驢鞍橋 / 卷中
先つ佛法と云ふは、六賊煩惱を打滅す事也。なに生々惡道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を强く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ强けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と强く切拂へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して內外打成一片となつて、內にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を盡く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ實有は盡きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと實有破れ、生死を出て、一切を離れて大安樂に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
新字:先つ仏法と云ふは、六賊煩悩を打滅す事也。なに生々悪道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を強く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ強けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と強く切払へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して内外打成一片となつて、内にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を尽く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ実有は尽きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと実有破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
書き下し
先つ仏法と云ふは、六賊煩悩を打滅す事也。なに生々悪道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を強く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ強けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と強く切払へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して内外打成一片となつて、内にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を尽く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ実有は尽きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと実有破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
現代語訳
まず仏法というのは、六賊(六根から入り込む煩悩)を打ち滅ぼすことである。何しろ、生まれ変わるたびに悪道を好むようになってしまった身に付き添う□を打ち取ることなのだから、弱い心ではいけない。法身堅固の心といって、何としてもと思う心を強く定めよ。そうすれば信心が起こる。信心さえ強ければ、勇猛心は起こるものである。次に精進心が起こるものだ。ここで勢いよく強く切り払えば、切実な心、急ぐ心が起こるものである。このとき、夢の中でも抜けることなく、金剛心となって熟し、内と外がひとつになって、内にも一念も生ぜず、外にも一つの塵に妨げられる境地もなく、業識無明の魔軍どもをことごとく打ち滅ぼすのである。けれども、ここまではまだ夢の中で打ち取ったにすぎない。いまだ実有(物を実在と見る迷い)は尽きていない。ほっかりと大きな夢が醒め、はらりと実有が破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住するのである。どうしてこの心が武勇に使われないことがあろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『驢鞍橋』卷中師一日謂衆曰く、今時法のすへ悪しく成りたる故に、人皆仏法と云ふ者は、世間の用に立たぬものと思ふ也。其の儀に非す。世間の三宝とて、第一世間の用に立つもの也。さなくんば、三宝の名は偽り也。然る間、此の広大の三宝の徳用を知らしめん為めに、三宝の徳用を書く也。心弱くして叶ふへからす。法身堅固心を以て、信心勇猛精進の兵を先とし、本来空の剣を用て、我執貪着の妄想心を切払ふ、切に急に進て、十二時中間断なく金剛の心に住し、夢中共に用ゐ得て、自然に純熟して、内外打成一片となつて、業識無明の魔軍を悉く討滅し、忽然夢醒め実有の城墎と打破り、生死の冤敵を截断して、般若の都に居住を定め、大平を守る、此の心即ち武勇に使ふ宝也。
-
『驢鞍橋』卷中又捨身の段に、法性城中に自巳の冤敵競ひ来て、既に国を傾けんとすと云ふは、体は元より仏体法身也。然れども六根門より煩悩の賊か取籠んだに仍て、煩悩袋と成る也。其の冤敵の大将は、身を思ふ一念也。此の大将に眼を付て、打て取れと云ふ事也。又信力堅固を大将と定め、捨身の軍兵を先としてと云ふは、是非にと強く信力を起すが大将也。此の信力が起らねは、何れの行も使はれぬ也。捨身はそこそこで使ふ程に軍兵也。
-
『驢鞍橋』卷中又勇猛精進の武士を頭とし、幻化無常の剣を用ゐて、自己の本源に向て、十二時中切に急に責め入るへしと云ふは、勇猛の機起れは、捨身自由に使ふほとに頭也。扨てたは事たは事と時々に責め入れは、つんつと切るゝ物也。故に剣也。勇猛の機熟すれは、自ら出る物也。又自己を守るの段に、常に六根門を堅く守て、煩悩の賊を防くへしと云ふは、自巳を守る事也。六所にて守ると云ふ事にはあらす。自己をさへ能く守れは、どつこも治る也。又一句を守るへしと云ふより末は、言句に著て自巳を守る位ぞと也。
-
『驢鞍橋』卷上一日或武士に示して曰く、仏法なくして武勇つかはるへからす。血気の勇は何程强しと云ふとも、とこぞに臆病なる処有るへし。我も高き坩の上に立て下を見れは、足振へて臆病出づる也。仏法修行なくんば、大丈夫の漢と成るべからすと也。
-
『驢鞍橋』卷中又本来心の異名を知るへし。金剛の正体とも、堅固法身とも云ふ。此の心物にかゝはらす、恐れす驚かず、憂へず退かず不動不変にして、一切の主人となる。如是通徹して用ゐ得るを、大丈夫の漢、鉄心肝、達道人抔と云ふ也。此の人万念に碍られす、万事を使ひ得て大自在也。然る間、仏道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し。如是大丈夫、鉄心肝に至る事なる間、只此の勇猛の心一つなりとのみこんで、一頭に強き心を用ゐよと云ふ事也。是れ一つをさへ聞しめさるれは、用は調ふ也。皆爰をうつかと見らるゝに仍て、ぐどつくと也。
-
『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る