驢鞍橋 / 卷中
第五、幻化無常を觀する心と云ふは、扨ても實もない身かな、今をも知らぬ命也。扨て扨ていつはりの世界哉と强く見る事也。第六、此の身の不淨を觀する心と云ふは、人每に死人はむさかれとも、我か負ふて居る死人は、秘藏して居るもの也。目汁、鼻汁、大小便一つも淸き事なし。扨てもいやなくされ者哉と、常住にらみ付て守るへき也。第七、光陰を惜む心、第八、三寳を信仰する心と云ふは、佛祖の出世なくは、我ら衆生是非をも辨へす、畜生に替り有るへからす。然るに佛祖の出世により、義理を辨へ是非を知り、殊に三途の古里を出つべき敎を聞き、其上末世の我らに至るまで救ひたまはん御願力、扨て扨て忝き次第也と思ひ入て、身命を抛て信仰し奉るへき也。
新字:第五、幻化無常を観する心と云ふは、扨ても実もない身かな、今をも知らぬ命也。扨て扨ていつはりの世界哉と強く見る事也。第六、此の身の不浄を観する心と云ふは、人毎に死人はむさかれとも、我か負ふて居る死人は、秘蔵して居るもの也。目汁、鼻汁、大小便一つも清き事なし。扨てもいやなくされ者哉と、常住にらみ付て守るへき也。第七、光陰を惜む心、第八、三宝を信仰する心と云ふは、仏祖の出世なくは、我ら衆生是非をも弁へす、畜生に替り有るへからす。然るに仏祖の出世により、義理を弁へ是非を知り、殊に三途の古里を出つべき教を聞き、其上末世の我らに至るまで救ひたまはん御願力、扨て扨て忝き次第也と思ひ入て、身命を抛て信仰し奉るへき也。
書き下し
第五、幻化無常を観する心と云ふは、扨ても実もない身かな、今をも知らぬ命也。扨て扨ていつはりの世界哉と強く見る事也。第六、此の身の不浄を観する心と云ふは、人毎に死人はむさかれとも、我か負ふて居る死人は、秘蔵して居るもの也。目汁、鼻汁、大小便一つも清き事なし。扨てもいやなくされ者哉と、常住にらみ付て守るへき也。第七、光陰を惜む心、第八、三宝を信仰する心と云ふは、仏祖の出世なくは、我ら衆生是非をも弁へす、畜生に替り有るへからす。然るに仏祖の出世により、義理を弁へ是非を知り、殊に三途の古里を出つべき教を聞き、其上末世の我らに至るまで救ひたまはん御願力、扨て扨て忝き次第也と思ひ入て、身命を抛て信仰し奉るへき也。
現代語訳
第五、「幻化無常を観じる心」というのは、さても実体のない身だなあ、今日のことも知れない命だ、さてもさても偽りの世界だなあと強く見ることである。第六、「この身の不浄を観じる心」というのは、誰でも死人は汚がるけれども、自分が背負っている死人は秘蔵しているものである。目やに・鼻汁・大小便、一つも清いものはない。さても嫌な腐れ者だなあと、常ににらみつけて守りなさい。第七、「光陰を惜しむ心」。第八、「三宝を信仰する心」というのは、仏祖がこの世に出られなければ、我ら衆生は是非もわきまえず、畜生と変わりがないだろう。ところが仏祖の出世によって、義理をわきまえ是非を知り、とりわけ三途の故郷を出るべき教えを聞き、そのうえ末世の我らにまで救いくださる御願力は、さてもさても忝いことだと思い入って、身命をなげうって信仰申し上げるべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『驢鞍橋』卷中第十三、人主君の前に居る心、是は何事れも覚あるへし。爰ては自らだるまれまいが、覚えす浮んて居めされんずと也。第十四、仁義を守る心。第十五、仏語祖語に眼を着る心と云ふは、喩へは夢幻泡影の文を見る則は、仏祖は幻化也、我は実有也と知り、仏祖の意に徹すべし。強く眼を著て見る事也。第十六、正直慈悲の心、是はなてくだして勝つた機也。喩へは誰も童に勝て居るか如し。第十七、一大事因縁を思ふ心、是は云つて聞かせ難し。我れと心に備る大事也。前に書く生死を心誠に成つて知るへし。今思ひ習ふ事に非す、総して右の箇条の心熱せは、一大事因縁の心となるへしと也。○彦根衆、此の箇条に抄を乞ふ人ありけれとも、師抄を作るは習ひ事にして隙を明けて置くへし。是は習ひ事に非すと云つてな去たまはす。是は某窃に留むる覚書也。
