驢鞍橋 / 卷中
第十三、人主君の前に居る心、是は何事れも覺あるへし。爰ては自らだるまれまいが、覺えす浮んて居めされんずと也。第十四、仁義を守る心。第十五、佛語祖語に眼を着る心と云ふは、喩へは夢幻泡影の文を見る則は、佛祖は幻化也、我は實有也と知り、佛祖の意に徹すべし。强く眼を著て見る事也。第十六、正直慈悲の心、是はなてくだして勝つた機也。喩へは誰も童に勝て居るか如し。第十七、一大事因緣を思ふ心、是は云つて聞かせ難し。我れと心に備る大事也。前に書く生死を心誠に成つて知るへし。今思ひ習ふ事に非す、總して右の箇條の心熱せは、一大事因緣の心となるへしと也。○彥根衆、此の箇條に抄を乞ふ人ありけれとも、師抄を作るは習ひ事にして隙を明けて置くへし。是は習ひ事に非すと云つてな去たまはす。是は某竊に留むる覺書也。
新字:第十三、人主君の前に居る心、是は何事れも覚あるへし。爰ては自らだるまれまいが、覚えす浮んて居めされんずと也。第十四、仁義を守る心。第十五、仏語祖語に眼を着る心と云ふは、喩へは夢幻泡影の文を見る則は、仏祖は幻化也、我は実有也と知り、仏祖の意に徹すべし。強く眼を著て見る事也。第十六、正直慈悲の心、是はなてくだして勝つた機也。喩へは誰も童に勝て居るか如し。第十七、一大事因縁を思ふ心、是は云つて聞かせ難し。我れと心に備る大事也。前に書く生死を心誠に成つて知るへし。今思ひ習ふ事に非す、総して右の箇条の心熱せは、一大事因縁の心となるへしと也。○彦根衆、此の箇条に抄を乞ふ人ありけれとも、師抄を作るは習ひ事にして隙を明けて置くへし。是は習ひ事に非すと云つてな去たまはす。是は某窃に留むる覚書也。
書き下し
第十三、人主君の前に居る心、是は何事れも覚あるへし。爰ては自らだるまれまいが、覚えす浮んて居めされんずと也。第十四、仁義を守る心。第十五、仏語祖語に眼を着る心と云ふは、喩へは夢幻泡影の文を見る則は、仏祖は幻化也、我は実有也と知り、仏祖の意に徹すべし。強く眼を著て見る事也。第十六、正直慈悲の心、是はなてくだして勝つた機也。喩へは誰も童に勝て居るか如し。第十七、一大事因縁を思ふ心、是は云つて聞かせ難し。我れと心に備る大事也。前に書く生死を心誠に成つて知るへし。今思ひ習ふ事に非す、総して右の箇条の心熱せは、一大事因縁の心となるへしと也。○彦根衆、此の箇条に抄を乞ふ人ありけれとも、師抄を作るは習ひ事にして隙を明けて置くへし。是は習ひ事に非すと云つてな去たまはす。是は某窃に留むる覚書也。
現代語訳
第十三、「人が主君の前にいる心」。これは誰にでも覚えがあるだろう。その場では自分からはだらけまいし、思わず浮いた心でおられるだろう、と言われた。第十四、「仁義を守る心」。第十五、「仏語・祖語に眼を着ける心」というのは、たとえば夢幻泡影の文を見るときは、仏祖は幻化と説き、自分は実有と思っていると知って、仏祖の心に徹しなさい。強く眼を着けて見ることである。第十六、「正直慈悲の心」。これはなで下ろして勝った機である。たとえば誰でも子供に対しては勝っているようなものである。第十七、「一大事因縁を思う心」。これは言って聞かせにくい。自分の心に備わる大事である。前に書いた生死を、心から誠になって知りなさい。今思い習うことではない。総じて右の箇条の心が熟せば、一大事因縁の心となるだろう、と言われた。彦根の人々で、この箇条に注釈を求める人がいたが、師は、注釈を作るのは習い事であって暇のあるときにすることだ、これは習い事ではない、と言って作られなかった。これは私がひそかに留めた覚え書きである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中第五、幻化無常を観する心と云ふは、扨ても実もない身かな、今をも知らぬ命也。扨て扨ていつはりの世界哉と強く見る事也。第六、此の身の不浄を観する心と云ふは、人毎に死人はむさかれとも、我か負ふて居る死人は、秘蔵して居るもの也。目汁、鼻汁、大小便一つも清き事なし。扨てもいやなくされ者哉と、常住にらみ付て守るへき也。第七、光陰を惜む心、第八、三宝を信仰する心と云ふは、仏祖の出世なくは、我ら衆生是非をも弁へす、畜生に替り有るへからす。然るに仏祖の出世により、義理を弁へ是非を知り、殊に三途の古里を出つべき教を聞き、其上末世の我らに至るまで救ひたまはん御願力、扨て扨て忝き次第也と思ひ入て、身命を抛て信仰し奉るへき也。
