驢鞍橋 / 卷中
又勇猛精進の武士を頭とし、幻化無常の劔を用ゐて、自己の本源に向て、十二時中切に急に責め入るへしと云ふは、勇猛の機起れは、捨身自由に使ふほとに頭也。扨てたは事たは事と時々に責め入れは、つんつと切るゝ物也。故に劍也。勇猛の機熟すれは、自ら出る物也。又自己を守るの段に、常に六根門を堅く守て、煩惱の賊を防くへしと云ふは、自巳を守る事也。六所にて守ると云ふ事にはあらす。自己をさへ能く守れは、どつこも治る也。又一句を守るへしと云ふより末は、言句に著て自巳を守る位ぞと也。
新字:又勇猛精進の武士を頭とし、幻化無常の剣を用ゐて、自己の本源に向て、十二時中切に急に責め入るへしと云ふは、勇猛の機起れは、捨身自由に使ふほとに頭也。扨てたは事たは事と時々に責め入れは、つんつと切るゝ物也。故に剣也。勇猛の機熟すれは、自ら出る物也。又自己を守るの段に、常に六根門を堅く守て、煩悩の賊を防くへしと云ふは、自巳を守る事也。六所にて守ると云ふ事にはあらす。自己をさへ能く守れは、どつこも治る也。又一句を守るへしと云ふより末は、言句に著て自巳を守る位ぞと也。
書き下し
又勇猛精進の武士を頭とし、幻化無常の剣を用ゐて、自己の本源に向て、十二時中切に急に責め入るへしと云ふは、勇猛の機起れは、捨身自由に使ふほとに頭也。扨てたは事たは事と時々に責め入れは、つんつと切るゝ物也。故に剣也。勇猛の機熟すれは、自ら出る物也。又自己を守るの段に、常に六根門を堅く守て、煩悩の賊を防くへしと云ふは、自巳を守る事也。六所にて守ると云ふ事にはあらす。自己をさへ能く守れは、どつこも治る也。又一句を守るへしと云ふより末は、言句に著て自巳を守る位ぞと也。
現代語訳
また「勇猛精進の武士を頭とし、幻化無常の剣を用いて、自己の本源に向かって、一日中切に急に責め入れ」と書いたのは、勇猛の機が起これば捨身を自由に使えるから頭なのである。さて「たわごとだ、たわごとだ」と時々に責め入れば、ぷつりと切れるものである。だから剣なのである。勇猛の機が熟せば、おのずから出てくるものだ。また自己を守る段に「常に六根の門を堅く守って、煩悩の賊を防げ」と書いたのは、自己を守ることである。六か所で守るということではない。自己さえよく守れば、どこもかしこも治まるのである。また「一句を守れ」というところから後は、言葉の句に着いて自己を守る段階だ、と言われた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
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『驢鞍橋』卷中又捨身の段に、法性城中に自巳の冤敵競ひ来て、既に国を傾けんとすと云ふは、体は元より仏体法身也。然れども六根門より煩悩の賊か取籠んだに仍て、煩悩袋と成る也。其の冤敵の大将は、身を思ふ一念也。此の大将に眼を付て、打て取れと云ふ事也。又信力堅固を大将と定め、捨身の軍兵を先としてと云ふは、是非にと強く信力を起すが大将也。此の信力が起らねは、何れの行も使はれぬ也。捨身はそこそこで使ふ程に軍兵也。
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『驢鞍橋』卷中先つ仏法と云ふは、六賊煩悩を打滅す事也。なに生々悪道ずきに成り居る身に添ふ□打取ことなる間、弱き心ではならぬ也。法身堅固の心とて是非にと思ふ心を強く定むへし。然らは信心起るへし。信心さへ強けれは、勇猛起るもの也。次きに精進心は起るもの也。爰に於て、ずだはこと□□と強く切払へは、切なる心、急なる心起るもの也。此の時夢中ともにぬけす、金剛心となり熟して内外打成一片となつて、内にも一念不生、外にも一塵碍る境界なく、業識無明の魔軍共を尽く打滅す也。然れ共是れまてはまだ夢中に打て取つた也。未だ実有は尽きぬず。ほつかと大夢醒め、はらりと実有破れ、生死を出て、一切を離れて大安楽に住する也。なにと此の心は武勇に使れましきや。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、修行と云ふはなるほと强き心を用ふる事也。六賊とて六処にて本心を盗む者有り、此賊は我心の弱き処より起る也。然る間機を强く用ゐて、巳が心を睨付けて守るへし。皆聞きそこのうて無常と云はれて、はへ土をかき、無念と云はれてあつかり坊に用ゆる也。大なる錯也。なるほと强き心を守るべしと也。
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『驢鞍橋』卷中又本来心の異名を知るへし。金剛の正体とも、堅固法身とも云ふ。此の心物にかゝはらす、恐れす驚かず、憂へず退かず不動不変にして、一切の主人となる。如是通徹して用ゐ得るを、大丈夫の漢、鉄心肝、達道人抔と云ふ也。此の人万念に碍られす、万事を使ひ得て大自在也。然る間、仏道修行の人は、先つ勇猛の心なくして叶ひ難し。如是大丈夫、鉄心肝に至る事なる間、只此の勇猛の心一つなりとのみこんで、一頭に強き心を用ゐよと云ふ事也。是れ一つをさへ聞しめさるれは、用は調ふ也。皆爰をうつかと見らるゝに仍て、ぐどつくと也。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、誰も憂き事に逢ふては死に度き事も有るべし。只栄耀にして機をへらし居られば、老ても命の惜き事は、若者と替りあるべからす。少々にして娑婆の隙明くべからず。其方達も十二時中眼をすゑ、拳を握り、せぼねを引立て、臍の下より勇猛の心湧出づる程に修すべしと也。
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