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『驢鞍橋』卷中一、六右息女出家望のよし、尤に候。若し出家候は、不浄観を与へ可被申候。此の身は煩悩悪業の身也、不浄汚穢の身也、五臓六腑を思ふに、中々不浄至極せり。目汁鼻汁耳垢膿唾、毛の穴より出る汗、大小便、此の臭皮袋に著て六根門より出る也。何を以て是れを清めんや。又此の体を能く見るに、赤き肉はうじと成る、臭気如何はかりならんや。此の骨はれておそろし。白き頭は見るもかなし。此の身にそなはる苦患は、生老病死の四つあり。求不得苦、怨憎会苦、愛別離苦、五盛陰苦の四にあり。合せて之を八苦と云ふ。又十悪あり。殺生、偸盗、邪婬は、身に着て三つの科なり。妄語、綺語、悪口、両舌は、口に著て四の科也。貪欲、瞋恚、愚痴は、心に着て三の科也。合せて十悪といへり。然れは此の身に着て何の楽かあり、何の善根かあり、何の清浄かあるや。
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『驢鞍橋』卷上一日示して曰く、此身元より有るにあらず、始めは一滴にして次第に大に成り、人間の体と成る。元来是れ悪業煩悩のかたまりにて、不浄なる物也。目汁鼻汁大小便、一つとして清き事なし。扨その中に包み来るみあげは何なれば、先づ菩提心をも持ち来らす、慈悲心をも持ち来らす、只悪い愛い怪い食いと三毒を根本として、四苦八苦十悪五逆八万四千の悪業煩悩計りを包み来りて、一生此念に責められ、永劫悪趣に輪廻し、大苦を受くる事口惜きにあらずや。深く此道理を信して此腐れ肉に惑はさるべからず。此身を思ふ念をさへ離れば、安楽なるべし。喩へば人来りて頸を乞はんに、指出してなにともなく取らするほどに至らば、何の苦みかあらんや。亦何の煩悩か碍らんやと也。
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『驢鞍橋』卷中第一、生死を守る心と云ふは、此の生と云ふものは、何の用にも立たぬ物哉。扨て扨ていやなわるい物哉とよく知り、扨て死は隙の明きたよき物なりと知り、只今必す死すと眼を著け歯をかんで、ぐつと死して直に死習ふ心也。第二、恩を知る心。四恩といへ共、武士は主の恩を能く知るへし。総して恩をしらぬ故に不義多し。実に恩を知る則は、真の心となる也。第三、一陣に進む心と云ふは、千騎万騎の中へ、只一人つゝとかけこむ心を守る事也。第四、因果の理を知る心と云ふは、万事因果次第よと思ひ定むれは、娑婆の望もなく心楽也。又命を取らるゝ程の事来るとも知らなんだが、我に此の因果こそ有りつらんと思ひ定めは、苦む事有るべからす。又人を恨むる事も有るへからず。人毎に此の因果の道理はしらせ度也。是れを守る則は、大に苦を免るゝ事也。
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『驢鞍橋』卷中第九、此の身を主君に抛つ心と云ふは、万事我物と思ふ故に万事苦む也。此の身は主君の物なりと抛て使はゞ、安楽なるへし。強く眼を著て十二中抛ち習ふへき也。第十、自己を守る心、是は草分の中に具に書く、是れを見るへし。自己を守ると云ふは、機をぬかさぬ事也。纔かも機をぬかせは、早や物に負る也。第十一、捨身を守る心。是れも草分に具に書く也。或は火に飛込み水に飛込て身を捨て見、或は胴腹をつきぬかれて、捨備の中にかけ込では捨て、さまざま捨て習て、自由自在に捨らるヽ程に至る事也。なる程強く張合て守るへき也。第十二、自巳の非を知る心と云ふは、人皆我が非か苦にならぬに仍て、余所の善悪まて取り来て、吾か胸に入て地獄をわかす也。此の段は人毎に知らせたし。我も此の前は人悪く思ふたもありけるが、今は我独り悪くて皆人はよき也。
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『驢鞍橋』卷中如是なる身を愛するを愚人と云ひ、殺得するを道者とす。此の理を忘れすして、捨身を本意として行脚すへし。油断あらは、大地獄に入るへし。此の身を捨て切り、浮世にはなれ切らずは、仏果に到る事有るへからす。食乏しき時は、此の身に餓鬼ある事を知て責むへし。瞋恚の発る時は、則ち地獄の衆生なる事を知て責むへし。愚痴蒙昧の時は、則ち畜生なりと知て責むへし。大小便の時は、臭肉不浄を以て責むへし。起居動静について臭皮袋を責めて、終に責め破る時節有らは、即心成仏なるへし。是れを日々に読みて責むへし。必す読み聞かすへし。懈怠有るからす。已上。
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