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『驢鞍橋』卷中第一、生死を守る心と云ふは、此の生と云ふものは、何の用にも立たぬ物哉。扨て扨ていやなわるい物哉とよく知り、扨て死は隙の明きたよき物なりと知り、只今必す死すと眼を著け歯をかんで、ぐつと死して直に死習ふ心也。第二、恩を知る心。四恩といへ共、武士は主の恩を能く知るへし。総して恩をしらぬ故に不義多し。実に恩を知る則は、真の心となる也。第三、一陣に進む心と云ふは、千騎万騎の中へ、只一人つゝとかけこむ心を守る事也。第四、因果の理を知る心と云ふは、万事因果次第よと思ひ定むれは、娑婆の望もなく心楽也。又命を取らるゝ程の事来るとも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらんと思ひ定めは、苦む事有るべからす。又人を恨むる事も有るへからず。人毎に此の因果の道理はしらせ度也。是れを守る則は、大に苦を免るゝ事也。
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『驢鞍橋』卷中第九、此の身を主君に抛つ心と云ふは、万事我物と思ふ故に万事苦む也。此の身は主君の物なりと抛て使はゞ、安楽なるへし。強く眼を著て十二中抛ち習ふへき也。第十、自己を守る心、是は草分の中に具に書く、是れを見るへし。自己を守ると云ふは、機をぬかさぬ事也。纔かも機をぬかせは、早や物に負る也。第十一、捨身を守る心。是れも草分に具に書く也。或は火に飛込み水に飛込て身を捨て見、或は胴腹をつきぬかれて、捨備の中にかけ込では捨て、さまざま捨て習て、自由自在に捨らるヽ程に至る事也。なる程強く張合て守るへき也。第十二、自巳の非を知る心と云ふは、人皆我が非か苦にならぬに仍て、余所の善悪まて取り来て、吾か胸に入て地獄をわかす也。此の段は人毎に知らせたし。我も此の前は人悪く思ふたもありけるが、今は我独り悪くて皆人はよき也。
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『驢鞍橋』卷中一、常に心を持つへき様、強馬に乗りたる時の心を忘れす、昼夜守べし。油断せは、煩悩の敵発り来て、苦患悪業ある□。一、心をはりかけ、眼をすゑて奥牙をかみ合せ、生死を急に守て、忽ち死する心を用ふべし。一、千騎万騎の敵の中へ唯一人かけ入る心を守るへし。如此持て此の心純熟する時は、心無事にして、万事に使ふに自由なるへし。芸能にも此の心を使はずは上手にあらす。武勇の働も、此の心なくて不叶。人に交り公界へ出て物を云ふとも、此の心なくは不自由なるへし。
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『驢鞍橋』卷下一日人問ふ、四民に書を給ふ所の浮心を如何用ゐんや。師示して曰く、虎口塲に望む心也。又果眼に成り、じりじりと懸る時の心也。此の機なくして万事に使はるべからす。仏道修行と云ふは、始めより終り迄、只此の機一つを以て生死を離るゝこと也。生死さへ離れば成仏也。然る間、此の機一つを以て成仏すべき也。別に入ることなし。見解抔と云ふこともさして用に立たぬ物也。毒薬変して薬と成ると云ふが如く、薬変して毒と成り結句怨と成ること多かるべし。見解よりも何よりも、只勇猛の心を以て練付て行くかよき也。古歌に「悟とは悟らで悟る悟なり悟る悟は夢の悟ぞ」とあり。誠に悟る悟はあぶないことぞ。我も悟らぬ悟がすきなり。法然などの念仏往生も悟らぬ悟也。
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『驢鞍橋』卷中修行の道千差万別なりといへ共、肝要は身を思ふ一念也と云ふは、何と修行せうとも、其の肝要は、身を思ふ念一つを離るゝが体也。一切の苦は、此の念より起る也。身を捨て得たらは、何事か苦ならんや。是れ慥に合手を見たる処也。又然れば凡夫心に物に勝て浮心あり。物に負て沈心あり。浮心を用ゆるは、仏界に入るの門、沈心を用ゆるは獄中に入る道也。専ら出離の願力を以て、昼夜浮心を守るへしと云ふは、凡夫心に此の二筋あり。浮心と云ふは、急度いきた機也。是れ仏界の道也。昼夜此の心を守るへし。物に勝て浮心の類勇猛心を体とす。始めは物に勝て浮心の類と計り書きけれ共、人錯て心を用るに因て、後ち勇猛心を体とすと書き添えたり。十七段ともに此の心か体也。総して此の勇猛心一つか修行の体也。此の心を用ゐて、有相執着の一念を滅する事一つ也。
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