は即ち恵明の師なり」と。恵能曰く、「汝若し是の如くならば、吾汝と同じく黄梅を師とせん。善く自ら護持せよ」と。明又問ふ、「恵明、今後甚れの処に向ひて去らん」と。恵能曰く、「袁に逢はば則ち止まり、蒙に遇はば則ち居れ」と。恵能又復た偈して曰く、「思はず亦相(かたど)らず、本体自ら如如たり。善悪皆是れ幻、見性即ち真如なり。念念留滞無し、何ぞ急に吾を追ふを労せん。衣鉢何ぞ奪ふに足らん、此を争ふは是れ迷徒なり。人に逢はば此の法を伝へよ、当下に真吾を識らん」と。明、礼して辞す。
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